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花束

僕たちはまだ互いに優しくなるやりかたを知らない
月曜朝8時13分発 特急京王線新宿行き 満員電車
脱毛サロンのモデルが口を半開きにしてこちらを見ている
誰かの舌打ちが聞こえる
サラリーマンの肩越しにライブ配信アプリの画面が見える 

僕らは互いの心臓のありかさえ知ろうとしないのだ
夜道をこちらに向かってくる人の
左胸が白く発光していたのを覚えている
それは左胸のポケットに入れたスマートフォンの画面の光だったのかもしれないが
あれは彼の心臓だったと思う
理想的な音に囲まれて生きたい僕たちは
今や耳から小さな白いパーツをたらりと下げるだけで
どんな世界にでも行けることになった
どんな世界にでも閉じこもれるようになった
そのかわり
どんな色かもわからない鮮やかなジュースが
心のなかに満たされるのを待って
じぶんのなかでただ徒らに氷を溶かしてる
僕たちはまだ互いに優しくなるやりかたを知らない

台風一過の青空の下を僕たちはそれぞれに歩いてきた
そしてまた歩いていく
金木犀の甘いにおいがきょうはどこか遠くからではなく
歩みを進める足元から立ちこめていたことに
気づいた人はどれほどいるだろうか?

僕らは飛べないから眠る
眠ることで飛ぼうとする
そして、驚くほどすばやく落ちるように目覚めてしまう
僕たちはまだ互いに優しくなるやりかたを知らない

だから
それぞれが隠し持っているかなしみを
花束に変えて抱いて満員電車に乗ろう
互いの花束をつぶさないように
優しく優しく抱いて乗ろう
ひまわりも
ばらも
ゆりも
かすみそうも
ここでは誰かのかなしみだ
名前も知らない誰かの
まだ名前のついていないかなしみだ
あの女の人の抱いているオレンジ色の小さな花束は
同僚の女性に時短勤務をそれとなくおとしめられた昨日の帰り際のかなしみだ
あの少年の抱いている水色の一輪の花は
ネットでしか知らなかった人が生きることをやめてしまったことに何か言う資格が自分にあるのかわからなくなった今朝のかなしみだ
あの男の人が片手で握っているみどりのつぼみは
15年まえからずっと名前のわからないかなしみだ
自販機のボタンを一つ間違えて落ちてきたような一連の日々に
それぞれのかなしみが増えていく

僕たちはまだ互いに優しくなるやりかたを知らない
それでも
月曜朝8時13分発 特急京王線新宿行き 満員電車
脱毛サロンのモデルが向かいの窓のむこうを眺めている
誰かが小声で謝る声が聞こえる
サラリーマンの肩越しになにも映っていない画面が見える
駅のホームに電車がすべりこんで
湿気にみちた車内に新しい空気が流れ込んでも
僕たちはまだ互いに優しくなるやりかたを知らない

(2018年10月)

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