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あなたの仏像はどこから?【中編】│ひとりアドベントカレンダー#16

▼【前編】はこちらをどうぞ

さて、「あなたの仏像はどこから?【前編】」では、私がすっかり仏像好きな子どもに育っていくようすを書いた。その続きが今回【中編】である。本当は前・後編の2回で書ききるつもりだったが、頭の中で構成をこねこねした結果、「どう考えても2回では無理」という結論に落ち着いた。

ということで中編をどうぞ。

いざ行かん奈良・京都へ

さて、両親から仏像の早期教育を受け、順当に仏像マニアの子どもに育った私だったが、小学5年生のとき、ある機会が訪れる。家族旅行で、奈良・京都の仏像めぐりに連れて行ってもらうことになったのだ

家にある仏像の本を文字通り血肉とし、母の手書きのふりがなによって仏像や寺院の名前を次々と覚え、「見仏記」シリーズでさらに仏欲ブツヨク)を刺激された私にとっては、まさに満を持してやってきた千載一遇のチャンスであった。

めぐった寺院を思い出せる限り書きだすとこうである。

◆一日目
《斑鳩地域》
1)法隆寺
2)中宮寺

《西ノ京地域》
3)薬師寺
※本当は唐招提寺も拝観する予定だったが、工事中のため泣く泣くパス
◆二日目
《近鉄奈良駅周辺》
4)興福寺
4.5)奈良国立博物館 ※休館日だった
5)東大寺

《京都市内》
6)蓮華王院三十三間堂
7)京都国立博物館 ※急遽旅程に追加。俵屋宗達の《風神雷神図屏風》の特別展をやっていたのをたまたま見つけたからで、これはこれで思い出深い。

ということで、小学5年生の頃の記憶をたどって、当時の印象を改めて書き起こしてみようと思う。13年たってもちゃんと覚えている景色や空気感を、せっかくなのでちゃんと言語化しておきたい。

《斑鳩地域》法隆寺・中宮寺

奈良に降り立って初めて訪れた寺院は、押しも押されぬ日本の仏教はじまりの地・斑鳩地域の法隆寺・中宮寺だった。伽藍に一歩足を踏み入れると、外とは違う、ぴんと張り詰めた空気に一帯が包まれているのにはびっくりした。

仏像の本に必ずといっていいほど登場する法隆寺の釈迦三尊は、実際に金堂で見てみると、堂内の薄暗がりからぼうっと浮き出ているように見えた。あたりに充満する厳かな空気を壊さないよう、息をひそめながら、金網越しに遠くその姿を見ていたと思う。

▲法隆寺金堂・釈迦三尊像(出典

法隆寺に隣接する小さな尼寺・中宮寺も、小さいながら品の良いたたずまいで、本堂には弥勒菩薩半跏像(伝・如意輪観音像)がおわしましている。頭の上に乗っかった双子のお団子結びヘアスタイルが特徴的な仏さまで、これもやはり、昼間の自然光だけが差し込むほの暗い本堂の中で、黒いつやをまとった菩薩の肌が、柔らかい光を返していた。

▲中宮寺・弥勒菩薩半跏像/伝如意輪観音像(出典

法隆寺の隣にありながら、法隆寺のぴりっと漲る緊張感とはまた違った雰囲気をもつ寺院だった。

《西ノ京地域》薬師寺

斑鳩地域を離れて、西ノ京地域で訪れたのは薬師寺である。【前編】でもさんざん登場してもらった、薬師三尊像聖観音像のいるところだ。

一点の濁りも許さないような清冽な空気をたたえていた法隆寺に対し、薬師寺は比較的に大勢の人々のざわめきとも不思議となじみがよく、おおらかな印象をもった。

たしか当時は、西塔の塗りなおしが終わったときだったかもしれない。晴れ上がった空に、やたら鮮やかに丹塗りが映えていたことを思い出す。

▲薬師寺・西塔(出典

薬師寺の金銅仏はどれも、金属ということを忘れてしまいそうなくらい、羨ましいほどの潤いとみずみずしさに満ちている。そして、思ったよりでかかった。本だけで見ているとどうしても大きさは想像まかせになり、いざ目の前に実物が現れると、感覚が一瞬バグる。なんなんでしょうねこの現象?

《近鉄奈良駅周辺》興福寺・東大寺

ご存知、鹿さんいっぱいの近鉄奈良駅周辺。ここで見に行くものと言ったらやはりまずは興福寺

興福寺の伽藍はめっぽう広くて、どの建物をめぐったか正直正確に思い出せないのだが、東金堂ではとにかく像がぎちぎちに大集合していたことは覚えている。文殊菩薩像から四天王像から十二神将像から、とにかく数が多くてわちゃわちゃしていて、それでいて薄暗い堂内でみんな澄ましたポーズをとっているので、静だか動だかわかんないのが面白かった。

そして忘れちゃいけないのが興福寺の国宝館。みんな大好き阿修羅像を私もここで見た。

▲興福寺・阿修羅像(出典

阿修羅はソロアーティストではなく8人組仏法守護グループ八部衆の一人である。それゆえ阿修羅周辺の展示ケースには他の7人の仲間がいるのだが、阿修羅だけなんだか出ている空気が違った。三面六臂という異形の風体のせいもあろうが、それにしても阿修羅はなんだか、抱えている葛藤がでかいなというか、この懊悩やまざる感じは何だろうか。

続く東大寺は興福寺からちょっと歩けばすぐだ。

▲東大寺大仏殿(出典

東大寺といえばいわゆる大仏が有名だが、大仏殿と大仏(盧舎那仏座像)は、いざ見てみるとでかすぎて逆に実感がわかなかった。大仏、そのでかさゆえに、膝から胴体までの距離が長くなり、座高もめちゃめちゃあるので必然的に参拝客からご尊顔への距離も長くなり、「なんか……小さい……?」という感覚を生じてしまうのだ。ここでも”思ってたんと違う”現象が起きている。

大仏殿よりも私たち家族にはおめあてがあった。同じ東大寺の戒壇堂である。大仏殿からちょっと離れたところにあり、南大門・大仏殿周辺のにぎやかさとは打って変わって、静かな住宅地の中にひっそりとある。

ここには、当時から現在に至るまで私が変わらず推している四天王立像がいる。シテンノーズ!アッセンボウ……(※アベンジャーズを意識)

▲東大寺戒壇堂・四天王像(出典

戦隊とかアイドルグループを推す楽しさというのは、「n者n様(nは任意の自然数)の個性がステキ」というところが大きいと思うが、それはグループ仏像も同じである。奈良旅行の前に、予習と称して「魅惑の仏像」シリーズ(めだかの本)の四天王の刊で、これら四人の顔と全身ショットと、四人それぞれの足元で踏んづけられている邪鬼とを何度眺めまわしたことか。顔もポーズもとにかくかっこいい。

▲広目天・多聞天の足元で邪鬼が踏みつけられている。ぐにぐに(出典

理知的で寡黙そうな広目天多聞天と、眼をむいた憤怒相(ふんぬそう:怒りの表情のこと)の持国天増長天。私は基本的に戒壇堂の四天王はずっと箱推しだが、あえて一人推すなら広目天だ。巻子(かんす)と筆を標準アイテムとして装備しているので、文芸屋さんとも仲良くしてくださると思う。

そんなことはさておき、住宅地を奥へと進み、ちょっと長い小刻みな石段を登ると、戒壇堂はある。大仏殿の喧騒からぱっきり切り離され、薄暗く少しひんやりした堂内は、周りを360°歩いて周回できる広い壇が設けられ、その四隅に四天王が外側を向いて立っている。ちょっと近づけば触れそうな距離で(※触っちゃダメです)、顔の表情や衣服のしわ、甲冑の彩色の残りまでもじっくり見ることができた。見る角度を変えて像の異なる表情をとらえられるのも、正面以外から見仏できることのメリットだ。そんなこんなで四体を繰り返し飽かず眺めて、壇の周りを5周はした

お寺のスタッフと自分の家族以外誰もいない、いわば貸し切りのような状態で、長らくあこがれてきた仏像と、本当に「対面」できたなと感じたのがこの戒壇堂だった。

《京都市内》蓮華王院三十三間堂

いきなり飛んで京都市内に移るが、ここでも小学生の私が「魅惑の仏像」シリーズでとりわけお気に入りだった仏像たちが登場する。「二十八部衆」である。

三十三間堂といえば、横長の堂内にみっしり安置されたいわゆる千体千手観音が有名だが、私のおめあては千体千手観音の前一列に並んだ28人組仏法守護グループ・二十八部衆だった。

とにかく鎌倉時代の仏像の写実性といきいきした表現が好きだった私は、老若男女とりまぜた最強の28人にたまらない魅力を感じていたのである。五つの眼をもつ琵琶ミュージシャン正面を向いてひたすら合掌する老女甲冑で身を固めた武将……様々な姿に表情、装備アイテム、そしてたぶん一人一人能力や特技をもっている。これこそまさにアベンジャーズ

いざ二十八部衆を前にした私はすっかりうれしくなってしまい、千手観音そっちのけで「大弁功徳天!」「難陀竜王!」と全員を点呼しながら長い堂内を進んでいった。今思えば変な子どもである。幼少のころから変わらない私の気質として、「たくさん種類のあるものは全部覚えて説明したくなる」というものがある。百人一首や路線図を覚えるのと同じ感覚で、二十八部衆の像容と名前を覚えるのが楽しかったのだと思う。

さらに次回に続く!

書き出すとやはり長くなってしまった……。次回は、一気に時が流れて2019年、不肖私23歳の年のことを書く予定。ということで、明日を待て!

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