あなたの仏像はどこから?【前編】│ひとりアドベントカレンダー#15
あなたの仏像はどこから? 私は『奈良国宝仏めぐり』(講談社カルチャーブックス)と『仏像の見分け方』(新潮社とんぼの本)から。
血となり肉となる仏(ブツ)たち
「風邪はひいても仏像はひかねえ」という人が世の大多数を占めると思うので、そもそも冒頭の問いが成立しないような気がするが、そんなことはどうでもいい。
幼少のみぎり、気づいたら実家の居間の本棚に『奈良国宝仏めぐり』(講談社カルチャーブックス)と『仏像の見分け方』(新潮社とんぼの本)があって、どうしてだかそれらが絵本と同じくらいお気に入りだった。親の膝の上で読んで(読んで?)もらった本はきっと気に入る確率が高かったのだろう。
それに、特に『仏像の見分け方』は、「時代ごとの仏像の眼の形はこう」「鼻の形はこういう変化」というような、時代とともに変遷する仏像の造形表現を細部にわたって比較しまくる図鑑みたいなところがあった。だから、図鑑好きだった私の心になんでか刺さったのかもしれない。
さて、お気に入りの本のページの端っこを口に含んで唾液で溶かす習性をもつ幼児だった私は、字なぞろくすっぽ読めもしない年齢から、仏像の本2冊を舐めては溶かし舐めては溶かしして親しんだ。おかげでいま実家にある『奈良国宝仏めぐり』は三代目だ。仏像の本は文字通り、私の血となり肉となった。
ふりがなよめたよ
ひらがなの読み書きができるようになると、仏像の本を食らいながら育った子どもは、本の活字をたどり、ひらがなだけを拾いながら読むようになる。近所の駐車場に「ここに車を停めないで下さい」という看板があれば「ここにをめないでさい」と正直に読んでしまうような子どもだ。
そんな子ども──というか私は、あるとき、『奈良国宝仏めぐり』のとあるページの見出し「日光・月光・地蔵菩薩」の右横に、あるものを発見した。母のボールペン字で「にっこう がっこう じぞうぼさつ」というふりがなが書かれているではないか!
にっこう、がっこう、じぞうぼさつ、とわけもわからず母と一緒に音読するうちに、なんだか楽しくなっていた。その名前と一緒に、幼少の私の脳には、東大寺法華堂の日光菩薩・月光菩薩(※2011年より東大寺ミュージアムにお引越し)と、薬師寺金堂の日光菩薩・月光菩薩の画像がしっかりインプットされていた。如来・菩薩・明王・天部の違いも早々にマスターし、他にもたくさんの仏像の名前と写真を、母の手書きのふりがなによってどんどん覚えていった。
▲薬師寺・薬師如来と日光菩薩、月光菩薩の三尊像(出典)
仏さんが寝っ転がって新聞読んでたらイヤでしょ
両親ともに仏像好きということもあり、わが子にも仏像好きになってもらいたいという教育方針(?)だったのかどうかはわからない。が、その教育を受けていた当の私自身もまんざらでもなく、純粋に仏像に興味をもっていたとみえる。
ある日、たぶん幼稚園か小学校低学年の頃だったかと思うが、ふと疑問に思った私は父に尋ねてみた。
「仏さんってなんであんなポーズしてるの?」
▲あんなポーズの仏さん(薬師寺・東院堂の聖観音像:出典)
父は答えた。
「仏さんが寝っ転がって新聞読んでたらイヤでしょ」
当時のわたしは、なんだかはぐらかされたようで「え~」とか何とか言っていたが、お父ちゃん、今ならわかるぜ。こういう感じ(▼下記参照)の仏像だったら確かになんかやだ。
まじめに説明するなら、「こっちの手は施無畏印、こっちの手は与願印といって、施無畏印の意味は……」となるところを、父は、「仏像は、おのずと手を合わせたくなるような、厳かさや優しさを感じさせるポーズをしているのだ」ということを幼少の私にもわかりやすい譬えで教えてくれていたのである。(ということにしておく。)
そういえば『見仏記』もあった
幼少期の私の仏像への興味を後押しした本は、『奈良国宝仏めぐり』「仏像の見分け方』だけではなかった。いとうせいこう・みうらじゅんによる「見仏記」シリーズもまた、居間の本棚にしれっと置いてあり、幼少の私が勝手に摂取していた仏像本である(※見仏記に関してはページを食べてない)。
「見仏記」シリーズは、無二の親友にして仏友(ブットモじゃなくてブツユウ)、いとうせいこうの文章と、みうらじゅんのイラストによって展開される、仏像見物珍道中である。
今でこそ漢字かな交じりの文章も楽勝で読めるし、なによりいとう&みうらはこの世で一番好きなコンビなので、いとうによる巧みな文章にときに笑い、ときに唸り、ときにみうらじゅんの言動にいとうと一緒にツッコミを入れながら楽しむことができる。
が、なんせ幼少の私はひらがなしか読めない。となると、必然的にいとうの文章は飛ばして、みうらじゅんのイラストページに目が向いていた。本気で描いてるのにどこか脱力感もあるみうらのイラストを楽しみながらも、私は「やっぱり実物が見たい! 見れなくてもせめて写真!」とうずうずしていた。
次回につづく
ということで、仏像成分を摂取しながらすくすくと成長した子どもは、小学5年生のときにある転機を迎える。続きは次回、明日を待て!
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