いまここ問題
『性起』
2021
木の枝の書道
性起(しょうき)とは仏教用語で
悟った仏の立場から見れば、
あらゆる現象はその真実の本性に従って現れる。という意味らしいです。
性は仏性を表すそうです、
起は~宗派によってまちまちな解説がありました。
「なぜいまここに」の感覚にも共通するような気がするんだよね。
ところで
真実
またおもしろい比較を見つけた。
「真実」と「現実」と「事実」はどう違うのか?
真実:人の心の動き、人によって異なる解釈、主に人の口から語られること
現実:主観的、可変性、個人の解釈によって異なる
事実:客観的、実際に起こったこと、不変的な出来事、誰が見ても同じ
またこれらはいずれも過去に起きたことに対する判断。
おもしろいのは「事実と異なる真実が当事者にとっては嘘ではない」ということ。
ということで、本題の真実に沿って現れるという性起について考えてみる。真実が、決して事実の通りではないとすれば、
本人にとってのいまここにある現実は、
いつも自分の潜在意識の問題や課題を映しているんだね。
きっと先生にはまる見えなんだろうな。
その潜在意識の問題や課題をいかに自分で客観視して見れるかって
道を2分するくらい大事なことなんだろうなと思う。
そう考えると、自分を映す鏡の視野がちょっと広がる感じがするし、
また相手の見え方にも余裕が出て来るって気がした。
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