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アメリカの時計 その1

アメリカの時計会社について、web上の断片的な情報を繋いで自分用のメモにまとめていたものを公開してみる。

あまり知られていないことだけど、19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界最大の時計生産国はスイスではなく、日本ではもちろんなく、アメリカだった。これは国を支える産業として時計産業を奨励していたスイスにとっては大問題。どうしてアメリカではスイス製の時計が売れずアメリカ製が流行っているのだろう、と、1876年にスイス業界団体が出資してアメリカに調査員を長期派遣している。David Reportとして知られる調査レポートは製造技術の詳細にとどまらずマーケティング手法などもカバーした100ページを超える大力作。長らくスイス時計業界門外不出の資料としてLongines社の金庫に保管されていたらしいが、今では英語版をwebで閲覧できる。
http://www.watkinsr.id.au/david.html

18世紀以来の伝統を背景に持つ職人による小規模工業ベースのスイスに対し、アメリカの時計会社は若い。その多くは19世紀半ば以降の創業だが、時計の先進国、イギリスやスイス、そしてドイツにも見られない興隆を短期間で成し遂げる。その理由を3つ考えてみる。

  1. 独立戦争、1812年戦争、南北戦争、と続く戦乱での兵器製造を通じて確立された部品標準化などの生産技術

  2. ドイツやスイスなどヨーロッパの中では比較的貧しかった国からの大量移民による人口増、移民を経由したスイス・ドイツ時計産業とのコネクション、移民たちの新世界で大儲けしたいぞマインド

  3. ゴールドラッシュに支えられた鉄道網の普及がもたらした、高精度の鉄道時計の大量需要

  1. 生産技術
    1850年にマサチューセッツ州に設立されたWaltham社をもってアメリカ近代時計工業の祖とみなすのが一般的。共同創業者のDennisonさんは創業に先立ちマサチューセッツ州の国営スプリングフィールド造兵廠を訪れて勉強し、時計製造合理化の着想を得たとされる。このDennisonさん、特に時計が大好きだったわけでもなさそうで「こういう時計を作りたい!」という話ではなく、「こういう風に時計を製造すれば大儲けできる!」というのが創業のモチベーションだったように思われる。アメリカ人は昔からいろいろ侮れない。
    リンカーン大統領が使っていた頃、初期のWalthamの量産技術で製造された懐中時計は、手作りされたスイス時計と比べると中の下くらいの精度だったと信じられている。

  2. 移民
    あまり知られていないことだけど、ペリーが開港を要求した1850年頃はアメリカよりも日本の方が人口が多かった。いろいろな推計があるけれど、日本が多分3,000万人超、アメリカはまだ2,000万人台。19世紀後半にアメリカの移民受け入れが本格化、1870年頃には双方3,000万人台半ばで並び、1920年頃にはアメリカは1億人を超え日本は5,000万人くらい。アメリカで時計産業が大きく飛躍した時期は、人口が30年ごとに倍になっていくとんでもない時代であった。
    ヨーロッパでの時計製造は労働集約的な小規模事業者の世界。イギリスやフランスなどの先進国は植民地やら金貸しやらで楽な商売をしていたので、時計を作るのは貧しいスイスやドイツの仕事。その職人的なヘルマン・ヘッセの世界から脱出し新たなチャンスを求めて新大陸アメリカへ殺到、着いた先のアメリカでは時計が大流行りなのだから、故郷のスイスやドイツの時計業者とコネのある移民がそれを活かして一旗上げようと考えるのは自然な流れ。

  3. 鉄道時計
    1891年にオハイオ州で8名が亡くなる列車同士の衝突事故が発生。機関士の時計が4分狂っていたことが支配的な原因と判明し、この事故を受けて鉄道時計規格が大々的に策定されることになる。規格の詳細は20世紀初頭までどんどん更新されていくが;
    ・実使用環境で週差+/-30秒以内
    ・5姿勢差を管理
    など一部は後のスイスクロノメーター規格を超える厳しさ。
    この規格は外面的な精度仕様にとどまらず内部機構も規定していて;
    ・巻き上げヒゲ必須
    ・レギュレータ(緩急針)には微動必須
    ・ガンギ車は鋼製
    ・テンプはダブルローラー必須
    ・17石以上
    などなど。また、文字盤のインデックスはアラビア数字でなければならない、なんていうことも規定されている。

この鉄道時計規格の影響は、20世紀中頃までのアメリカ製(ムーブメントはスイスに発注していても)の腕時計にも色濃く残っているように思われる。ちょっとした高級機はみんな巻き上げヒゲだし、アラビア数字インデックスの文字盤も多い。一方鉄道時計規格で要求されていなかった機能についてはスイス製腕時計よりも遅れていて、Incablocなどの耐衝撃機能なし、自動巻きなし、防水性なし、など。鉄道時計規格を遵守することが重要だったアメリカの時計会社は守旧的な側面が強くなっていたのかもしれない。一時期鉄道時計の50%以上を製造していたとされるHamilton社なんかは、人造ルビーが1903年に実用化されスイス勢が一斉に切り替えた後、ずっと二次大戦後まで天然ルビーにこだわって使っていたと伝えられている。油の乗りが違うらしい。

Hamilton 992 railroad watch (photo courtesy of www.abellwatchmakers.com)

上の写真は、鉄道時計用ムーブメントの決定版と言われるHamilton社の992ムーブメントが使われた1930年頃の鉄道時計。992は1910年頃に開発され、最終版である992BはHamilton社がアメリカの工場を閉鎖する1969年まで製造されていたと言う。写真はテキサス州のAbell Watchmakers LLCのご好意で同社webサイトから転載。Thanks, Chris-san !

中の下程度の精度だったアメリカ製量産時計は鉄道時計規格と厳しい競争とで磨かれて精度を上げる。現在のRolex社の自社工場の母体となったスイスAegler社などはスイスの中では積極的に新しい量産技術を導入していたと想像されるが、Aegler社にムーブメントを発注していた米国Gruen社の当時のポスターを見ると、先進的な量産技術ではなく伝統的な職人の手作業がハイライトされている。20世紀中頃までのアメリカ人にとってのスイス製時計のイメージは、すでに高精度だったり先進的だったりとかではなく、伝統の技で職人が丁寧に作った工芸品、というものだったらしい。

Waltham社から始まる近代のアメリカ時計会社は、その業態からおおまかには2つの組に分けられるかもしれない。
A) 創業は19世紀半ば、米国内の近代的な工場で部品標準化を活かして高精度高級機あるいは超低価格機を製造
B) 創業は19世紀終盤以降、アメリカ生まれの部品標準化を人件費の安いスイス・ドイツの工場に導入、ムーブメントを輸入して米国内で調整及びケーシング

AとBの双方に、中級機メーカー、高級機メーカー、がそれぞれあって、Aの方には低価格入門機メーカーもある。これらのアメリカの会社とヨーロッパの会社とが、一次大戦後のアメリカ好景気、各国関税強化、大恐慌後の混乱、二次大戦後のアメリカ好景気、などの時代を入り乱れて戦いまたは協業しまたは廃業する。

この流れの中で、元来時計産業が強かったはずのイギリスとドイツが凋落し、スイスは生き延びる。色々な次元での原因が考えられるが、一つには、小さな国で背に腹をかえられない事情からか、アメリカ発の新しい部品標準化を旗印とする製造技術の導入に積極的だったことが挙げられると思う。例えばドイツ移民のGruen氏が創業したGruen社。息子をドイツの時計工場に修行に出して、はじめはドイツの工場にアメリカ風量産技術を導入してムーブメント調達を試みた形跡がある。結局頑固なドイツ職人が相手でうまく行かず、スイスのAegler社に協業先を切り替えたのかもしれない。

19世紀のアメリカで始まった新しい量産技術は、元々は、懐中時計を安く大量に作って大儲けしたいために導入されたものだったが、20世紀に入り腕時計の時代になると、小さな腕時計で十分な精度を出すための必須技術となった。懐中時計の頃から柔軟にアメリカのやり方を受け入れてきたスイスにとって、第一次大戦後の好景気でアメリカの人件費が高騰したこともあり大チャンスである。David ReportのDavidさんを雇っていたLongines社がスイス最大の完成品時計メーカーとなった1920年頃、スイス時計産業は世界一の座をアメリカから奪い返す。第二次大戦、アメリカはまた戦争に勝って人件費はどんどん高騰する。1950年代以降、アメリカの時計会社は米国内の設備は次々に閉じ、スイスに持っていた設備はスイスの会社に売却し、1969年のSeiko社のクォーツ時計市販開始の致命的な影響の下に幕を閉じる。

上の写真は私がebayで入手したもの。Walthamの懐中時計ムーブメント、Seaside/モデル1891/0s/7j/1895年製造、が、1930年頃製のWadsworth社製の10K金張りのtrench caseに収められている。

元々時計は、ムーブメントと文字盤と針までが時計会社の仕事で、ケースは専門のケース会社が作り、町の時計屋(watch maker)がムーブメントとケースとを仕入れてひとつの製品にする、というように分業されていた。創業期のロンドンのRolex社もそんな感じのwatch makerとしてスタートしている。アメリカでは20世紀中頃にコスト競争力強化のために時計会社がケース会社を買収する試みが目立つが、それまでのアメリカには時計会社の数をはるかに上回るケース会社があって、町の時計屋さんに懐中時計を持ち込んで腕時計に仕立て直してもらう、なんていうのは普通に行われていたらしい。

写真のSeasideはWalthamのラインアップでの最低価格シリーズ。より古いタイプの懐中時計では輪列を一枚の板で押さえ防塵効果を重視したFull plate構造が多かったが、この頃は時計の薄さも考慮され、テンプ部分のプレートを切り欠いた3/4 plateという構造のものが多い。さすがにこのくらいの低価格機だと、巻き上げヒゲではないし、緩急微動もない。

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