【エッセイ】彼、彼、彼

別れた直後は、彼のことしか考えられなかった。
でも今は、二人で買った鍋とか、トマトの苗とか、大きなビーズクッションとか、あれどうしたのかな、今でも使ってるのかな、と気になってしまう。別れる直前に誕生日を迎えた彼にあげたサンダルは?履いているのだろうか。彼のことだから、靴箱の奥の方にどうしたらいいか分からず、しまっているかもしれない。

思い出を振り返ると、切なく苦い気持ちになるのに、写真の中の私はとても楽しそうに笑っている。今思い返すと沢山の疑念が浮かぶけど、当時の私はただ愛されていたんだな、と感じる。
今どうしたらいいかわからない私は、昔の私に聞いてみたい。どうしたらいいんだろう?私はまた同じようなことを繰り返しているだけなのかな、そんなはずはないと、あの時学んだはずの経験から、きっと何かが変わっているはずだと、思っているけど。

あの時の私は必死で、命綱を掴むように彼と付き合っていた。息を吸える場所が、彼の隣だけだった。友達に話すとみんな、依存だよねって言うので、確かにそうだったかもしれないと、別れてから反省した。そして私の思い出たちは、全部が「依存だったのだ」という一文が覆い被さることで、どこか暗く、埃っぽいものになってしまった。

今私の隣にいる彼に、私は依存しているのだろうか。依存と愛情の違いってなんなんだろう。恋愛コラムで「一緒にいても不安になるのが依存、幸せな気持ちになるなら愛情」とか言うけど、そんな言葉でまとめられても、なんかよく分からない。だって、本当に好きで、そういう時って、一緒にいても不安になることはあるんじゃないの?本当に好きなら、無いのかな。
あの人はどういうかな、愛と自信に満ちた、あの素敵な女性。でもそんな人たちも、口に出す言葉と、本当に彼女たちが生きてきた時間には、何か空白の差があるような気がする。そしてそこに、彼女たちの本当に大切な、言葉には表せないものたちが浮かんでいるような気がする。だから私はそこから目を離せず、何を言われても一度は大きな共感と信頼をもって頷くけど、少し時間が経つとまた首を傾げてしまうだろう。
こんな風に、あれこれと考えてしまうのが全ての原因なのだろうか。もっと素直に、彼がくれる言葉も受け入れられたら、私から発せられる言葉ももっと正直で、愛からひたひたと雫を落としながら生まれてくるものに、なるような気がする。
きっと、当時の私は「それでもいいよ、依存でもなんでも、彼が好きならそれでいいよ」と言うだろう。依存と愛情の違いなんて分からない。そして、その差にははっきりとした違いはなくて、ただ緩やかな坂になっていて、みんなそこを日々行ったり来たりしているような、気がする。

彼の隣にいる時、他愛もない会話で彼の名前を呼ぶ時、はっとすることがある。私、今なんて言った?彼の名前をちゃんと呼んだだろうか?知らない人の名前を呼んだような、なんかそんな気がする。
私が呼んだ彼の名前は、薄い膜のような、どこか別の次元に置かれたような、そんな場所に浮かんでいる。私はそれを見つけて、触ってみて、よかった、ちゃんと彼の名前を呼んでいた、と安心する。私は一体、誰の隣にいるのだろう。彼の隣にいる私は今、ちゃんと彼の隣にいるのだろうか。彼の隣にいるって、なんなんだろう、その私は本当に私で、彼は本当に彼なのだろうか。この気持ちはなんなのだろう。

恋愛って、本当に不思議なことばかり。




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