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推しのお菓子を語るようなテンションで、自分の宗教について語れる社会になればいいのに🍡


はじめに

宗教の話って、しにくいなぁーーーって思います。

・・・でも、しちゃいますけどね。笑


最近、カルト宗教の信者だったという方の体験記をネットで見か蹴るようになりました。「カルト」という言葉にひかれて興味を持つ人もいるんだろうなぁと思いますが、一宗教の信者である私としては、少々複雑な気もします。

日本ではなかなか、宗教の話をするのは難しいですね。口には出さないものの、タブー視されているようにも思います。

なぜ宗教について語ってはいけない雰囲気なのか

正確に言うと、神道、仏教、キリスト教くらいまでは、日本文化や習慣、カレンダーに深く関わっているのでそれほど抵抗がないと思います。しかし逆に、これらの宗教は生活に密着しているせいなのか、信仰や教えに関して熱く語っている人には私はあまり出会ったことがありません。

宗教に関することについてあまり大きな声で言いにくいという実情があるというのは、世界で起きている紛争に宗教が絡んでいることは少なくないということも影響していると思います。しかしながら、以前日本で大きな事件を起こした宗教があった、というのが一つの大きな答えになるように思いますが、果たしてそれが正解かどうかは私にはわかりません。

私の実家は天理教の教会ですが、私が小学生の頃は、天理教だと言ってもそれほど抵抗なくチラシを受け取ってくださったり、教会に人がたくさん出入りしていたように思います。それが、あの事件が起きた中学生のとき「お前の家も危ないんじゃないの?」とか「〇ウム天理教」というようなことを言われました。その頃からなんとなく、宗教の話はしにくいような雰囲気を感じるようになりました。

宗教を信じるのは悪いことじゃないはずなのに

実際には、日本にはたくさんの宗教があって、正確な数はわかりませんが信仰を持っている人はたくさんいると思います。ですが、SNS上のプロフィールを見ても、自分の宗教を明記している人は少ないように思いますし、宗教について、教えの一端を紹介するようなアカウントはあっても、自分の趣味やビジネスについて語りながら、自分の信仰についてもざっくばらんに語っているアカウントはあまり見受けられません。

そもそも自分は宗教を信仰していないという人も増えているようにも思います。そうやって自分の力を過信するあまり、逆に追い込まれてしまっている人たちを見ると、私は悲しい気持ちになります。

宗教を信じることは、悪いことではありません。しかし、言いにくいのです。日本人は、宗教に対してネガティブなイメージを持ちすぎているように思います。そうならざるを得ない状況があったことはわかりますが、最終的に自殺にまで追い込まれるような人が増える中で、宗教が手を差し伸べられていないというのは悲しい現実です。

推しのお菓子を語るかのように、誰もが自分を開示できる社会へ

宗教は怖い、とか、洗脳されそう、とか、そういう先入観があると、確かに難しいと思いますね。私も正直、カルト宗教に関しては怖いです。だからといって、全ての宗教はカルトではなく、人の幸せのためにがんばっている人もたくさんいるということははっきり申し上げておきたいです。ですから、一緒くたに「宗教は怖いものだ」というイメージは、少し横においてもらえると私としてはすごくうれしいです。

友人同士で推しのお菓子の話をするのは簡単ですよね。私はチョコが好き、とか、チョコの中でもホワイトチョコが好き、とか、いやポテチでしょ、クッキーでしょ、とか、いろんな話で盛り上がれますよね。そして、どれもそれぞれの味わいがあっておいしいのです。否定のしようがありません。

お菓子と同じテンションで、宗教についても、自分が好きだと思っているところとか、互いの宗教の共通点を探してみたりとか、へぇ〜そんな活動をしてるんだ、とか、気楽に話せる社会になればいいのにな、と思います。

おわりに

やっぱり今の日本社会は、マイノリティが苦しい社会ですね。マジョリティからはみ出ると、どうしても疏外されてしまう。自分の中にあるものを隠さなくてもいい社会になればいいのに、って思います。

多様性を受け入れる社会、まずは、私自身が多様性を受け入れられる人間になりたいと思います。


最後までお読みくださり、ありがとうございました!

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