間違いを犯した女の話 #7

子供は10歳になる。大人として認められるまであと8年。
やはり少なくともそれまでは親子3人が生活をともにするべきなのだろうと漠然と考えてはきた。しかし、それも女の中で限界を見せ始めている。

この生活を誰もが「しょうがない」と納得して終わらせるには、

父母
自分
のいずれかが死ぬしかない。
女はそう思った。もちろん、本当に死んでほしいと思っているわけではない。誰かや自分自身をも傷付けようなどという気は寸分たりともなかった。一つの条件として、という意味である。誰に話しても耳を傾けないこの状況で考えられる条件はそれくらいしかなかった。

女は追い詰められていたのだ。だからだろう、もし誰かが死んだのなら、という想像をするようになった。追い詰められて癒やしのない女に夢は無く、だから、夢を持つ代わりに白昼夢を見た。

始めは、白昼夢とは言え、そんな自分の思考を咎めた。そんなことを考えてはいけない。なんて恐ろしく醜い人間なのだろうと何度も自分を責めた。だが、不幸ばかりが目につく現実に押しつぶされそうになって、想像することに抵抗がなくなっていった。ただ想像するだけだ。それで希望が持てるのなら、それでいいではないか。想像するだけではだれも傷つけはしない。

親という責任をまっとうするために、女は自分を殺してきた。しかし、それも限界になった今、今度は他人を殺すしかなかった。もちろん、想像の中だけでではなるが。

そして、想像はやがて願いになった。神にも仏にも祈るわけではない。だが、心の片隅でそうなればいいと願う自分がはっきりと認識できるようになった。

これからあと8年これまで耐えてきたのと同じくらいの時間をまだ耐え抜かねばならない。責任というものはこんなにも重いものなのだろうか。夫と結婚をしたという間違いの責任を取るために、女は十何年という歳月を自分を殺し、人を(想像の中で)殺して過ごすのだ。本当にこれでいいのだろうか。自分の人生は子供のために、大切な人のために捨てなければならないのだろうか。それが責任というものなのだろうか。このまま生きて何になるのだろう。いいことなどあるのだろうか。自分は誰のために生きているのだろう。この人生は失敗だったということなのだろうか。

それなら、もうこれ以上生き続けて意味があるとも思えなかった。この人生で自分の為にできることはもう一つしか残されていないと女は考えた。そして一通の手紙を書いた。

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