ライスフィールド展開能力
いうまでもないだろうが、この「ライスフィールド」とは、『新世紀エヴァンゲリオン』のA.T.フィールドをもじったものである。
ライスフィールドを展開できるようになったことは、稲作によって得られた予期せぬ副産物の一つだ。精神衛生上、効果絶大である。
生計を立てるという意味で「メシを食う」という表現がつかわれるほど、メシを食うことは人間の生活の基盤を成す。だからこそ、メシのためには時にイヤなやつにも従わなければならない。飢えの恐怖を植えつけることによって、権力は民衆を自発的に隷従するようしむける。
もっとも、「メシを食う」はただの比喩表現なのであって、その内実はいまや、実際にメシを食うことがさほど大きな割合を占めるわけではない。メシ=食料の値段は知れたものだ。現代の「メシ」=必需品とはむしろ、家賃や交通費や通信費や娯楽費等、「ふつうの」文化的生活にかかる金のことである。権力者や社会の構造は、「メシ」の変容にあわせた「飢え」の恐怖をわれわれに植えつけ支配するのである。
「メシ」の内実は変容したかもしれない。それでも、それが比喩になる以前のメシ=米を実際に自分で作れたときの心躍る自由の感覚は、それこそ比喩以前の強度をもつ。
そうしてここに、ライスフィールド展開能力は獲得される。それは、どんな社会的苦境――金欠で就職したくなったとき、マウントを取られそうになったとき、何か圧倒的な人物や作品に遭遇したとき、等々――にあっても、心の中で「おれメシ作ってるし」と唱えるだけで自我を保護できる力である。
つまり、わたしが米を作りつづけるかぎり、誰もわたしを倒せないのだ。
……途中ですごく虚しくなったが、「逃げちゃダメだ」と思って書いたので100円ください。
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