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この瞬間...

 ぽてちです。




注意事項

 ちょっと重い話かもしれません。ご了承ください。

本編

 僕の人生の目標を考えた。もう僕は、色々諦めている節があるので、ここを考えて、逆算していこうという思考になった。
 その結果、出てきたのが、『幸せだけを感じる瞬間』だった。
 僕は、いい人ではなく、明らかに悪い人側の人なので、どんな瞬間にも、感じる罪悪感が存在する。(自覚してるのはどうなんだと思われそうだけど、自覚してないと、本当にやばい時に自分ですら対応できなくなるから自覚してる)
 そんな、罪悪感も感じずにただ笑う瞬間。「今日!最高だったんだよ!」という話を、ぬいぐるみに語り聞かせる日が来てほしい。

 では、どういう基準で、『幸せだけを感じる瞬間』になるのかと言うのを考える。

 まずは、"安定"しているということ。先に不安定になることはある。それは承知の上だが、「"今"この瞬間、安定している!」という気分になると、体がグッと軽くなる。ちなみに今は、超絶不安定なので、体が地球とくっついている。そう。僕は、重力すら感じないぐらいの、ほわぁとした感覚がほしい。
 映画を観た時の信じられない光景。見たことない、現実とは思えないけど、どこか現実のような光景を見た時のような、あの感覚がほしい。その瞬間に、「先、不安定なんだよな〜」なんて考える人は居ない。みんな、その瞬間は、"安定"している。
 あとは、金銭的な意味でも、安定しているといいな。難しいけどね。「これなら、生きられる!」っていう保証をつけられる貯金って。

 二つ目は、心の底から楽しいということ。今頑張って、思い返して、心の底から楽しかったと思ったのは、『オードリーのオールナイトニッポン in 東京ドーム』と『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』を観た時かな。今年だったら。半年ぐらい、心の底から楽しんでないんだ。難しいよね。心の底からって。

 三つ目が、ハードな気がする。それは、罪悪感を感じないということ。
 最初に書いたみたいに、僕は「過去を振り返らない方がいいよ」というセリフが貫通しない。「できねえんだよ!」とカウンターする。
 僕が望むのは、そのカウンターすることなく、ふっと避けることを望んでいる。
 「これができてよかった」ということを胸を張って言えなければならない。それがどれだけ、僕にとって難しいのかは、僕ですらわからない。それぐらい難しいこと。でも、それが僕にとって大切なことだと思う。

 僕は、クソ野郎だ。だけど、生きる権利が与えられている以上、とんでもないクソ野郎にもその光景を見る権利がある。
 読んだ人の中には、もしかしたら、「何を望んでいるんだ」と思う人が居そうな気もするけど、いいじゃないか。悪い奴がいい奴になるのは。
 僕の力で、この悪い部分を治すのは不可能に思える。その悪い部分が治せなくても、制御ができるようになって、誰かに手を差し伸べれるようになった成果として、そういう光景が見れたらなという願い。
 時計が止まる前に

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