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誰かの話したことが刺さらない。

 こんにちは、ぽてちです。
 今まで、ここで名前しか言わなかった気がしますね。挨拶を忘れていました。申し訳ありません。

 僕は、他人があれこれを言ってるのがあまり好きじゃない。たとえば、Twitter(現 X)とかInstagramなどで、有名人の名言だのこれをしたら人生が楽になる!とかの人たちが言っていることを『人生の教訓』と題して、リリースしている。
 「他人と比べない」、「周りの人はそこまで気にしてないよ」などなどといっぱい出てくる。
 その昔、ここら辺の言葉を異常なぐらい探していた時があった。救われると本気で思っていた。
 結果的には不可能だった。
 人と比べるななんて言われたって、比べるし、周りの人が気にしてないと分かっていても、 めっちゃ気になる。
 そんな言葉で人生なんて変わらない。言われただけで変わるわけがないと思って、こういう言葉を見るのが嫌いになった。
 最初はちゃんと意識して、やってみるんだけど、「いや、無理じゃね?」ってなる。
 きっとこれは、人と比べるのも、周りの人が気になると思うのも、きっかけがある。自分に焼きつくほどのことが、たった一言の言葉で変わるわけがない。それを自然治癒してくれるのは、本当に気にしない人が周りにいることだったり、時間が過ぎて、いろんなことを経験することぐらいしかない。
 それで変わってくれたら、どれだけいいことでしょうか。
 「今はやめろ」と言って、「立ち直れ」と言って、やめることも立ち直ることなんてことはないのだ。
 ここら辺の言葉は、アドバイス程度で、本気で受け止めるのはあまり良くないのだと思う。
 もし、ここらへんのことを、意識的にやっているのであれば、抜け出すことは可能なのかもしれないが、自然と反応してしまうことに対しては、無理。
 ここで、刺さるパターンが存在する。それは、映画やドラマのように、ストーリーがあると刺さる。
 現在は、ほとんどが人間が作っているので、そのストーリーはその人の実体験だったりが少なくとも反映されているはずなんだけど、それを元に作ったちゃんとした物語は、ぐっと刺さる。
 刺さるとかいうレベルを超えて、沁みている。
 なぜなら、それは、その人が経験した出来事だから。
 僕は、多分一言ぽんと言われるのが嫌いなだけなのだろう。そこに説得力もなにもない。だけど、物語となると、そこの教えに説明が付く。それにより、説得力が増して、僕は、その言葉が刺さる。

 最近、僕はよく自分を洗脳しようとする。勉強が苦手で、やるまでに時間がすっごいかかる。
 なので、「これをやったらな、これができるんだよ。ほら、うまい話だろ?」と言って、動く。
 これをやって、なかなか動かない体を動かそうと頑張ってるけど、相当やりたくないのか、とんでもない量の負荷を体にかけて、一度ピットに戻ってくる。(どんなに内容が面白くても、入り込めない)
 まだ体が慣れてないみたい。これを続けてたら、慣れてきて、ピットに戻る回数減るかな?
 もし、これで減ったら、僕は続けたら、苦手でも慣れる時は来るという結果が返ってくる。
 それかあれなんかな。あえて、めっちゃやりまくって、若干オーバーヒートするぐらいやったら良かったりするのかな。ぶっ壊れそうやけどw
 試行錯誤をして、生きていこう。
 「勉強はした方がいい」確かに、その通りだなぁ。

 きっと、いつかは思うのだろう。「あーあの人たちの言っていたこと、本当だったなぁ」と。
 でもな、自分の当たり前とは違うわけだし、それを一言でポンと言われたって、わからない。自分が動かないと、何にもわかんないよそんなこと。

 経験が最強の教え。
 そして、僕はまだまだ経験が足りなさすぎる。

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