見出し画像

日常を繰り返す

 ぽてちです。

僕は日常が楽しい。一週間に一度のラジオ、勉強意欲により、さっぱりわからない教科書を読む。本を読む。 何かをずっと考えて、妄想して、物語を作って、お風呂に入って、寝て、ご飯を食べたり。それが日常。
 そんな中で僕は日常と化した場所があった。"化した"。これまで、非日常だった。なにか物悲しくて、なにか嬉しい気分でもある。
 悲しいのは、昔あんなに全力で楽しんでいたものがその楽しさが薄れた。
 嬉しいのは、普段の生活が楽しいこと、僕がまた別のところに行くということなんだな。
 そういえば、この前、占いかに、「今いるところから変える」みたいなことが書いてあった。当たっている。ちょっとはびっくりする。
 ある人に、「楽しいんですけど、なんか…楽しくない自分が居る」と話した。そしたら、「今までチューイにとっての非日常が日常になった」と言われた。たしかにその通りだ。心の中でヘッドバンギングしていた。心の首が痛い。
 日常が非日常に変わったということだ。それは新鮮で見たことのないなにかであった。自分で感じたことのない感覚で、とにかく、「た、楽しい!」と言っている。
 これがまた、日常になれば、また新しい非日常が楽しくなって、それが日常になって、また別のことで、日常が非日常になるんだな。それの繰り返しである。現状維持なんて不可能なことを知った。
 普段あることの現状維持はできても、気持ちは維持しない。歯磨きを楽しいと思う時もあれば、楽しいと思わない時もある。寝たい夜があれば、寝たくない夜もある。
 普通と、特別。そこを反復横跳びするからこそ、楽しいのかもしれない。
 はえ〜変わったなぁ。初めてこんなことを実感する。
 大人になったな〜とか、感じる瞬間っていうのもあるのかな。その時点で、変化を感じることがなくても、いつの日か、感じることが来るとするのであれば、ちょっと楽しみでもある。
 一瞬一瞬を楽しまないといけないな。だとしたら、もうちょっと慎重になりそうな気がする。それはそれで良くないような。
 また新しい非日常と、いつも通りの日常を楽しみながら、その変化いつの日か知る。
 曖昧の中で生きる。未来もわからないし、次の1秒で何が起こるかなんてわからない。大量にある、情報の中で、未来を多少は想像ができる。曖昧。
 大人になるかも、子供になるかも、非日常と日常の境目。全てが曖昧。
 いつこの日常が非日常になって、いつ非日常が僕の日常を襲ってくるのか楽しみだな!!
 また明日からも楽しみだな〜

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?