光り輝く中にある消えかけの火。
チューイです。
目がパチパチしてる。クリスマスシーズンになって、街に出たら、イルミネーションだらけで眩しさを感じる。そんな感覚を毎日を送っている。
この前、ものづくりの集団の中に突っ込んできた。毎回、すごいなぁと思いながら、人の作品を見る。大体居るのが、年齢が近い人たち。
僕は、それぐらいの人たちの作品を見るのが苦手。なぜだかは知らない。多分、ただの嫉妬で見れない。
少し前に、嫉妬はエネルギーになるみたいなものを見たけど、僕はエネルギーにならない。もはや、冷える。
ちょこちょこ、どこかで賞をもらってきましたっていうので、その人の作品を見た。
最初の感想が、「え、これ同い年が作ったんですか…」だった。
いろんなところで言われる。「他の人の作品見たら、刺激になりますよ」と。
「ならねえよ」と返したいけど、僕は毎度のこと「いやぁ、そうなんですけどね、苦手なんですよね他人の作品を見ることが…」と丁寧に断っている。
ものづくりをやり始めたのは、映画を見始めてからなので、他の人の作品を見ることが嫌いなのではない。
"一緒に頑張ろうや!"みたいな感じなのが苦手なのだろうか。裏に「一緒に、レベルアップしてこーや!」が隠れてて、それが拒否反応を出しているのかもしれない。
周りは、「刺激し合ってるんだろうなぁ…」と思いながら、見ている。あくまでも、僕の目線。
たまに、その中に混ぜられて、「この作品好きなんですよ!!これすごいですよね…」みたいなことを言っている人がいた。(僕の作品に向かっているのではない)
しかも、その後に作品の見せ合いっこをしていた。
なぜ、君は刺激を受けられるんだ!!なぜなんだ!!!確かに、すごい作品であるのはわかる。でも、なぜ語れるんだ!
こういう人たちは他人の作品を見ることで、自分の知識と比べっこしているのだろうか?比べっこをして、自分の足りないところを理解して、それを補うために、自分の作りたいものを考えては、Googleで検索して調べて、新しい知識を養って、またいろんな人の幅広い作品を見ては、「すげぇ〜!」と言って、刺激を受けて、また作り出すのだろう。
それができている人たちは、輝いている。
羨ましい。それは、エネルギーだ。それが欲しかったな。
僕は、一人で何かを作り続けている。ついさっきも完成したものがあった。いつかはリリースする予定。
久々にリリースするなぁとか思って、自分が出してきた作品を見ていたら、過去に自分が出して、すっかり存在を忘れていた作品があった。
読み返して、「あ、こいつ変わってないな」と思った。唯一、驚いたのは、世界観だった。自分で客観的にその世界で何が起こったのかを考えてしまった。
そこで気づいた。僕は、自分の中で消化するのが好きなんだろうと。このnoteだってそうだ。自分で書いて、そのうち読み返して、「あ〜そうだなぁ」と思ったり、「いや、違うよ」と思ったりするのだろう。
別に他人なんか要らなくて、僕が僕なりに安心すればいいのだろう。
でも、それは成長するにはあまりにも時間がかかりすぎる道である。
それでも、この道にはもう一つ分かれ道がある。
それは、没頭することだ。
とにかくYouTubeやGoogle、参考書などで、調べまくって技術力を上げるという方法が存在する。それをすれば、他人の作品なんて見なくても、技術力は上がる。これの問題は他人の作品を見ないので、見せ方などに関しては上がることはそこまでないのだと思う。やったことないので、オーバーなことは言えないけど。(やったことないわけではないけど、ガチガチにやったことはない。)
「よし、じゃあ没頭してみよう」と思って、やろうとしたことがあった。
結果は、期限のあるものに気を取られて、没頭できないだった。
僕には、空間が必要であることがわかった。その空間を作ることは簡単ではないような気がする。
あれ、僕は、この世で生きるのには、向いていないのかもしれない。
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