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母は逃げて良いと思った。その1

この世の中のどれだけの人が、生まれた我が子に障がいがあることを想定しているだろうか、いや無い(たぶん。言い切れない。そして文章変。)。

今日は、我が家の障がい受容の話です。

私も、生まれてきた我が子に障がいがあるなんてツユほども思わずに、次女の子育てをしてきました。遥か12年前。
次女は事情により(韻を踏んでみた)長女とは6歳離れた姉妹として、2009年に誕生しました。それはそれはかわいらしい女の子として。
色は透けるほど白いしつぶらな瞳だし、なによりも久しぶりの新生児ということで我が家も浮き足立っていましたの。


寝ねえ。


わが家、実は長女がとにかくめちゃくちゃ寝る子でして。新生児期に少し夜泣きしたかな?あれ?くらいで。夜まとまって眠るのも早かったし離乳食はめちゃくちゃ食べてたし、とにかく手のかからない子でして。だから余計に寝ない子というのが新鮮というのもありました。

新鮮?え?余裕な感じ?
というわけでもないのですが、この頃(生まれたて)はまだ落ち着いてたかなあと思います。なんせ2人目というのもあったし、退院後直ぐに苛ついていた私に夫が「して欲しいことは言われんと分からん」と言ってくれたので、極力お願いしたいことは夫にお願いしていたというのもあったし、何より夫が「カタトキも離さないという決意を感じる」ほど溺愛していたからです。はい。


でもねえ。
毎日24時間一緒にいると分かる何かってあるよね。次女の場合は「共感する」というのがとっても弱かったんです。指さしもなかったし、目もなかなか合わなかったんです。私以外には。母の目はじいっーっと見つめてくるし、なんなら嬉し過ぎて母乳から口が外れてニコニコし過ぎて飲めないってことが頻回にあるくらい、「the・母イノチ」だったんです。

なんかおかしいなあって思って、Google先生に聞いたのが最初でした。

「子ども 目が合わない」


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その時の履歴とは全然違うけど、その時はガラケーだったけど、そらもう、出るわ出るわ。その瞬間が初めてわたしが「障がい」と対峙した瞬間でした。


つづく(んだ…結局…)


どうでも良い日常のできこと①

数年前から少し予感はしていましたが、とうとう土曜日に、牡蠣食べて軽くあたりました。ああー。もう牡蠣食べられない。今度食べたらどうなるか分からない。

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