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SNSでの恋愛は平安時代に似ている

 SNS恋愛、と言うのは現代でも珍しくないことだろう。

 ネットでしかやりとりがなかった人のことを好きになってしまうことがある。Facebookなら顔や本当のプロフィールもある程度わかるのかもしれないが、Twitter上の関係などだと、相手の情報は文字でのやり取りとアイコンだけということもあるだろう。
 ネットでのやり取りを重ねるうちに相手のことを好きになり、だんだん会いたくなってきて、思い切ってオフ会の約束を取り付けてみる。恋愛抜きの友達関係としても、そういう知り合い方も増えてきたのではないだろうか。

 こうして書いてみると、非常に現代らしい現象に思える。

 しかし私は、SNS上の恋愛というのは、平安時代の恋愛に似ているのではないかと思うのである。

 平安時代は、結婚するまで男女が直接顔を合わせることはなかった。逆に言えば、顔を見るイコール結婚なので、「逢ふ(う)」「見る」という古語の現代語訳の中には「結婚する」という意味もある。
 当時は、顔を知らない相手と恋愛をすることが必然の世の中であった。もちろん、顔を知らず恋愛もせず、先に結婚が来ることもある。お偉い貴族様には許嫁や政略結婚がつきものである。

 当時、顔を知らない相手と恋愛するために必須だったのが「文」と「和歌」である。平安貴族たちは、文と和歌のやり取りによって、恋の気分を盛り上げ、結婚するに至るまで気持ちを盛り上げていく。

 文や和歌の内容は相手の内面を知るための数少ない手がかりである。ここで量られるのは常識や流行を知っているか、賢いか、気が利くか、そういう点が主だろうか。
 文や和歌で知ることができるのは、手紙の中身だけではない。文に使う紙、焚きしめた香の匂い、一緒に贈られる花、筆跡……これらの情報を総合判断して、恋する彼/彼女の実像をイメージしていくのである。恐らく、妄想を多分に含んだその像は実際よりも、自分の理想に近づけて美化されたものになるだろう。でもそれも恋の楽しいところである。
 ただし、文は姫付きの女房が代筆していることも多いため、本人が書いたという確証は取れない。それでも素晴らしい文ならば、少なくともそのような有能な女房がいるという点でプラス評価になるわけだ。男性側だって、女性側ほどそういう実例は聞かないが、送る前にアドバイスをもらったり添削してもらったりしてから送る貴族だっていたはずだ。

 さて、これは平安時代の話だが、これを現代に当てはめるとすれば。

 まず、顔を知らない相手と恋をするというのがSNS恋愛との共通点だ。今の世の中お手紙でアナログに文通する人も少ないだろうから、平安時代の文の役割を果たしているのはDM(ダイレクト・メッセージ)やメールなどのツールである。
 実物がないので、香はないが、似たものはある。
 アイコンと、写真である。
 アイコンと写真、文字だけのやり取り。それだけの情報から感じる漠然とした情報で量れること……端的にいうと「フィーリングが合うか」「センスがいいか」この2点が大きいのではないだろうか。そして、この2点をとっかかりにするのは、平安時代の人も同じだと思う。文のやりとりや、言葉の選び方、香りの選び方は、「センス」が問われるものである。ついでに、「流行を抑えているか」というポイントを気にする人もいるかもしれない。これも平安時代も同じだ。

 数少ない情報から相手の事を想像して恋が燃え上がるのもSNS恋愛あるあるではないだろうか。

 SNS恋愛での片思い時代は、空き時間に相手のTwitterやらインスタやらをついついチェックしたり、過去に遡ってみたり、相手のフォロワーをチェックしてみたりしたくならないだろうか。あまりやりすぎると「ネットストーカー」になってしまうが、そういう欲が出るのは普通の範囲内のことだと個人的には思う。
 平安時代でこの現象に近いのは、合法覗きとして有名な「垣間見」である。与えられる情報だけでは満足できない! 相手の情報は自分で深掘りしたい。具体的にはオフショットを見せてください。そういう気持ちが、ある意味共通な気がする。やりすぎると犯罪なのも含めて。

 代筆の件も、完全な他人事ではない。LINEやDMだって、目の前にその人がいないわけだから。後ろで誰かアドバイスしているかもしれないし、代わりの誰かが文字を打ち込んでいるかも知れないのである。見えないからわからないのは同じだ。

「顔も知らないのに恋愛したり、代筆かもしれないのにやりとり続けるのって、平安時代って変だなあ!」と思っていたあなた。
 実は変ではない。現代では、そういう恋をするかしないかの選択権があって、平安時代にはないといえるかもしれないが、一度恋してしまったら選択も何も関係ない。

 平安時代は、その年数から想像するよりも遠いものではないのだ。
 1000年以上前の人たちと、私たちは、たしかに同じ心を持っている。そう考えると、古典に書いてあることも、現代だったら……と考えてみたくならないだろうか?
 この記事で、平安時代を少しでも身近に感じてもらえたら幸いである。

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