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全体責任は正しい方法か

全体責任、これは今まで私には関係のない話だった。
全体責任と聞いて真っ先に浮かぶのは、運動部の誰かが問題(喫煙など)を起こしたために、
全員に全体責任として試合出場停止にするというもの。
真面目に頑張っていた他の部員がかわいそうに、
問題を起こした本人に、一生肩身の狭い思いをさせるための嫌がらせ行為であると感じた。

全体責任とは現代社会にそぐわないと思う。

全く悪くない者まで責任を負わされるのだ。
もちろん、共同体の場合、
知っていて見て見ぬ振りをした、
注意をしなかった、という場合、
社会的責任はあると思う。

最近私は生まれて初めて、全体責任を取らされた。

ざっくり言うと、ある方の私物が紛失したために、全員で弁償する事になったのだ。誰が紛失させたのかはわからない。私ではない。
紛失したものは、お金や高価なものではなく、あくまでも私物品。
私はそれを紛失させていないので、お金を出して弁償させられる事を理不尽に感じたため、おかしいという事は伝えた。
法的にも全体責任での支払い義務などないからだ。
ただ金額がかなり少量だったため、
どこかに通告したり、もちろん弁護士を持ち出したりするほどの事でもない。
(そのための時間的労力、交通費の方がよっぽど高くつく)

私がすんなり全体責任に応じた事は、自分でも驚く。
ただ、言われるままに何も考えずに払った訳ではない。
総合的に判断して、
支払った方が私にとっては都合が良かったからだ。
私は意味もなく損をする事を嫌うので、違う形で大きくもとは取る。

今回私は出場停止や、何かを台無しにされたという被害はない。
ただ、

特に子供に、全体責任を取らせるのはやめた方がいいと思う。

全体責任とは、『お前が悪いことをすると他の人にも責任を取らせる』という圧力であり、
全体責任に巻き込まれた側は
『あいつのせいで試合に出れなくなった』という悔しい思いをする。

良くない。

全体責任とは、責任者が責任逃れをするパフォーマンスでもある。

運動部で1人、あるいは数名による問題行為が発覚した場合、
『全員に責任を取らせました。』
と、これ以上何も言わせなくするためのトップの責任逃れが全体責任です。全体に責任を取らせるのではなく、なぜそうなったのかを個別に考えること大切なのです。
(全体が腐っているなら解体するべきですが)

例えば、物が無くなった場合、
管理体制に問題があるため、
責任者はトップなのです。

時代にそぐわない、責任者の責任逃れの全体責任パフォーマンスはもうやめさせるべき。



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