見出し画像

素顔とコンビニ

マスクの下の、顔が見たいと思った。


そのコンビニは、駅までの途中にある。

引っ越したばかりの自宅から、駅までの10分間にコンビニは4軒。

1つは駅の中。

駅と自宅近くばかり使うから、そこに立ち寄ったのはたまたまだった。

4月なのに汗ばむほど暑い日で、アイスコーヒーのPOPに惹かれて入っただけ。

そこで私は、彼をみた。

レジで聞かれた「袋に入れますか」の一言。

マスク越しにしてはよく通る声が、背丈の割に少し高めで気になった。

支払いを済ませながら、チラ見したのを覚えている。

目は合わなかったけど、その日から、たまにそのコンビニを使ってしまう。

彼のシフトがいつだとか、そんなことは知らなくて、調べてみたりもしないけど。

でも、ふらっと行って、しれっと見かけた日は少し、少しだけむず痒い。

私のこの気持ちは一体、なんと言ったらいいのだろう。


あのコンビニに行き始めて1ヶ月。

週に1、2度の、お互いにマスク姿しか知らない、そんな関係。

会話もない、ただの客と、ただの店員のやりとり。

マスクの上の切れ長の目が、大きくはない私の目と、しっかりと合う。

レジの一瞬、会計のまばたき。

私のこの気持ちは一体、なんと言ったらいいのだろう。


通い始めて2ヶ月。

いつの間にか、ここ以外ほとんど行かなくなってしまった。

駅のコンビニは便利だし、自宅近くのコンビニはデザートが美味しい。

でも私は、中途半端なところにある、彼のいるここに来る。

週に3回のそれを狙って、なんでもない顔をして、いつも同じアイスコーヒーを買う。

袋には入れてもらわない。

手渡しで受け取って、軽く頭を下げて帰る。

もうずっと、マスク越しでも目は合っているけど、相変わらず会話はない。

私のこの気持ちは一体、なんと言ったらいいのだろう。


その日は、雨だった。

朝からしっとりと降り続いた雨は、私が帰る頃にはザーザーと音が聞こえるくらいになっていた。

今日は、いない日。

でも私は、彼のコンビニに寄る。

「アイスコーヒーを買う理由もないな」

そんなことを考えながら、新発売のお菓子と水を手に、会計を済ませる。

さっきより強くなった雨にたじろいで、店内のイートインスペースに避難した。

はじっこが良かったけれど、席は1つしか空いていなくて、仕方なく2番目に座る。

ガラス越しに外を眺めると、色とりどりの傘が行き交って忙しい。

水を飲もうか、ちょっと迷って、やめた。

ふとガラスに映る自分と目が合って、なんとなく気まずく、視線を左にやる。

そこに、見慣れたマスクの彼が映っていた。

一瞬で、固まってしまう。

いつもとは違う、Tシャツ姿の彼。

イヤホンとマスクをして、伏し目がちにスマホを眺める彼。

間違いない、でも。

……今日はシフトじゃなかったはずなのに

……さっき水を飲まなくて良かったな

……あたしなんでここに座ったんだろう

固まって動けない。

気づかないといいな、気づかないかな、気づくはずないよな。

私のこの気持ちは一体、なんと……


「今日は、アイスコーヒーじゃないんですね」

片耳のイヤホンを外しながら、マスク姿の彼が言う。

横並びのカウンター、目は、合わない。

精一杯、落ち着いた声で返す「今日は寒くて」

ガラス越しの視線、目は、合わせない。

マスクの下で、ちょっと笑ったような音がした。

「雨ひどいんで、気をつけて」

そう言って、彼はスタッフルームに入っていった。

私も、袋を持って外へ出る。

こっそり振り返ると、もう一人の店員と話している彼の姿が見えた。


傘をさして、家まで帰る。

ザーザー振りの雨の音は小さくて、繰り返し聞こえるのは彼の声。

「今日は、アイスコーヒーじゃないんですね」

「雨ひどいんで、気をつけて」

「キョウハ、アイスコーヒージャナインデスネ」

「アメヒドインデ、キヲツケテ」

弾けるように、傘の中でこだまする彼の声。


マスクの下の、顔が見たいと思った。

素顔も知らない、彼のこと。

私のこの気持ちを恋と、呼んでみてもいいですか。


【妄想ショートショート部】

毎週お題を決めて、2000文字程度のショートショートを投稿しています。

↓お仲間作品紹介





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?