8/28 人生初救急車🚑そして男女平等について考える

ここ数日は、翌日にnoteを書いている。夜書く体力すらないことは、頑張っている証だから気にしない。

タイトルにあるように、昨日人生で初めて救急車に乗った。患者側で。最近の慢性的な疲れと、きつい稽古への恐怖で、身体も心も結構ばてていたまま、きつい稽古をして、熱中症の1歩手前みたいな感じで、視界ぐわんぐわん+意識とぶ+痙攣に。

救急車呼ばれたのはちょっとびっくりしたけど、本当に迷惑かけたな、と思って申し訳なかった。倒れてるのに気づかれて、そこからの同輩の女子と3年生の先輩方の行動が迅速だったおかげで、病院に行くこともなく、体調戻った。ありがたい。

泣くくらいなにかをしたくない、と思ったのは、覚えている限り小学生の4年生くらいで水泳を習っていたのとき、クラスが上がって、選手育成コースに入った時以来。

昨日は余裕がなくて、自分を分析できてなかったけど、今思うと、稽古についていけないのが悔しくて、周りの人に申し訳なくて、そんな自分に腹が立って、ただでさえ冷静でいられてないのに、それでも稽古を休むっていう選択肢は無くて、追い詰められていたんだと思う。

稽古時間は決して長くなくて短く濃い稽古だから耐えればどうにかなる、と自分を過信して、(過信しないと稽古から逃げちゃうから)、稽古に行って頑張ろうと思ったけど、結局これ。どうするのが正解だったんだろう。

まあ、無事にきつい週も終わったから一安心。来週はどうなるんだろう、怖いなぁ。

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体力付けるのを目的にしたきつい稽古を通じて感じていたことがあるので、うまく言葉にできるわからないけど、書いてみる。

わたしは、中高女子校、さらに剣道部だったから自分のことは自分でやる、重い荷物も自分で持つ、というのが当たり前だった。

だからなのか、大学来て、男子が重い荷物を持ってくれることに、部活の3役がすべて男子であることに、理解はできるんだけど、どうしても違和感があった。一般的な女子よりは体力も力もあって、それなりの力作業はできるし、もちろん仕事だってそれなりにできる。なのにどうして?と。男女平等であるべきじゃないの?と。

でも男子との稽古が始まって、どんなにひょろひょろの男子も、自分よりパワーも体力もあって、剣道、ではそうそう勝てないことが分かった。(男子との稽古で確実に強くなれるし、たまに一本とれたりすることもあるから、それはそれでいいけど。)必死に稽古についていっても、今回みたいにみんなに迷惑かけちゃう。

(もちろんもっと強くなるのは前提だけど)どうあがいても男子のレベルまで体力、パワーをつけることは難しくて、男子と同じようにやろうとしても限界がある。それは男女平等を求める私からすればすごく悔しいことで。

重い荷物は男が持つよ、とか、ありがたいしうれしいけど、自分でもできるから、正直うーーん、って思う。のくせに稽古は体力の性差があるからついていけません、は矛盾しているだろう、と。

どうすれば、思っていることと現実が一致するのか考えた。

そもそも私が中途半端にパワーと体力があるのが悪いのかもしれない、という結論と、私が体力を男子レベルまでつける、という結論になった。男子レベルと一言で言っても広いけど、ここでは稽古一度も抜けずにしっかりついていく、というレベル。どうやっても屈強な男子と同じにはなれないからね。

もちろんどっちをとるか、と言えば後者しかない。ついたパワーと体力を自ら無くすことほど悲しいことはないから。

うん、書いててかなり結論出た、やっぱり稽古についていくしかない、な。

頑張るっきゃないのだ、ここまで自分を追い込めることも今しかないだろうから、頑張る。生きてる、って感じする。



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