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旅人のココロ 住み人知らず

ホーチミンやベトナムを嫌う人

ご存知の通り、私はホーチミンが大好きな訳ですが、中には、ホーチミンが嫌いで嫌いで仕方ない、という方もいます。そりゃそうだ。万人に好かれるものなどない。例えばこんな記事を最近見ました。

フォーをゲテモノ、と言い、「東南アジアで訪れた国で一番ひどかったところを挙げると、文句なしにベトナムである。」と、冒頭で言い切っている。

自分の好きなものをここまで言われては心外だけど、仕方ない。人の感じ方というのは色々なのだ。

他にも、空港タクシーでぼったくられた人、店の店員が仕事中に携帯を見ていたとお怒りの方、お国柄でもある交通事情がけしからん、といきり立つ人。それらを持って「ホーチミン最低!」と吐き捨てる方も見てきました。

白状すると、理由を聞いた時の感想は「そんなことで?」という感じ。住み慣れた人間の驕り。今思うと全く思いやりのないことで、旅行者さんのアテンドをさせてもらう機会が多いというのに、なんと不遜であったことか、と、先日のフィリピン旅行で思い知り、反省しきりとなったのでした。


フィリピン旅行で閉じた心

テト(旧正月)の間、フィリピン旅行に行ったのですが、マリンスポーツが盛んなところ=それを目指す観光客が多いところに行ったので、声をかけてくる人来る人が「ぼったくって来る」(笑)

ここで相場を知っていれば「(ヾノ・∀・`)ナイナイ」と顔文字で返しておしまいですよ。でも今回は旅行前の忙しさにかまけて、完全にリサーチ不足。相場がわからなかったことと、明らかに相手の態度が不穏なので、疑心暗鬼になるばかり。しょっぱなから気持ちが暗い。

対照的に、フィリピンの人はとても明くぼったくって来る(笑)。一見とても愛想が良く、気持ちの良い挨拶に見える。だからホーチミンでそうするように、挨拶をしてきた人にはこちらもするし、なんなら目が合えばこちらからもする。するのですが。。。

挨拶を返したが最後、その後のほとんどがツアーや物を売る話。挨拶だけで済むのはホテルの店員さんか、定額で商品を提供しているお店の人。もちろんご商売をされてない方とも挨拶は交わせたと思うのですが、そうする隙がない程、物売りが来る。

しかもそのセールス、私的には買うに値しない、もうそれ10年くらい在庫で抱えてない?と思われるような、おざなりアクセサリーだったり、相場の3倍のオプションツアー。もちろん断るわけですが、ニコやかにしつこい。

これにはさすがに閉口し、一時は挨拶を返すのも億劫に。でも…それは人間としてどうなんだろう?と旦那さんにたしなめられて、セールスを断るにしても、挨拶だけは返そうよ、と二人で決めた。

でも、挨拶を交わす、というのは、「あなたに敵意はありませんよ」という気持ちの印でもあると思うのに、直後は戦わなければならない。完全に脳内不整合。ダブルバインド状態で、心がだんだん閉じてしまった。

さらに、数日セールスを断り続けると、今度は向こうがこちらを無視するように。金にならない人間には笑顔も挨拶も必要ない、と言わんばかりに。

気持ちが辛かったとしても、挨拶だけは返そうね、などと思ったこちらの徒労感と言ったらあなた。

「というか、あんたそれ考えすぎ。向こうはなーんも考えてないから」

とは、その後愚痴った友人談。そうですね。真面目に考え誠意を尽くすのは、それに値する人であって、袖触れ合うだけの人に、そこまで気持ちをすり減らすことはなかったのかも。あー疲れた。

何はともあれ、すっかり心を閉じてしまったちぇり僧さんは、リゾート地で書き物に没頭するという楽しみ方に切り替えてしまったのでした。可愛くない。せっかく楽しませようと連れて来てくれた旦那さんにも失礼千万。

でもどうしようもなく、心が塞いでしまったのです。フィリピンには他にも良い人良い場所、良いことがきっとたくさんあるはずなのに、それを拾うと気力も湧かないほど閉じた自分。こんなの、久しぶりのことである。

心が閉じて、笑顔が消えた。
パタン、という閉じる音が聞こえるくらいに明確に。


閉じるが先か 開くが先か

そんな時に、ふと思ったのです。
ホーチミン好きを公言する私に「ホーチミンなんて大嫌いだ!」と面と向かって言って来る人は少ないですが(笑)、どうしてもホーチミンを受け入れられない人がいるのは事実で、今まで私は彼らに対して(勿体無いな)などと感じていたけど、フィリピンにいた時の自分はまさに彼らと同じ。

自分にはホーチミンで、たまたま心を開きたくなる出来事が先に来て、その後はプラスマイナスどっちもありつつ、自分にとってプラスなことが多く起こってくれたので、好意的に捉えることができただけ。

ネガティブな人たちを見て、もっと物事の良い面を見ればいいのに、と、少なからず思っていたが、それができないほど心が閉じてしまうことがあるんですね。我が身に起こって初めて知った。

好きになれない、好きになろうとしたくもなれないこともある。

こういう時は無理せず対象から距離を置く、といういのが自分ルールなのですが、旅行先がその対象だと距離が置けない。結果、心を閉じることで距離を確保した、という次第。


閉じた心の開き方

旅は数日で終わる。ので、しばらくフィリピンはもういいや、という結論で自分の中では良しとしている。ホーチミンを嫌う人も、そんな感じだったのかも。数日で解放されることがわかってるんだから、労力を費やす選択をする人の方が少なかろう。

でも。できれば好きになってほしいな。ホーチミン、楽しんでってくれるといいな、と思うので、どうやったら自分はフィリピンを好きになれた可能性があったのだろう、と考えた。

結果、得られた答えは「旅先のことを知る」じゃなかったのかなぁと。

知らないことが疑心暗鬼を産みやすくなる。悪意に解釈しがちにる。知らなかったから不意打ちを食らって受け身を取れず、ダメージを大きくした。知る、というのはそれらを緩和する盾になる。時には強力な武器となる。

フィリピンでの一件は、事前の調べが疎か過ぎたのが原因だった。彼らがああいう姿勢だってことは、調べればわかったことだ。それで行くか行かないかも決められたはずだし、行くしかなかったのであれば、対策だって取れたはず。

そういう風潮であるということ、土地の相場、自分が確実に楽しめる何かを見つけておくなどやっておけば、あそこまで、心を閉じてしまわなくっても良かったんじゃないかなぁ、と思ったり。


旅人になって、伝えるべきことを考えた

今回のことは、きっとフィリピンにお住いで、フィリピンをお好きな方にして見ると「そんなことで?」案件だろうと思います。ホーチミンを嫌う人に、私が感じていたように。

在住者と旅行者では、視点も違うし体験する経験も違う。ホーチミンにだっているのです、隙あらばボッタクろうとする人たちが。ただ居住してると、わざわざそういうところに行かないから見えにくい。その鬱陶しさを身にしみて感じる機会が少ない、もしくは慣れて眼中に入れてない。

心を閉じるしかなかった経験は気持ちの良いものじゃなかったけれど、久しぶりに不用意な旅人になってみて色々見えたこともあったのでした。


心を開かないという一手

ただ全てのものに、心を開くべきだなんては思わない。それは神様にお任せしよう。人間だもの。心を開きたくない人、場所、事案ってあるものですよ。

人生には一つでも楽しいこと、美味しいものがあった方が良い、とは思うのですが、それを勝ち取るには、要らないものを捨てる、見ない、相手にしない、という選択もまた、必要なこと。

だからどうしてもどうしてもホーチミンに気持ちが向かない、という方を、無理に振り向かせようなんて思いません。ただ、これからホーチミンに接する人が、知らなかったが故に嫌いになってしまうようなことが少しでも減ってくれるように、今後、この note を書いていこうと思ったのでした。

毎日のブログの更新が先に来て、こちらの更新、なかなか進んでいませんが、ガイドブックにない、「ホーチミンを楽しく過ごしてもらうために知っておいてほしい情報」を連ねていきたいと思います。


フィリピンを愛する方へ

フィリピンの方、フィリピンにお住いの方、フィリピンを愛してる方。嫌な引き合いに出してしまってごめんなさいね。あくまで個人の感じたことで、「まぁそういう奴もおるわいね」と捨て置いてもらえれば幸いです。

そして次はしばらくないかもですが、今回の経験のおかげで、この note の指針が決まりました。その点に関しては、ありがとう。

あの特別大きくぼったくって来た人については、次回どっかで顔合わせたら、「あっかんベロベロバー!!!(*`ω´*)」とすると思いますが。


2019年2月18日
ちぇり

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