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ちぇりがホーチミンを好きな理由   004 立ち止まるより助ける人々

◇お節介な人々

このnoteの中の、「ちぇりがホーチミンを好きな理由」シリーズの初回に書いた話のこちらを覚えておいでだろうか。

ホーチミンのどこが好き?と聞かれたら、真っ先にお話ししたくなるのがここにいる人たちのこと。いろんな話があるのですが、まずは私が当初からとても助けてもらった彼らの「おせっかい」について書いた回。

それは「たまたま」の出来事ではなく、ホーチミンに住み始めた当初から今に至るまでずっと変わらない。このコロナで社会隔離という稀有な体験をしていた時ですら、あらゆる知り合いは連絡をくれ、困ったことはないかと尋ねてくれる始末。

いや…皆さんも大変じゃない?!
特に飲食関係の知り合いが多かったので、部外者ながら気が気じゃなかった。でも驚くような返事を数々もらったのです。

今回は、助けられた、というよりも、見習いたい彼らのコロナによる社会隔離中から今に至るまでのエピソードをいくつか。

◇マスク不足時にマスクをシェア?

まだマスク着用が義務ではなかった頃、バイクタクシーを呼び、後ろに乗って出かけた時のこと。ほとんど英語が通じないドライバーさんが、信号停止の時に、運転手さんが何やら私に聞いている。マスクはしないのか?と言ってる様子。

ああごめんね、マスクしてないの嫌だったよね、申し訳ない。なるべく距離をとって座るようにするよ。Xin loi(ごめんなさい)とお詫びを伝えようとしたら…

運転手さん、「ちげーよ!」みたいな感じで(なんて言ったかは知らないけどきっとそう言った)おもむろにカバンの中から何かを出して、ホイッと私に渡してきた。個別にプラスチック包装をされた新品の、マスク。

うわそんなに警戒されてたのか、ごめんなさいー!と思っていたら、どうもやっぱりこちらを嫌がっているそぶりがない。どころか人を心配する目でこちらを見てる。ノンバーバルなコミュニケーションが、ベトナムの人は日本人と近いと思うこんな時。

なんとか聞き取れる単語の端々を総合すると「あんたマスクした方がいいよ、コロナにかかったらどうすんの!」みたいな感じ。

しかし世はマスク不足。手に入れるの大変な状態。そんな貴重なマスク、たかが一回乗るだけの客にくれなくていいよ!帰ったらあるし!と、一度は遠慮したものの、

「いいから持ってきな!」

と江戸っ子顔負けな調子と、はにかみ笑いで押し付けるようにマスクを渡された。ちょっと、泣きそうになったよね。

以降は、そんな風に気遣わせることがないように、義務じゃなかったけど、外出時にはなるべくマスクをするようになった。あのおじちゃんのご厚意にお礼ができるとしたら、彼らの手元のマスクを頂くような事態にならないよう、気をつけることくらいだよなと思ったので。

聞けば街中のあちこちで、マスクの備蓄に余裕のある個人が、手にれられない人に配ったり、もとより布マスクは潤沢にあちこちで売られていたお国柄。布マスクでもいいからすべし、となった後の展開は推して知るべし。

もちろんご自身のものも確保はした上で、なのだろうけど、この先一生会わないかもしれない1客にも進んで分け与えようとしてくれることがいたのには本当に驚いたし、心から嬉しかった。

こういうとこあるよね、この国の人。


◇自らドナーの申し出をする人たち

さてこのコロナの事態下で一人の死者も出さなかったベトナムですが、実はまだ治療中で重症の方が一人だけいます。

大方の方は順調に回復して退院されているのですが、英国の方で重症化してしまった方がおられ、もう肺の移植をするしか手立てがないのでは、というところまで来ているようで大変にお気の毒。

そんな方の話を聞いて、こんな行動を起こした人たちがいたそうです。

なんと26人もの人が、自分がドナーになると申し出た?!

えーーーっ!身内ならともかく、赤の他人、しかも外国籍ともなるとさらに心理的な距離を感じてもおかしくないのに、自ら手をあげる?!

実際にはまだその申し出が受け入れられたとのニュースはなく、ただし上記記事の末尾にあるように、ベトナム国家臓器移植管理センター所長さんは、

「このような心優しい行動に対して非常に感謝しており、患者の治療を試みている医療従事者への励ましにも繋がる」

と、お申し出に対しての対応をされておられた様子。
申し出られた方のお気持ちもすごいですが、医療従事者への敬意を前提に、国が率先してそのような価値観を持っているという表明をした上で、申し出てくれた人たちへの善意が有用であったと知らせる当局も素晴らしい。

責任ある方の言葉の中にある前提や指針が言葉となって現れることで、国民も、医療従事者へは敬意を示すものという思いを強くするし、実際には受け入れられなかった申し出も「善意は素晴らしいもの」という認識を深める。

実際の医療物理的には何も動かなかった事態ですら、モチベーションを導く方向に持っていく手腕は、全く素晴らしいと感じました。


◇自分の店が大変でもボランティアに勤しむ人たち

私が日頃、旅行者さんにご案内している大好きな雑貨店の多くは街中の目抜き通り沿に位置していて、それはすなわち、高額な固定費がかかるということ。収入が全くなくなっても。下手したら家賃100万円とか、もしかしたらもっと上。

当然経営は苦しくなり、お店を潰してしまうところもあれば一時撤退という形で営業を停止せざるを得ないところが殆どです。実際今も再開されてないところが数多くある。全く心の痛むことだがどうしようもない。

何人か、個人的に連絡先を聞いていた人に様子を聞くため連絡をしました。落ち込んでいた時のために、微力ながら何かできることはないかと策を考え、提案するつもりだったのですが…

「今ボランティアで炊き出しやってるの!」
「今ねー、ご老人のお世話にきてるよ。こんな時だしね!」

という想定外の言葉が次々に聞こえてきて(え?え?!)と戸惑うなど。

なんと彼ら、自分の収入が断たれるとか、お店の行く末もわからない不安定な状態なのに、自分たちよりもっと困った人はいるから!と、その現場に行き、手助けをしていたらしい?!

そういえばレストランをやってる人も、売り上げの一部を、食べ物に困っている人たちへの炊き出しに寄付する、というところが何件かありました。いやいやいや、自分の店が大変な時やん?と、聞ける関係の方に聞いて見たところ…

「自分らが大変ってことは、自分らより元から大変だった人は、さらに大変なわけやん。今こそ出来ることをする時やろ」

そんなの当たり前じゃん?とばかりに言って退ける彼ら。おっしゃる通りです、と、ただ納得をするしかない自分。なんてこった。


◇さらに人を助ける人々

私が遭遇した話が多くなってしまいましたが、FBで、日頃よりとてもその発言にハッとさせられることが多い方が、このような投稿をされていました。

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リンクが貼れなかったのでご本人に了承をいただき、画像にて。
そしてリンクされていた記事はこちらになります。

文中を見て欲しい。三ヶ月分の補助が2万円ちょっと。ひと月1万円にも満たない金額。それが補助となる程、そもそもの生活というのは楽じゃない。

ホーチミンの中心地を見てると、高層ビルが立ち並び、食事の金額も家賃も上がり、とても豊かになってきているかのように見えるかもしれませんが、それは一部のお話で…

タイのバンコク然り、マレーシアのクアラルンプール然り。経済が都市部に極端に集中してしまっているだけで、全体を見ればまだまだ伸び率の方が大きいのです。そんな中での補助金辞退。

別に辞退することが一律に美談とも思いませんが、「自分よりもっと困ってる人に」という気持ちを躊躇なく持つ人がいることは、日頃の彼らの数々の親切から、何の不思議もなく納得できてしまう話。なんともはや。


◇心配する間に動くことにした

…私のような者が彼らのことを心配するとか、おこがましいにも程がある。

心配、というのは、それを乗り越えられないかもしれないと感じる人にするものだ。その人は事態を乗り切れない、成功しないという危惧を持つから生まれる感情。

例えばプロの野球選手に、ちゃんとバット振れるかしら?なんてことは思わない。シェフに、包丁の使い方わかるかな?なんて疑問を持つ人もいないでしょう(たまに何かの拍子でやらかすことはあるにしても)。

野球を始めたばかりの子が初試合に出る、から心配(まだバットをきちんと振れる確証がない)。家庭科で初めて包丁を使う授業を受けるという子供だから心配。

この人は間違いなくできる、この困難も絶対に乗り越える、という信頼があれば「心配」なんて気持ちは起きないのです。こいつには能力がない、と踏んでいるから「心配」という気持ちが起こることもある。

それをサポートする環境や状況も関わって来るから、一概に相手への不信頼だけが心配の元とは言いませんし、情として、ついつい相手を気遣うあまりに心配してしまうことまでをも否定する気はありませんが…

それでも心配をするという気持ちは、少なくとも相手が出す結果に対しての信頼を置いていないことの裏返し。そんな風に認識していたつもりなのに…

全く筋違いの心配をしていたという次第。
彼らに、私の心配などいらない。むしろ彼らの躊躇ない人助けの気持ちを、怯むことなく前に進む彼らから、自分が学べ。

人の心配する前に、とっとと自分が動けという話。
社会隔離後も観光客がすぐに戻ってくるでなし。しばらくは気力が停滞してたけど、彼らの話を聞いて、いまは自分にできることを、と動いています。

強いな、彼らは。
そういう人ばかりじゃないことは重々承知で、それでも思う。

見習え自分。立ち止まるより進め先へ。
自分が信じる良きことには躊躇をするな。

こう言うパワーを与えてくれるこの街を好きだと言うなら、渡り合えるよう、自分もパワフルにならねばな!

と言うわけで、今日も美味しいものを食べてしっかりパワーをつけるのですっ。いただきますっ。

2020年5月26日
ちぇり




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