わたしがケーキを焼くとき
ありがとうを伝えるとき。
ごめんなさいを伝えるとき。
おめでとうを伝えるとき。
がんばれを伝えるとき。
大好きを伝えるとき。
わたしにとって、お菓子作りはコミュニケーションのひとつだ。
手作りのケーキやクッキーたちは、どんな言葉よりも器用に、わたしの心を相手に伝えてくれる。
表紙からすでに、甘い匂いの漂うレシピ本をめくる。
甘酸っぱい。スパイシー。熱々。ほんわり。じんわり。サクサク。ザクザク。バターの香り。バターと砂糖が合わさった香り。バターと砂糖と薄力粉が合わさった香りと、泡立て器の重み。
最初のページから最後のページまで隈なく、堪能したら、
「今日はこれを作ろう」
ピンと来る。
「こんなふうに上手に焼けるかしら」と、不安と期待半々に、材料を計り始める。
さてと。お菓子作りは、計量にかかっている。
どれだけ心に不安と期待の波が押し寄せていても、冬の海のように静かな澄んだ心で、材料を秤に乗せる。
さらに、どの材料を、どのサイズのボウルで計るのかにも気を配るべし。
バターは大きなボウルで。後から入れる砂糖は小さなもので、ふるう必要のある薄力粉は中くらいのボウルで。そうすれば混ぜやすいし、洗い物も最小限にできる。
全て計り終えたら…ちょっと待った。
誰に、どんな気持ちを込めて、お菓子を渡すのか。このタイミングでもう一度、相手の顔とともに思いだす。
もれなくボウルに入れたら、やさしく、手早く、さっくりと混ぜ合わせる。
予熱で待ちくたびれたオーブンの、大きな口の中に、「お待たせしました。よろしくお願いします」と生地を入れる。すると、オーブンは「任せて!」と勇んで生地を焼いてくれるのだ。
ところで、計量はレシピ通りにしなければいけないけれど、焼き時間はこの通りではない。
オーブンのクセや気分、それから季節によっても、適切な焼き時間は変化するからだ。
いい香りがそろそろと立ち込めてきたら、一度オーブンの口を開けて生地の様子を見てみよう。
そして、生地に「具合はいかがですか」とお伺いを立てる。
五感をめいっぱい使って、応答を待つ。
すると生地は、
「あと5分待ってちょうだい」とか、
「ちょうど外に出たいと思っていたの」とか、
答えてくれるだろう。
わたしは、言われた通りにする。
ついに焼き上がったようだ。
今回のスフレチーズケーキは、冷蔵庫にも3時間ほどお世話になります。
そして、ここからが最も緊張する瞬間だ。
温めた濡れ布巾をあて、静かに静かに、型から外していく。このときわたしは、息をすることさえ忘れている。
我ながら、上出来だ。
ケーキも、「なかなかやるわね」と褒めてくれた。
仕上げに、ゆっくりとナイフを入れる。まるでこの世でいちばん大切なものに触れるように、カットする。
わたしの真心が、形ある甘美なものとなり、相手の口に運ばれる。
「どうか、あなたの身体と心の栄養になりますように」
そんな祈りを込めて今日もわたしは、ケーキを焼く。
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