経済学

経済を学び、経済を感じるための基礎知識

本書は最近流行りの「・・・経済学」を、平易な言葉で語ったものです。本書の出版からも3年経つのですが、決して古びた感はありません。なぜ、流行っているのか。それは日本の経済がもはや成長を前提としない社会になった(=成熟してしまった)からでしょう。どうすれば経済が、ひいては個々の会社がよくなるのか、わらをもすがる思いなのかもしれません。

コンビニカフェは誰に勝った?

経済的な観点とは個の経営行動とは異なります。それをひっくるめて経済学と称するのは誤解を招きやすいですが、本書の第一章では敢えて個々の企業の実例を取り挙げているようです。コンビニカフェの大成功と、既存コーヒーチェーンの業績との関係。セブン一社だけで一年間に10億杯(1000億円)を売り上げたのに対し、後者の大手チェーン店が経営危機に陥った話は聞きません。これはすごいことです。いきなりわずか数年で、コーヒーチェーンのツートップ(ドトールとスタバ)を足し合わせた市場規模のお金が、コンビニに流れました。それでも、チェーン店側の売上が動じなかった点を見るに、コンビニカフェは、まったく新しい市場を創出したと言えるのかもしれません。コーヒー市場全体が膨らみ、その牽引役にコンビニ。一方、カフェチェーン店は健闘しましたが、缶コーヒーと旧来喫茶は沈んでしまった、そう見てよいでしょう。

コンビニドーナツは何に負けた?

副題にもなっているテーマですが、そんなコンビニカフェに合わせてドーナツが投入されました。セブンの目標は6億個。コーヒーを買う二人に一人がドーナツを買えばいい計算です。たまに二つ買う人がいるなら、三人に一人でもいいでしょう。セブンの動きに、他社も呼応しました。メディアもこれを報じて、他社も追随したのですから、大きな追い風になるはすでした。ところが、ドーナツは、レジ横の位置をキープするだけの売上を得られず、ベンチマークだったミスタードーナツの売上まで低迷してしまいます。つまり市場全体が振るわなかったわけです。個人的な意見を言えば、コンビニドーナツはミスド未満の商品がずらっと並べられただけ。コーヒーと合わせて売れるというデータの根拠も、実はなかったのではないかと思っています。コンビニにはドーナツ以上の強力ライバルが数多とあります。また、僕の観察では、コンビニカフェは意外と単独で売れているように感じます。この企画の狙いは悪くないのですが、今日の消費者は、コンビニカフェ(たとえるなら、ドトール品質のカフェがテイクアウトで半額)に心を動かされたものの、ついでのドーナツ(たとえるなら、ミスド品質のドーナツを同じ価格でいつでも食べられる)にはお得感をもたなかったのです。

ブームが終わった後に真価が問われる

次の事例では、市場を変えて、カラオケ市場の規模推移を見てみましょう。市場全体は横ばいですが、上位主要企業の売上合計は増加傾向を続けています。感覚的には、一時のブームがなくなり、低迷していると思っていましたが、大手の企業努力が続き、市場は寡占化していたのです。その大手の一角、給食業界出身のシダックスがリストラに追い込まれました。食品に頼りすぎた戦略が裏目に出ていました。大人数(の宴会が)前提になってしまい、一人カラオケ需要に対応できなかったのです。大切なのは、市場規模の推移ではなく、売上を構成する中身です。歌は歌いたいけど、大勢で楽しむのではなく、一人(もしくは少人数)で練習したい。みんなで飲んで食べてというのではなく、歌うことそのものにこだわりたい。その観点で言えば、第一興商のようなカラオケ装置の専業メーカーが有利なのかもしれません。

経済学の本分とは

会社は必ず成長を目指します。すべてとは言えませんが、ほとんどの会社がそうです。では経済に当てはめるとどうか。経済学とは、成長を実現させるための学問なのでしょうか。大まかに言えば、資源配分の最適化を考える学問、それが経済学なのだそうです。需要と供給とに分けて、その最適なバランスの実現を様々な角度から見ています。ケインズは需要に着目しました。政府に、景気刺激という役割を与えたのです。日本政府はかなり忠実にその教えを実行したと言われます。しかし、その後登場した新古典派というグループはケインズ的政策を批判します。なぜなら、その結果が、政府の放漫財政を招いてしまうからです。新古典派は供給改革にこだわりました。たとえば日本。「アベノミクス」と呼ばれる現政権(安倍首相)のもと、「黒田バズーカー(日銀総裁による異次元の金融緩和)」によって資金を大量投入しました。それが徐々に効果を上げ、雇用環境を大幅に改善させたと言われます。その雇用も、少子高齢化の限界にぶち当たりつつありますが、外国人労働者の受け入れ拡大や女性活用、退職年齢制限の撤廃などによってさらに増やすことができます。さらに、イノベーションを促すために規制緩和やベンチャー支援などの産業政策も供給改革の一貫です。

資本・労働・イノベーションという経済成長を促す要素はすべてそろいました。経済学は成長を必須としていませんが、実際の経済は成長を欲しています。昨日よりも今日、よい生活がしたい。今日よりも明日、幸せになっていると信じたい。それが人の性であるなら、経済的成長は欠かせません。仮に経済力がなくなれば、手に入る物資が相対的に少なくなります。経済力の低下が円安につながれば、イケアの輸入家具が高価になる日がくるかもしれません。また、医療費やインフラ整備費などに国費を投じるためには、成長する経済力が国費を支えなければなりません。年金などの財源は特にそうです。人口が減るのだから成長は必要ないとの、浅はかな認識も一部にありますが、成長なしでは、現在の社会基盤すら維持できなくなります。

マクロからミクロに焦点を変える経済学

本書は経済学を掲げているにも関わらず、個別具体的な経営例を挙げました。それには理由があります。たとえば、行動経済学の観点などは、企業(個別)に応用できる新しい理論です。簡単に言えば、これまでの経済理論でおかしいと思うところに、心理学のような後付の説明を加えたというところでしょうか。人々の経済行動を、長期かつマクロに見るだけでなく、短期かつミクロに見ていけば、ずいぶん異なる現象が見えてきたのだと思います。それは決して難しいものではなく、周囲のみんなを日々観察して得られた考察の結果にすぎないのです。

本書そのものが何か新しいことを語っているわけではありません。むしろ、経済学の入門書のような役割を果たしています。筆者は学者ではなく評論家なので、好き勝手書けるのでしょう。その分、本書は学びやすいです。

最後、新規事業について。日本企業の売上高に占める新規事業の割合はわずか6.6%なのだそうです。米国・中国がともに12%くらいあるのに比べて半分しかありません。しかも、日本の新規事業で「新味性」があるものは1%にも満たないのだとか。これは、日本の企業文化が「減点主義」にあるからだと論じられています。失敗した人を処罰し、傍観者であることがリスクにならない。そんな意識が社会に蔓延しているからでしょうか。転職が当たり前になり、成長しにくい社会を前提に企業が適応していくとしたら、やがてはこの「文化」なるものも変容していくのかもしれません。学問は学問として学びつつ、ご自身は思うままにやってみたらいいでしょう。そしたらいつか、教科書の類が、あなたに追いついて、あなたの成功を解説してくれるかもしれません。


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