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日本人にとってタメになる中国論

本書は、中国の歴史を語る池上彰さんの授業です。「やっぱりさすがだ」という内容ではありますが、一部「偏ってる」と感じることもあり、自分の知見を加えてここにメモしておくことにしました。なぜならこのテーマは、僕の「専門」だからです。若い頃から、中国と何の縁もなかった自分が、中国史を専攻し、中国留学を経て現地の言葉を話すようになりました。家族ぐるみの付き合いも始まり、さらにビジネスでは、台湾や香港、中国を出張・駐在してきました。多面的に学びながらつくづく思うこと、それは、日本の「識者」と言われる方々の嫌中論に、まともなものがほとんどないこと。特に中国通と呼ばれている人は(元中国人も含めて)嘘だらけです。中国語ができるだけのことで、偏った知人・友人やメディア情報からの推測を、自身の嫌中商売のネタとしています。それを「井の中の蛙」読者(視聴者)が喜ぶという、無益な構図です。
※冒頭画像は、本稿の参考書である池上氏の書籍からの引用です。同書は、池上氏の講演録という形式で記述されています。

『新・親中派』を自負する僕が、よく嫌味として言われるのは、「君は、日本があんな国(中国)みたいになってもいいと思っているのか」、です。たとえば天安門事件は、軍が無抵抗な国民を戦車で殺戮したとされて、中国共産党批判のやり玉に挙げられています。

なぜ中国は軍事手段に訴えたのか

本書を参照しつつ同事件のことを紹介してみましょう。1989年4月、民主化を密かに視野に入れていた胡耀邦(当時、総書記)が死去すると、北京にて学生運動が起こりました。故人を追悼する名目のもと、共産党の一党独裁に対して反対の声が挙がったのです。同年5月、改革を進めていたソ連・ゴルバチョフ書記長が訪中。学生たちはこれに刺激を受けました。そして問題の6月4日、天安門広場には100万人もの人々が集まったとされています。故宮の南に広がる同広場はよくテレビでも紹介される、中国の象徴的な場所です。東京ディズニーランドと同じくらいの広さで、そこを訪れた日本人は必ず、その規模感に圧倒されます。ここに集まった多くの民衆を、人民解放軍が軍事制圧した、これが天安門事件です。威圧的な戦車に対し、デモ隊の一部過激派が火炎瓶を投げつけたことにより軍の側も発砲しました。広場では、多くの若者が命を失ったそうです。

ちなみに人民解放軍とは、国の軍隊ではありません。共産党組織に属する「暴力装置」です。この私的組織の武装集団が、いつしか陸海空軍を有する巨大組織へと変貌しました。同軍は200万人を超える「世界一」の巨大軍事組織です。中国とは、名実ともに、共産党が軍事力で支配している国です。

天安門事件では、当時の最高権力者・鄧小平の信念が示されました。なぜなら、革命世代の彼にとって、中国の150年に渡る内部混乱は絶対に「許せない」ものだったからです。その芽は早めに摘まなければなりません。振り返ってみれば、清王朝の末期、イギリス等の列強に食い物にされた中国は、たくさんの軍閥が外国勢力と勝手に結ぶようになりました。そこに太平天国の乱が起こり、秩序は完全に崩壊しました。その後、日本軍が中国の国土を蹂躙したかと思えば、国民党と共産党との内戦も続き、多くの人々がその辛酸を嘗めます。こうして、百年以上続いた悲劇は、共産党政権のもとでさらに絶望的な境地に至ります。それが、毛沢東の発動した文化大革命です。当時、経済の立て直しに懸命だった鄧小平は、毛沢東と対立、何度か投獄の憂き目にあいます。当時70歳を越えた初老の毛が、判断力の乏しい若者を扇り、(紅衛兵として)「社会にこびりついた悪」の破壊を始めました。この文化破壊は、中国文明の根幹にまで及びました。無秩序とはまさにこのことです。目の前で起こる略奪や暴力、強姦や殺人などの理不尽な行為に対し、警察でさえ止めようとしない。この凄惨な無秩序を体験した鄧にとって、デモなるものは、紅衛兵の再来でした。我慢に我慢を続けてきた忍耐強いリーダーも、ついに堪忍袋の緒が切れます。これが天安門への軍の出動です。鄧を怒らせた要因はデモ隊ではありません。「改革開放」を進めていた当時の政治リーダーたちに、民主化やむなしの軟弱な姿勢が目立ち始めたからです。空虚な民主化と無駄な政治闘争は、中国の経済再生に全身全霊をかけてきた彼にとって、「遠回り」以外の何者でもありません。これが事件をめぐる政府側の事情です。池上氏もこう述べています。

賢明な独裁者が出てきたことによって中国経済が大きく変わる。<中略>
中国のように13億人もの人をまとめて統治しながら、経済発展を目指すとなると「開発独裁」に向かわざるをえない側面もあるのです。<中略>
(復権後の)鄧小平は常に裏から政治を操ります。<中略> 自分に責任が及ばないポジションで、思い切った政策を行ったのです。共産党のトップには立ちませんでしたが<中略> 何かあったら軍隊を動かすことができる。ある意味、最強の力です。<中略> 鄧小平という人がいたからこそ、今の中国の豊かさがある。これもまた事実です。

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驚異の経済成長はいかに実現されたか

では、鄧小平はどんな魔法を使って中国を立て直したのでしょうか。1978年から始まった新しい政策は、毛が死んでわずか二年後のことでした。その取り巻きが次々と逮捕され、毛思想に凝り固った政権内部もそっくり入れ替えられました。鄧みずからは軍を掌握し、裏から中国の改革を指揮します。上記:産経新聞の記事から(中国の経済成長率)図表を借用してきましたが、「改革開放」政策後の中国は、すさまじい勢いで成長。「大躍進」と称して大コケした毛沢東の失政や文革の混乱を必死で取り戻そうとするかのようでした。鄧曰くの「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫」論は、共産主義へのこだわりを捨てさせ、内政では市場原理を導入、膨大な数の国営組織に経営自主権を認めることになりました。その一方、資本と技術は海外に依存。世界に対して活発な誘致活動を行い、様々な優遇策や開放策が実施されました。さらに、安価な労働力を農村から呼び寄せ、工業化都市化にも舵を切ります。文革時の「下放」(毛は、中央から知識階級を追い出し、農村で農業に従事させた)とは真逆の人の流れが起きました。その際、無視できない役割を果たしたのが、台湾の同胞や華僑たちです。そこにはもちろん香港も加わり、輸出・投資主導の経済成長を後押ししました。鄧はこの政策のために、あらゆる屈辱を呑み込み、中国経済の立て直しを優先させます。尖閣諸島の領有問題を棚上げし、日本との関係強化に動いたのもその一つです。この点が、面子だけにこだわり、虚勢を張り続けた毛との最大の違いです。そして鄧が実現させた政策の中でも注目すべきは経済特区でした。香港の傍らにできた深センは、何もなかった漁村から、驚異的な発展を遂げ、今では香港をしのぐ世界屈指のIT都市へと変貌しています。

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世界の自由貿易(グローバル)化の恩恵を最も受けたのが中国です。WTO加盟をテコに、「世界の工場」としての地位を盤石なものにしました。北京オリンピックを成功させた後は、GDPにて世界第二位に躍り出ます。リーマンショックからいち早く抜け出たことも中国政府の自信を深め、外需依存から内需転換へと大きく舵を切る契機になりました。そしてスマホの普及にともなうモバイルの時代に至った時、中国はいつの間にか、世界最先端のIT大国として、アメリカをも凌駕する存在感を示すことになります。池上氏は「中進国の罠」について触れていますが、これはさほど大きな問題ではありません。人件費の高騰とは、真逆から見ると、国民の給与が増えることです。ネットでは個人消費が爆発的に膨らみました。また、工場が次々と中国撤退を始める傍らで、都市部ではスマホを使ったデリバリー事業が台頭します。悪化した工場の雇用を、都市の新事業が吸収したのです。実は、これを認めた中国政府の「先見の明」にも触れておく必要があります。日本ではコロナ禍にあってようやく伸びてきたデリバリー事業ですが、それを長らく阻んだのは様々な規制があったからです。中国ではこうした規制をあらかじめ封印し、新事業を積極的に育てていました。共産主義を掲げながら、ダイナミックな自由市場を活かす中国と、自由経済を唱えながら規制緩和ひとつできない日本との差が明暗を分けた事例と言えるでしょう。

嫌中派も言わない、中国の本当の問題

嫌中派の方々は、中国が成功させた話題を避け、天安門事件や文化大革命という中国二大巨頭の大失策ばかりを語ります。しかし掘り起こせば、日本だってスネに傷がある身です。もっと言えば、イギリスのアヘン戦争、アメリカのベトナム戦争、ソ連・スターリンの大粛清など、数え上げればキリがないほど、近代政府による醜態の数々が歴史に刻まれています。中国だけを責めるのはフェアではないでしょう。今日、中国国内での共産党政権支持率は決して低くありません。鄧の「改革開放」以降、国民の生活は格段によくなり、コロナ禍同様、様々な問題に対処して乗り越えてきた賢明さがあります。はっきり言って今の共産党政府は、何々主義などどうでもよく、相互に激烈な実績競争を繰り広げる官僚たちの統治国家になっています。この切磋琢磨の仕組みが日本ではあまり知られておらず、数字改竄に手を染める官僚たちの悪しき習慣ばかりが取りあげられています。もちろん、国民の監視を受けない官僚たちは腐敗に手を染めやすいものですが、習近平の代になり大なたが振り下ろされました。反腐敗闘争です。これは健全な政治力学が働いた結果です。日本の嫌中論者は、悪口を言うことだけが目的なので、ともすれば腐敗横行を批判し、反腐敗を権力闘争の陰謀論にすり替えて文句を言っています。もはや、中国の悪口が言いたいだけの、救いようがない脳みそです。そんな中国の本当の問題は、法の運用がいまだに恣意的なこと。たびたび法を変え、果断に修正を行うのはいいとして、(中国ビジネスをやっている僕としては)その運用面で行政側担当者の言行を一致させたり、煩雑な手続きを簡素化させてほしいと切に思います。こんなことをやっているから、小役人が何百万円もくすねたり、高官が何百億円の不正をやれてしまうのです。実務運用面では日本の方がはるかに優れています。

ただし、正しい評価も重要です。この巨大な国土を瞬く間に近代化させ(経済の立て直し)、そして現代化(民生の改善)を進めたスピードには目を見張るものがあります。貧困層を劇的に減らしたのも現政府の功績でしょう。貧困問題は、国際的にも非常に難しい課題です。また、豊かになった人々を海外に出すという「インバウンド外交」が、中国の編み出した平和外交の武器になりました。ついでに言えば、「一帯一路」という政策センスも見事です。もともとは中国内の供給過剰問題だったのですが、それをあらたなビジョン外交の武器に仕立て直しました。カネ余りの資金と、コンクリートと、自国労働者を外に出すというだけの政策なのですが、諸外国のインフラ支援とお化粧直しをした政策は、官僚を競争させる仕組みによって生み出されました。

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台湾と香港をめぐる逆説的な解決手段

改革面では優れた政府だったのですが、領土問題では世界ともめ続けています。毎日新聞のマンガ説明が分かりやすいです。インドや日本と、そして南シナ海、さらにはウイグルやチベットにて。その横柄な振る舞いが世界の批判にさらされています。僕個人も非常に憂慮している点です。毛沢東に対して非常に批判的な自分ですが、彼の時代に遡る問題のツケが、領土問題となって、今の政権の重荷になっています。その一方で、香港と台湾についての僕の見方は、日本の多くの識者と異なります。なぜなら、その歴史をしっかり学んでいるからです。香港や台湾に対する中国政府の強硬な態度はとても理解できます。まず香港について、ひどかったのはむしろ昔のイギリス(アヘン戦争に始まり、ムチャクチャなロジックで戦争を仕掛け、香港を奪い取った)でした。植民地時代の香港統治も決して誉められたものではありません。ゆえに、中国に返還された途端、諸外国が中国を批判するのはおかしな話です。香港返還時(1997年)も、自由港としての香港は終わったと嫌中論者は騒いでいました。しかし、その香港は、さらに一段高い成長を果たしています。結果的には、躍動する中国大陸企業の世界への窓口という意義が高まったからです。ただ返す返すも残念なのは、香港の天傘運動やその長期化によって、みずからの首を締めてしまったことです。歴史を知らない浅はかな若者たちが、あろうことか、諸外国の支援を頼って、中国政府と無用な対立を深めてしまったのです。このままでは、香港の高度な自治も短命に終わってしまう危険があります。僕自身は、大陸に組み込まれない「自治」が続けば、香港の経済的地位をはもっともっと良くなると期待していただけに、非常に残念です。香港のさらなる繁栄こそが、香港の自治を守るのです。この理屈は、台湾にもあてはまります。もともと、ひとつの中国を声高に主張し、大陸への反攻機会を狙っていたのは、台湾・国民党の方でした。ところが、力関係が逆転した結果、台湾は生存を図るために投票式民主主義を採り入れます。独立志向を高めるための、李登輝(台湾の世襲政治を終わらせ、初代総統に当選した英雄)の知恵です。逆説的な僕の提案ですが、台湾が独立性を高めるためには、中国大陸との友好な関係を築くことです。台湾の人々が中国大陸をテコに、世界での活動を強化できてこそ、台湾の価値が上がります。香港や台湾の経済的役割が重要になれば、中国共産党も、うかつに強硬な措置が取れません。世の中の平凡な論はそれを勘違いしています。

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最後に、池上氏の書に戻って、僕ら(日本人)の頭に冷水をぶっかけてもらいましょう。上掲画像(本書からの引用)は、日本の鉄道車両の風景です。信じられますか。衛生観念や公共意識が強いと自負する日本人が、かつてはこのような振る舞いをしていたのです。結局、どこの国も似たようなものです。急速に豊かになった人々は、マナーやエチケットを学ぶ前に、海外に飛び出し、世界の先進国から、白い目で見られてしまうことが多々あります。これも日本人が経験しました。また、かつての「メイド・イン・ジャパン」も、低品質の代名詞。これは誰もが通る道なのです。こうした時代を経て、今の日本がある。もちろん、中国についても同じです。僕が知っている今の中国は、経済格差や文化格差こそいまだに大きいものの、上海や北京で見かける人々の文化水準は、限りなく日本人に近いものです。来日される中国人のマナーレベルも年々向上しています。偏見を排し、中国やその人々をもっとフェアな目で見ましょう。そして、日本人みずからを豊かにするために、どんどん中国の人々を喜ばせて、日本が儲けることを考えましょう。日本人に何の益ももたらさない嫌中論で、人の悪口を言っている暇があったら、隣国の生産力や市場力をうまく活用する。これが、僕の新・親中論です。日本が中国のような国家体制になることではないので、くれぐれもあしからず。経済的な豊かさやそのための相互依存が、世界を平和にします。中国を国際協調の枠内に受け入れることで、逆に相手の言行に影響を与えられることも忘れてはいけません。「(中国は)豊かになれば民主化すると思った」とか、「早晩行き詰まって、崩壊してくれると期待した」などと考える人々は、歴史の勉強からやり直すことをお勧めします。

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