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世界経済の軌跡をざっくり学んでみる

つかみどころのない世界経済のお話を、一冊でザッとまとめている点で本書は賛美に値します。経済を語るためには、自給自足から脱し、二つ以上の地域が相互依存で結ばれるところから始まります。お互いに交換材を増やしていきながら、様々な生活物資の生産性を上げていく。そしてついには、個々の消費者の生活を豊かにする。これがいわゆる経済発展です。
※冒頭画像は、末尾のリンク先からの借用です。一貫して、グローバル化(一体化)を目指してきた世界の経済は、ここ最近「不安定」になっています。

「貨幣」に見る経済世界の拡大

昔で言えば、ムラとムラをつないだ経済連携に始まり、そして商人を介して異世界同士をつないだ世界交易が出現しました。さらに、グローバル経済の礎を築くことになった資本主義。こうした三段階の発展期を経て今日に至っています。最初の段階で重要な役割を果たしたのは通貨でした。ローマ帝国や中国各王朝が域内の取引通貨を定めました。次の段階では、遊牧民や商人たちが王国の周辺内外で交易を始めました。具体的には、シルクロードやイスラム地域などの人々が王国と王国との商材をつなげました。この頃の進化で目を見張るのは、複式簿記の誕生と、紙幣・手形の普及でしょう。取引を正確に計算するルールが生まれ、取引を大規模にできる環境(市中マネーの増加)が整うようになりました。第三の段階を担うのは、あの大航海時代です。船で、地球上のあらゆる地点をつなぎ、経済活動をグローバル規模に広げたことが今日につながっています。その中で誕生した特筆すべきメカニズムは、資本が自己増殖していく資本主義です。大航海のために、社会の財が投じられ、多くの富が社会に持ち帰られました。その筆頭にくるのは間違いなく、メキシコ銀でしょう。潤沢な産出量が、ヨーロッパのみならず、中国など世界中にもたらされました。当時の明王朝は、次々とやってくる銀貨に着目し、何と、国内通貨の銅銭をメキシコ銀に変えてしまったほどです。

貴金属通貨の登場は間違いなく世界をつなぎ、次に増えてくる紙幣(小切手・国債等も含む)、そして今日の電子マネーへと、発展の系譜がしっかり続いていきます。通貨で交易される対象物は次々と拡大、国内外の取引量が増えるほど、私たちの世界は豊かになりました。しかし、人類の不幸のひとつは、その取引商品の一部が、軍事力による収奪によってしまったことです。その代表はサトウ。新大陸アメリカの南、カリブ海にて大農場が開かれ、そこでの現地労働は、アフリカから誘拐されてきた人々・奴隷によって運営されました。このサトウの飛躍的成長は、コーヒーや紅茶などの嗜好文化の普及の影に隠れていますが、植民地主義の負の側面です。いくつもの商材が、東方の香辛料に続き、巨大商品作物となりました。

産業革命が、今日の世界を創った

さて、経済発展の三つの契機を上記のごとく示しましたが、言い換えれば、僕たち人類の「世界」が徐々に広がる過程だったことが分かります。隣のムラとの関わり、見えない世界とのつながり、そして意思をもった海外のサプライチェーン。しかし、これだけでは本当の経済発展は望めません。収奪や商業作物の導入だけでは社会が劇的進化を遂げるのは難しく、最初の頃は、生産性の向上という要素が欠けていました。そこに大きな答えを出したのがイギリスです。イノベーションという産業革命が連鎖的に起こり、労働を機械に置き換えていったのです。イギリスの小作農の報酬水準が、他国と比べてすでに高かったことも、機械化をを促進させました。ただしこれらはすべて民間での話です。

政府の施策が産業革命の流れと合致したのは、鉄道建設でした。もともと大量輸送の役割は船が担っていました。しかし、陸地の各所に住んでいる人々にその恩恵はなかなか届きません。19世紀半ば、イギリス・ロンドンにて鉄道網ができあがると、ヨーロッパ各国も次々と模倣を始めました。当時、都市に人が集まるようになっていたこともあり、鉄道による交通網の整備と、都市環境の改善が急速に進みます。19世紀の後半には、日本もこれに加わりました。もうひとつ特記すべきことが鉄道には含まれています。産業のコメと呼ばれた鉄鋼生産があってこその、鉄道普及です。かつての鉄は、武具として、農機具として、人類の生活様式を大きく変えました。第二次産業革命と呼ばれるこの時期には、鉄は工業化の主役となり、僕たちの社会に再び大きく貢献したのです。その象徴が、フランスのエッフェル塔。約7300トンの錬鉄を用い、高さ300メートル、世界で最も高い人工建造物が築かれました。1889年のパリ万博は、まさにこのエッフェル塔をシンボルとして、世界の新しい時代の到来を告げました。ここに、現代生活を支える基礎的なツールが出そろったのだと言えます。

銀から金へ、紙幣へ、そして信用へ

しかし、世界の経済史をテーマとする本書はこれで終わりません。19世紀のイギリスの繁栄は、インドと中国、今日の両大国をムチャクチャにすることで成り立っていました。アフリカも同様、ヨーロッパ列強にグチャグチャにされ、そのうちの一つ南アフリカは、イギリスが仕掛けたボーア戦争によって、焦土と化しました。なぜ、このような卑劣なことが起こったのでしょう。実は、ヨーロッパの戦争の多発や急速な経済成長を受けて、逼迫したのが銀通貨でした。イギリスはこれに対処すべく高額通貨である金を基軸に、金融秩序を再構築しました。正確に言うと、金本位制のもとでのポンド紙幣の普及です。ところが今度は、その金が早くも不足し始めます。そこで目をつけたのが、アフリカ南部で発見された金の大鉱脈でした。悪名名高い南アフリカのアパルトヘイトも、その余波を受けて、制度化されました。

20世紀を担う超大国アメリカの動きも無視できません。イギリスの植民地を脱し、農業国として産声を挙げた同国は、19世紀の工業化の中で、大きな矛盾を孕みます。それは国として体をなさないほどの、バラバラぶりだったアメリカ。何千もの銀行が成立され、各行が勝手に紙幣を発行していました。当然、経済活動は大混乱。おまけに、高い保護関税で、独立的な経済再建を進めたい北部に対し、当時でもイギリス経済に依存する(綿花輸出を生業とした)南部。両者の対立はいよいよ先鋭化しました。その結果(第二次世界大戦の死者数をも上回る)凄惨な南北戦争が起こります。奴隷解放などという正義の戦いではなく、経済環境の違いから生じた南部独立の動きを、北部が力で封じ込めました。しかし、結果的にはこの戦争が産みの苦しみとなり、一体的なアメリカの発展を生むことになります。その新たな経済成長の担い手は、大不況の真っ只中であるヨーロッパから来た大規模移民でした。荒れ地を農地や牧場に変え、政府による鉄道建設も進みました。これが西部開拓であり、アメリカン・ドリームと呼ばれた時代です。この好景気は、「カネ、カネ、カネ」の風潮を生み、小説家・マーク・トウェインから「金メッキの時代」と揶揄されました。それでもまだ人の数は足らず、あらたな「奴隷」とも言える中国人たちが、清朝末期の混乱した中国から連れて来られました。そして、やたらと「正義」の盾を振り回すアメリカも、ヨーロッパの帝国主義を模倣し、カリブ海やハワイ、フィリピンや日本へと進出するようになります。実態は「帝国」だったのです。こうして、当時を彩る悪役たち列強の顔ぶれが出そろいました。

世界史をきっちり総括しよう「帝国主義の悪」

20世紀は、二つの大戦が、多くの人々を翻弄しました。その引き金は、世界を蹂躙していたヨーロッパ諸国の内輪もめです。後発国・ドイツが、イギリス支配の秩序に挑んだ二度の戦いだったわけですが、ドイツに同情すべき理由はたくさんあります。挫折と絶望感の中でナチスにすがったドイツ国民を責められません。ヒトラー率いるナチスは、そもそも選挙型民主主義の仕組みの中で台頭してきた存在です。経済学者シャハトの需要喚起政策は見事でした。14000kmに及ぶアウトバーンを建設し、そこを走る国民車を大量生産して、失業者の救済と国民の民生を大いに向上させました。さらに軍事力にも財政を振り向け、景気刺激と報復鼓舞をナチス政治の推進力としました。しかし、武器の威力が増したこの時代に、戦争がもたらす悲劇は空前絶後の規模となりました。激突したヨーロッパに勝者は生まれず、国土にほぼ被害のなかったアメリカが、新たな世界の盟主になりました。

そのアメリカが人類史に貢献した部分も少なくありません。電気の発明と実用化は、経済のあらたなフロンティアを創みました:夜の生活です。新しい経済サービスが次々と立ち上がり、家電製品も続々と登場、さらにハリウッドが誕生し、世界で初めて大衆娯楽というニーズが創造されました。大量生産、大量消費、大衆娯楽という三大メカニズムのもと、私たちの日常は大きく作り変えられていきます。しかし、永遠に続くと思われていたアメリカの未曾有の繁栄は、突如終わりを告げます。大恐慌です。表面的には、単なる株価の急落ですから、バブルの崩壊(投機者が損をするだけの話)として終わりそうなものですが、政府の無策の前に、銀行の倒産と企業の連鎖倒産が続きました。気づいたときには、アメリカ国民の四人に一人が職のない状態に陥っていたのです。デフレスパイラルです。

戦争まで招いてしまったグローバル経済の欠陥

恐慌でボロボロになった世界各国は、1930年代、一斉に経済のブロック化に舵を切ります。広大な植民地圏を有するイギリスやフランスはまだ良かったのですが、ドイツや日本はたちまち資源に窮しました。ナチスドイツは当初巧みな経済復興を展開させていましたが、石油資源の枯渇に手を打つため、ソ連領のバクー油田を狙いました。日本も、ABCD包囲網に締め付けられ、対米開戦を決意しました。日独ともに1941年のことです。戦前の日独のことを庇い立てする気はまったくありませんが、経済の争いはいつも、人命に関わる悲劇的な結末を招くものなのです。

最後に、戦後のドル本位制について。金との交換は停止されましたが、それなりに金融秩序は保たれ、FRB(米連邦準備制度理事会)の定めるドル金利の上げ下げが常に世界経済を左右する時代となりました。今日、貴金属に裏付けられない金融のグローバル化と不安定化が世界経済のリスク要因になってしまいましたが、その機に乗じて、ヘッジファンドが頭角を現しました。また外交政治のテーマに為替相場が含まれるようになり、1985年のプラザ合意では、日米政府の合意による円高誘導が実施されました。その結果招いた事態は、日本のバブル崩壊です。これは日本が、日米外交戦に敗れたと揶揄される結果となりました。日本経済はこの時以来、立ち直れないほどの打撃を受け、マイナスまたはゼロ成長の時代が長く続いています。「失われた30年」という形容が日本の凋落を物語っていますが、バブル時代の繁栄を基準にすること自体、ナンセンスだと思われます。

さて、同じ頃、中国共産党や世界の左派政権が自由市場経済に転向し、グローバル経済に組み込まれるようになりました。その後も、リーマンショックや、世界秩序に無責任なトランプ政権の誕生、さらに新型コロナ・パンデミックなどの衝撃を受け、世界経済は動揺を続けています。巨大かつもろくなった世界の経済システムに、どのようにあらたな重石を安置するのか、人類の新しい知恵が問われています。



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