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今一度多様性について考える

どうもお久し振りです、就職活動が思いの外難航してしまい、なかなかnoteに投稿できない日々が続いておりました。(本当に就職活動大変だったしもう二度としたくない・・・)

この記事では、多様性について再考していきたいと思います。

多様性を意識するようになった切っ掛け

普段から物事をたくさん考えているのもあり、小学生時代から多様性について漠然と考え続けてはいました。ですが、就職活動が切っ掛けで多様性をより深く意識するようになりました。

今現在、世界全体において多様性に関する運動が盛んに行われていることは周知でしょう。私が受けたほとんどの企業や自治体も多様性の大切さを尊重しておりました。

就職活動を始めた当初の私はとても純粋で、求められる人物像と自分を都合よく重ねてしまい、浮かれ気味でありました。しかし、実際にESを提出したり、採用面接を行ってみると、”自分の考えをそのままESに書くと落とされる”、”面接で自分の好きなことや考えを素直に話すとそこで落とされる”といった悲劇が頻発し、一向に内定に至らない日々が続きました。

また、企業の説明会やホームページを覗いて観ると、どこの企業も似たようなタイプの社員ばかりで、趣味も似通っており、多様性とは何処へ状態であるように感じられました。なかには、採用予定数7人の場所で受けた人数がそれよりも少ないのに当たり前のように落とされることもありました。

動いても動いても内定が出ない日々、どこに行っても似たような社員に説明会、それでいて多様性を訴える企業たち、私はこれらの矛盾に耐えきれず気づいたら多様性について考え直す様になっていました。

目に見える多様性、目に見えない多様性

LGBTQ、外国人、身体の障害などの目に見える多様性に対しては比較的寛容な流れができつつあるんじゃないかなと思っています。これらの特性は視覚的にわかりやすいし、腹落ちしやすいのではないでしょうか。

一方で、軽度知的障害、発達障害、精神障害、ギフテッドなどの直接は目に見えない多様性に対しての理解は現状あまり進んでおらず、結果として社会参加が難しい人たちを生み出してしまっているように感じます。

障害者だけでなく、不良や貧乏人に対する差別も根強く、自己責任論を代表とする社会的弱者に対する風当たりは年々強まっているように思えて仕方がありません。

コロナが大流行した結果、飲食や観光業で生計を立てていた多くの人たちが職を失い、生活困窮者となってしまった現状もあります。

さて、事情はともあれ社会的弱者になってしまった人たちは本当に自己責任なのでしょうか、私にはとてもそうとは思えません。今現在健常とされている人たちも何かしらの切っ掛けで社会的弱者になりかねない時代なのです。

このような時代において、多様性に対する取り組みは必要不可欠なはずです、なぜなら当事者の気持ちは当事者にしか分からないからです。

目に見える多様性を尊重するのも大切ではありますが、社会的階級、認知特性、知能水準といった直接は感じられにくい多様性を尊重すべき時代になったと考えます。

それは理想論ではありません、今社会的弱者とされている人たちが安定した職に就くことで出生率の向上、社会全体に漂う不安、そして支出すべき福祉予算の削減につながるはずなのですから。

なぜ目に見えない多様性は受け入れがたいのか

直接は目に見えない多様性が受け入れられ難い理由として、わかりにくいだけではなく、自分と他者との本質的な違いがあると考えます。

目に見える違いがあれど自分と認知特性が近い相手であれば心を通わせることは容易です。一方で見た目に違いがなくとも、認知特性が異なる相手と対峙したとき、人と言うのは違和感を覚えてしまうものなのです。

皆様も「この人話しててなんか違和感あるな」と思った経験はあるのではないでしょうか、因みに私はほとんどの場合においてそれを感じます(つまりそれだけ相手からこの人違うなと思われている可能性があるということでもある)。

もちろん、人はみんな違いますが私が言いたいのはそういうことではありません、この人と私とでは世界の見え方が明らかに違う、長く一緒にいると疲れる、そういった感覚のことを私は言っているわけです。

その感覚は慣れないものです、特に発達障害の当事者というのはそれを常に感じてしまう訳ですからなおさら疲労感が耐えないことでしょう。これが二次障害の原因の一つではないかと考えております。

面接の場において、面接官に違和感を持たれてしまうタイプの人はまず通らないでしょう。その場合ごく一部受け入れてくれそうな場所を探すのが合理的な戦略となるはずです。

人事というのも人間であり、なるべく自分と近い存在を進んで採用したいに違いありません、面接官の間で強く信じられている直感の正体がこの同質性にあるのでしょう(要はこの人と話しててなんだから気持ちいいなって感覚のことです)。

しかし、それは所謂コンフォートゾーン(自分が快適に思う人、モノ、場所のこと)です。短期的に見れば自分と同質な仲間で固められている環境を構築できるため、快適に働けるし社員全体の士気も上がることでしょう。一方で、コンフォートゾーンを脱する勇気がないと自分と似たタイプ、似た考えの人たちばかりの組織となってしまい、イノベーションが生じなくなります、大企業病の正体です。

イノベーションはなぜ起きるか、それは異分野の視点が融合するからです。クリエイティブな人と言うのは内向的外向的関係なく、他分野の知見を取り込んでいるものです。人というのは一人だけでは創造性に限界のある生き物なのです。したがって、イノベーションを生み出すためには目に見えない多様性に溢れた職場環境が大切であるわけです。

今後に向けて必要なこと

とはいえ、短期間で変わるのは難しいことでしょう。政府もそれを察知してか、精神障害者の雇用率を年々少しずつ増やすように政策を打っております。

もちろん、発達障害の当事者が当たり前の様に就職できる環境ができればそれが理想ではあります。しかし、現状のままでは衝突、適応障害、相次ぐ誤解によりまともに職務を全うするのは難しいことでしょう。

そこで、しばらくは障害者枠として発達障害当事者を受け入れ、ノウハウを少しずつ蓄積した上で、偏見や誤解を解消してもらい、いつしか自然に発達障害当事者とそうでない方々が共同で働ける場を形作って行くように動くのが現実的なのかなと考えます。

もちろん、軽度知的障害、その他精神障害(躁鬱、統合失調症など)、不良たち、元被虐待者、HSPなどに対する理解が深まり、その人達が無理なく社会参画できる環境を構築することも大切です。

いつの日か、誰しもが自分の個性を無理に覆い隠すことなく存分に発揮できる時代がやってくることを強く願います。

(相変わらず文章まとめるの苦手で申し訳無さ・・・)

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