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【子供に与えられた環境】 日本で育った私とニューヨークで育つ息子

 ニューヨークで二児の母、101クッキングのMoMoです。

 私は日本の田舎で生まれ育った。小学校低学年くらいまでは自分の街の外には違うライフスタイルが存在するという考えすらなかったと思う。幼い頃から競泳をやっていたので、色んな県へ遠征に行った。初めて東京に行ったのは小学4年生の時。すごいカルチャーショックを受けた。地下鉄の乗り換えなど複雑に入り組んだ街の在り方に、迷子にならない様にコーチや先輩に付いて必死に歩いた。レストランもデパートも地元とは比べ物にならない大きさだった。

 私の父親は、私が中学生に入る頃から私を海外の学校へ留学させようとしていた。しかし地元のチームにそんなコネクションはなく、父の夢は叶わなかった。そんな父の想いを感じて育った私は、海外に留学して暮らす事を自分が通るべき道の様に考えていた。
 実際は、日本の田舎の変わらない伝統と、なんとなくの常識に流されて、結局私は大学卒業までを日本で過ごしたが、その後すぐに留学した。
 それから、かれこれ20年が経つ。20年もアメリカにいれば、考え方や行動がアメリカナイズさせているのだろうが、自分では全くそんな自覚はない。(それが一番危ない?)英語力も渡米5年以降は上達していない気がする。5年くらい経つと、ほぼ決まったサークルの友達といつも会ったり、遊んだりするし、相手も私のつたない英語に慣れてくれたりして、日常会話には困らなくなってしまうのだ。今の仕事もクライアントとのやり取りは基本的にメールなので、何とかなってしまっている。

 そして私は9年前、子供を持った。アメリカに生まれ、育つ息子。その環境が私にとってはある意味羨ましくもある。親が日本人なので、家の中はまるっきり日本式だが、一歩外に出ると、そこはアメリカなのだ。当たり前の事なのだけど、私にとってはそれが、うまく言葉には出来ないけど羨ましい様な、少し違う様な、でもとても近い感じ。とにかく、それが息子にとって悪い事ではないという思い。

 ここニューヨークには、生まれた時からみんな同じじゃないんだという考え方がある。肌の色、髪型、背丈、言語、食べるもの、様々な事が人によって違う。そしてそれが当たり前という感覚。そういう感覚って私にはないだろうし、後から身につけることが難しいことの1つ、そんな気がする。
 ある息子のクラスメイトの両親は両方とも男性、または両方とも女性の場合も多々ある。そして、それが当たり前。男性の校長先生のパートナーも男性である。それを隠したりもしていないし、誰もジャッジしない。そこにあるものを、当たり前だと理解する感覚。それだけなのだ。

 私は育児、特に長男に対する育児で日々、奮闘している。「何で、こんな当たり前な事分からないんだろう?」「何度言ったら私の気持ちを汲んでくれるのだろう?」という風に思ってしまう時がある。でも冷静に考えてみたら、それは当たり前の事なのだ。だって私と息子は全く違う環境のもとで生まれ、育っている。学校全体の雰囲気や友達の性格も全然違う。そのことを考えないで、自分の育ってきた日本の田舎流に彼をはめ込んではいけないのだと考え直す。

 「人と違うのが当たり前」「みんなおなじじゃなくてもいい」という感覚。息子の中には、それが常識としてあるのだ。それを潰さずに、私は息子を育てて行きたいと思う。

MoMo

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