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日記 2024/06/04

こんばんは二瓶です。
皆さんは粋に過ごされてますでしょうか。
わたしは粋の逆、野暮な生活を送っております。
例えば蕎麦を食べる時、わさびとかネギが薬味として付いてきますよね。
あのわさびなんですが、私はつゆのそば猪口にドボンと入れて箸で溶いていたんですよ。
まぁそうすれば蕎麦をつゆにつけた時にわさびの風味がするわけです。そうしてここまで来ました。最近聞いたのですが、あのわさびって蕎麦につけて食すのですってね。
粋だね〜。
そうするとわさびの味がいつまでもぼやけないで食べられる(らしい)。
わっちはわさび食ってんじゃねぇ、蕎麦たぐってんだよォ。
すしのシャリには醤油はつけない、ネタに少しつけるだけ、とかねそんなルールもありますね。
粋って江戸前の流儀なんでしょうか。
江戸っ子の感覚でこれは粋だね、いやいやこれは野暮だと全てにおいてジャッジしてるわけだ。
ちょっと待って、私の祖父は長野出身、イナゴが好物だった。お祖母ちゃんは福島の出身。父も母も千葉で育っている。どうやったって江戸っ子にはなれないのではないか。
じゃあ粋を目指すのははなから間違ってるのかもしれない。
どうやら野暮なわたしでいることが正しく感じられます。
粋っていうのは美意識であります。江戸っ子の美学をもって、これが粋、これは野暮と仕分けしていたのかもしれませんね。
いま、結構美意識が高い人が多いような気がします。ただそれは自分自身のことしか見ていない美意識のような気がするのです。見映えの文化、映えという言葉が全てを表している圧倒的な見た目だけに対する美意識。
多分それは粋ではないでしょう、むしろ無粋というものではないかと。
年寄りの冷水、これぞ野暮天のご隠居二瓶は気楽に蕎麦が食べたいだけなのです。

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