ステレオタイプな料理から自由になる日【中編】
島国の日本とは異なり陸続きのフランス。
国境付近は両国の文化が融合し、独特の文化が発展した魅力的な地域もあります。
その中でも食文化にフォーカスしたときにフランス全土に視野を広げると、フランスの国境付近だけでなくても、隣国の食材やレシピは様々なところで見ることがあります。
特にフランスを中心にして見てみると、イタリアやスペインのそれぞれの国で生まれた食材やレシピに、調理法等は、フランスではレストランのみならず一般家庭の中にも根付いています。
例えば前編でお話したイタリア料理の『カルパッチョ』。
本式のレシピはフランスでももちろん存在しますが、カルパッチョの調理法の一部である、
『フレッシュの食材を薄くスライスして盛り付ける』
という調理工程のみを取り入れ、様々な旬の食材をカルパッチョスタイルに変換することで、フランス料理の中にも『カルパッチョ』が根付いています。
イタリアが本場の他の料理も同様です。ピザにリゾット、パスタ料理などもフランス国内のレストランや一般家庭と至るところに存在し、そしてこれらの料理もまた、一部のレストランではカルパッチョのように、料理名と実際の料理を見比べると本式の盛り付けや食材とは異なる形で提供されることもあります。
このようにある一定の知名度のある料理は、調理法やレシピの一部のみを切り取られ、見た目や味わいに新しさや変化を加えられて状態で提供されることは、フランスでは一般的になっています。
そしてイタリア料理と同じくらいスペイン料理もまた、フランス国内では広く認知されている食文化です。特にパエリアやガスパチョは、基本的には本式のレシピでレストランで提供されることもありますが、レシピの特徴的な一部のみを取り入れて、『〜のガスパチョ』『〜のパエリア』というふうに、本式とは異なる調理法で出会うこともあります。
1:バルセロナ・ROCA MOO(ロカ・ムー)
2015年の3月。
2泊3日の短い滞在日数でしたが、初めてスペインのバルセロナに旅行に行った時のことです。旅行の目的は、やはりレストランで食事をすることがメインであり、初めて訪れる土地の食文化を少しでも自分の中に落とし込むためでした。
就労ビザを取得した後、本格的にフランス生活がスタートした2012年から数えて、初めてフランス国外を出ての美食旅。
出発前から特定のレストランで食事をしようというよりも、とにかく現在のスペインにある料理を楽しみたいという目的での旅行だったため、バルセロナ市内を中心に予約を取らずに、飛び込みでレストランやタパスで食事体験をする旅でした。
2日目の昼、バルセロナの中心地から少し離れた場所で、ホテル・オム(Hotel omm)の一階に入り口を入り、フロアーの奥に一軒のレストランを発見。
レストランの名前はROCA MOO(ロカ・ムー)。予約無しで食事ができるか訪ねてみたところ、13時から受け付けているということで、お昼の食事を受け付けてもらいました。
スペインでは基本、タパスなど一日中オープンしているレストランを除き、入店時間は日本に比べて1時間以上も遅れてからの13時頃になります。しかし実際にお客が来店し始めるのは14時頃になるスタイルが、スペインのレストラン営業時間の流れのようです。
予約の取れたロカ・ムーは、バルセロナから北へ車で一時間、ジローナという町にある3つ星レストラン・EL CELLER DE CAN ROCA(エル・セジェール・デ・カン・ロカ)の姉妹店。
本店のカン・ロカは、世界のシェフやグルメ評論家らが選ぶ「世界のベストレストラン50」で、2015年に世界NO1に選出された、長男でシェフのジョアン氏、次男でソムリエのジョセップ氏、三男でパティシエのジョルディ氏、のロカ3兄弟による、世界のレストラン業界に旋風を巻き起こしたレストランです。
ロカ・ムーは、当時1つ星レストランで手軽に3つ星本店の味を堪能できるレストランとして、ホテル・オムが本店とのコラボで誕生したレストラン。
テーブルに案内されるまで、レストランの横にあるロビーでアペリティフを楽しみながら、フランス語で書かれた当日のメニューを読んでいました。
選んだメニューは、デザートを含めて6皿からなる、デギュスタシオン(試食メニュー)。メニュー中には本店のスペシャリテでもある、舌平目のポワレを5種類のソースで味わう料理も含まれており、本店の特徴もしっかり味わえるメニュー内容でした。
デギュスタシオンコースの2皿目に出てきた前菜2皿目にて、ある食材を使ったカルパッチョ料理に巡り会いました。
その料理は小鳩の胸肉の表面のみに焼き色をつけて、薄くスライスされて盛り付けられた冷菜の小鳩のカルパッチョ。
薄くスライスされた小鳩の胸肉は、火入れがレアな状態でお皿の上に散りばめられており、小鳩の味を中心に、特徴的な香りのネズの実のアイス、濃厚な味わいと口溶けの良い鴨レバーのムース、爽やか香りと僅かな苦味が印象的なオレンジの皮のコンフィに、瞬間的な辛味を演出するハーブの『かいわれ』も散りばめられていました。
料理がテーブルにプレゼンテーションされる時は、透明なガラスのクロッシュがお皿に被せられており、盛り付けた食材たちが瞬間燻製されるように、食材の表面を燻製の煙が覆うように提供されました。
香ばしく柔らかな小鳩のカルパッチョは、かみ締めるほどに野性的で官能的な旨味が出てくる。カルパッチョの旨味みと風味を中心的に、わずかな甘みの冷たいネズの実アイスが、フレッシュの小鳩の香りを引き立ててくれる。
オレンジの爽やかな苦味、ハーブの辛味、そして全体の味わいをまとめてくれる鴨レバーのムースから生まれる一体感は非常に感動的な味わいでした。
当時リヨンのブラッスリーでシェフとして勤めていた僕は、料理に新鮮さや新しい発想を加えたいと考えていた時期でした。
勤めていたレストランで常に固定された伝統料理を作っていた中でも、日替わりメニューでは自分の料理を表現できるように、限られた時間と人手でも、忙しい営業時間内で効率的に誰でも仕込みができ、短時間で盛り付けて提供できる料理を試行錯誤していました。
ロカ・ムーで食べた小鳩のカルパッチョのように、一つの皿に数人の料理人が仕込みから盛り付けまで、手間と時間をかけているような事は現実的には不可能。
それでも感動した小鳩のカルパッチョを違った形にして、少しでもこの楽しい気持ちを表現したいし、食べてもらいたい。
そこで思いついたのが鴨胸肉。鴨胸肉なら小鳩よりも大きく、1枚の胸肉で2〜3人前のスライスを取ることができ、既に骨から外され下処理された状態で仕入れが可能。
しかし、流石に実際食べた火入れがレアの小鳩の胸肉のスライスのように、鴨胸肉をレア状態で提供することは現実的ではない。
何故ならば、60〜70名のお客がほぼ同じ時間帯に来店し、短時間で料理を提供するフランスのブラッスリーでは、注文を受ける度にレア状態の鴨胸肉を、一人の料理人がその都度お皿に盛り付けるのは、現実的に非常に厳しいから。
もちろん予約状況によもよるが、当時働いていたレストランの立地は人通りが少ない裏通りにあったといえど、予約無しの飛び込みで来店するお客が大半。街で行われるイベントや季節、そして前の週の営業状況と照らし合わせて、料理の仕込みを予測して営業に備える必要がある。
つまり予測が外れることも前提に、仕込んだ食材が当日の営業で使い切れなかったり余ってしまう状況も視野に入れて、廃棄のリスクをできるだけ抑えたい。
2:鴨胸肉を環境に合わせたカルパッチョに
そこで参考にしたのが鴨胸肉の燻製のレシピ。
鴨胸肉の燻製のレシピは、塩水処理(ソミュール液に漬けること)を施してから鴨胸肉を燻生にかけます。熱燻製か冷燻製かによって塩水処理後の燻製の調理工程は異なりますが、ここではその説明は割愛します。
燻製前に塩水処理後の肉を低温調理して、適度なロゼ色の火入れを施す冷燻時の調理工程を取り入れることで、保存期間を肉がレアな状態よりも、品質を落とさずに長く保てるようにしました。
そして何より生で食べることに抵抗のある鴨肉を、きれいなロゼ色にすることで誰にでも受け入れやすい印象を与える。
しかし塩水処理時に入れる塩の量をそのまま採用して低温調理をしてしまうと、仕上がりの塩味が強くなり、出来上がった鴨胸肉のスライスをそのまま食べると1〜2枚で満足感がでてしまいます。
何よりお酒のおつまみとしての印象が強まり、前菜料理としては成り立たない。
そこで本来の塩分濃度を10%から5%に下げて塩気を抑えて、代わりに保水性の効果のあるグラニュー糖を水に対して4%ほど追加し、厚みのある鴨胸肉でも中まで程よい塩気に調節することができました。
そして鴨胸肉に燻製を加えることも現実的ではなかったので、燻製工程を省いた代わりに、ソミュール液(塩水)の中に特徴的で香り強いにんにくや、タイムにローリエ、レモングラス等のハーブ類、オレンジやレモンの皮の柑橘類の皮、そして砕いた黒胡椒、コリアンダー、八角、カルダモン等のスパイスなどをいれました。
燻製ほどの香りにインパクトはありませんが、柔らかく心地よい香りを鴨胸肉の表面につけることができ、そして何よりも、一度にたくさん仕込める利点があるので、限られた仕込み時間で確実に均等な下準備を、レシピさえ守れば誰でも確実にできる状況にできたのが強みでした。
予めロゼ色に火入れをするのも、塩水処理後の鴨胸肉を真空パックに入れて、低温調理器を使用することで一度に30人前の火入れを完了させる事ができます。
そして営業前にまとめて皮面に焼き色をつけてからスライスしておけば、後は鴨の味わいと風味を引きだした、鴨胸肉のスライスをお皿に盛り付けるだけになります。
また一緒に付け合わせた食材として、土のような独特な香りが特徴のビーツのピューレ、プルーンのようにフルーティーで甘く・力強い香りの黒にんにくのピューレ、燻製香をまとわせてピマンパウダー、ヘーゼルナッツのトースト、そして様々なハーブを盛り付けることで、鴨胸肉の旨味を引き立てて複雑性も加えてヒトサラを完成させることができました。
このような出会いと背景が重なり、YouTube動画でも紹介した鴨胸肉のカルパッチョのレシピが出来上がりました。
YouTube動画内で紹介しているレシピでは、味わいを左右する重要なポイントとのソミュール液の塩分濃度と漬ける時間、加熱工程はレストランで作っていたときと同じですが、ソミュール液に入れるハーブやスパイスなどは、家庭でも挑戦しやすいように簡略化しています。
盛り付けや付け合せも同様にシンプルに仕立てています。
また、動画内ではソミュール液と紹介せずに誰もが聞いたことがある言葉の『
マリネ液』と紹介しているのも、視聴されている誰もが理解しやすい単語にあえて翻訳した経緯があります。
本式のカルパッチョのレシピは、前編でも紹介したように真っ赤な生の牛ヒレ肉スライスを用いて盛り付けることが前提です。牛肉を使わないにしても、生の食材を薄切りにして盛り付けることが現代ではカルパッチョの定義になっています。
そんな中であえて加熱処理した鴨胸肉を『カルパッチョ』と紹介しているのは、誰もが知っている『カルパッチョ』の名前や調理法、盛り付けのイメージを利用して、細かく説明しなくても、
『鴨胸肉は、鴨の味を引き出したロゼ色に低温調理されています』
と一言添えるだけで、誰もが一瞬で注文する前から料理のイメージがしやすくなり、食べたくなる料理の印象を持ってもらうためです。
新しく生み出された料理には名前がありません。
新しい名前が付けられたにしても、広く一般の人たち(ここでは主にレストランに訪れるお客)には認知されていません。
レストランの知名度・規模や価格帯にももちろんよりますが、このように料理人がいる環境や作る調理場の設備によって、既存のレシピを参考にしながらも、『本来あるべき姿』(レシピ・盛り付けなど)から、環境に合わせた『なるべき姿』のスタイルにレシピを落とし込み変化していくものなのです。
3:生活を豊かにしてくれる現代のフランス料理
本来あるべき姿だと思っていた伝統は、その国の地域で暮らす人々による集団の共通の認識や暗黙の了解からくるもので、時代とともに更新されていかなければ、思い込みや先入観、差別にまでつながるステレオタイプなものになってしまう。
そんな時代から、珍しい情報や新しい出会いなどの交流は、嫌でも巡り合ってしまう現代において、今までのあるべき姿から、なるべき姿へと徐々に変化していく事は自然なことだと思います。
今まであった伝統や既存のものよりも、
『これって楽しいよね』
『これって便利だよね』
『こっちのほうが簡単だね』
というものの方が、僕たちの生活に根ざしやすくて、多くの人の心を豊かにして幸せへと導いてくれると思います。
伝統を否定しているわけではありません。
伝統は後代に与えた影響力が計り知れなく、いつだって新しいものを生み出す原動力になっているし、情熱や感動を僕らに与えてくれる。
しかし、現代において僕らにとって身近な存在ではなく、その道の専門職や特化した人でない限り、触れたり出会う機会のないものばかりです。
だから料理も同じように、ごく自然な形で発信力や影響力が強い有名フランス人シェフたちを筆頭に、伝統的なフランス料理よりも、現代の様々な国の文化や新しい情報に影響を受けて身近になっている現代フランス料理のほうが、より多くの人の生活に根ざしやすく、現代の生活をより豊かにしてくれるヒントが散りばめられているはずなのです。
【中編】完
それでは、次回も続きを書いていきます。
次回もお楽しみに!!
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