朝イベントやLINEスタンプ。会社の幅を広げた|C.S. STORY 2014-15
8年ぶりのイタリアでもう今一度原点を見直す
2周年が過ぎて迎えた3年目の夏休みに、妻の千鶴とともにイタリアに渡りました。4泊6日で、プーリア州とカンパーニア州を回ってきたので、世話しなかったのを覚えています。
渡伊の目的は次のようなことでした。
プーリア州では、2つのチーズ製造所を見学させてもらいました。
現地の職人さんたちの仕事ぶりをみて、とくにブッラータの生地の作り方は勉強になりました。すごく強い生地だったんですよね。当時の僕たちのブッラータは、まだまだ酸味があって弱い生地だったこともあって、日本に帰ったら変ようと考えたのを覚えています。
あとは、職人の手さばきの速さといったら! 熟練の手の動きに驚きました。雑なんだけど速いんです(笑)。CHEESE STAND LAB. の熟成師・柳平が、僕がブッラータを作っているのをみて「早送りしているみたい」というんですけど、たぶんこのときに現地の職人のスピードを生で見て本物の速さを知ったことが大きいんじゃないかと思っています。
現地では、じつはあまりブッラータを食べることができなくて残念だったのですが、いくつか食べてみて、味については自分たちのブッラータも悪くないと思ったのを覚えています。方向性は間違っていないので、あとは食感だったり品質をどう保っていくかとかを考えていこうと決意できたのは、いい経験だったと思います。
それからカンパ―ニア州へ移動し、CHEESE STANDで提供していた「San Salvatore社」のワイナリーへ。
ブドウは、古代ギリシア・ローマ時代のパエストゥム遺跡がある州南部の地域で作られています。海が近く、またヴェズーヴィオ火山の噴火により、火山灰がたまり沼状の肥沃な大地であり、水牛の生育にも適した大地です。
San Salvatore社でも水牛を飼っており、見学することができました。ちなみにワイナリーの開墾当初は、水牛たちがブドウ畑を耕していたそうです。
やはり、現地を体験することができたのはよかったです。風の強さや、におい、日光に当たり具合なんていうのは現地に行かないとわからない。こうやって実際に見聞することでこだわりなどを体験することができました。
最終日には、同じカンパ―ニア州の都市ナポリへ。じつはまるっきり同じ時期ではないのですが、8年前に僕はナポリ、千鶴はナポリから船で30分くらいにある小さな島、プローチダ島にいたこともあって、2人にとって思い出の地でもあります。
お互いそれからイタリアにほとんど行っていなかったので、店を始めてようやく軌道に乗ってきたこのタイミングで、きちんとイタリアを見ておきたいと思ったのもあります。
ナポリでは、ピッツァ職人を目指していた僕が3カ月くらい働いたピッツェリア「カパッソ」を訪ねたり、モッツァレラの卒論を書く際にお世話になったモッツァレラ・ディ・ブッファラ協会のジェンナーロさんとも再会。翌朝わざわざモッツァレラをお土産にもって来てくれもしました。
プローチダ島では千鶴が働いていた「カヴァリエーレ」に行ったりもしました。
もう8年も前なのに歓迎をしてくれて、人の温かさを感じたナポリ滞在でした。
ようやくホウキとチリトリを買えた
3年目は、その年(2014年)の3月に放映されたテレビ番組《月曜から夜ふかし》に取り上げてもらったことで売り上げが増えたことはもちろんですが、売り上げの予測が立てれるようになったことは大きかったですね。ずっと前に進んできたCHEESE STANDも、計画を立てて事業を進めていけるようになったわけです。
今考えると、製造にかかりっきりで時間は今よりもなかったはずなのですが、それでもその合間を縫っていろいろなところに行ったり、人にお会いしたりしていました。
卸先も増えて、店のスタッフも力をつけて、チームとしても充実していたと思います。
チーズの製造は僕が中心で、もうひとりアシスタント的に製造をしてくれている人がいて、ホールは千鶴と、まるちゃん、しずかちゃん、あやかちゃんと社員が3人いて、さらにアルバイトで大学4年の学生さんが3人いました。
当時は、今のように店舗が2つあって製造も分かれていてみたいなこともなく小さなチームだったので、店が終わればみんなでごはん食べに行ったりもしていましたよね。
売り上げが29万円を超えたら焼肉(29)に行こうと決めて頑張っていたんですけど、そのうち平日にもいくようになって行かなくなってしまいましたけど(笑)。
3年目の2015年の3月に、渋谷の店舗とは別に事務所を持つことになったのは、ひとつ大きなことだったかなと思っています。このころからオリジナルの包材を作ったりして、店に置くには物が多くなってきていたんですね。
店から少し離れたところに借りた事務所では、通販の伝票の発行をしたり、事務作業したりする場所であるとともに、スタッフの休憩室みたいなイメージで、いままで買いためた本とかを置いて、自由に読めるようにもしました。
事務所というお金を生まない場所に家賃10万円を払えるようになったのかと感慨深く感じましたね。
飲食だけでなく事業を立ち上げたことがあるオーナーの方ならわかると思うのですが、CHEESE STANDでもオープンするときにお金がどんどん出ていく経験をしたんです。そのときは、できるだけお金を残したくて、たとえば起業する前に勤めていた前のドーナツ屋さんのオーナーにお願いして、備品を買い取らせてもらったんです。そのなかには、ホウキやチリトリみたいなものまであって。
その時に新品を買えなかったホウキもチリトリも、新しく事務所を開くために買えたんですよ。「ああ、買えるようになったんだ」と安心したのを覚えています。
その事務所は、2号店の「& CHEESE STAND」がオープンするくらいまで、1年半ほどいたんじゃないかと思います。
イベント「Good Morning CHEESE STAND」
イベントも1年目、2年目に引き続き積極的にやっていました。
とくに思い出深いのは、11月24日の朝に行った「Good Morning CHEESE STAND」というイベントです。チーズと、お花屋さんやグラノーラ屋さんなど、朝にまつわるetc,&ちょっとしたマーケットのようなものでした。
菜園料理家の藤田承紀さんが手伝ってくれたことで生産者さんとつながることができましたし、このイベントがあったことで、後にセレクトショップ的な要素をもつ& CHEESE STAND のオープンにつながっていったと思います。じっさいMY BEST GRANOLAの市川広樹さんのグラノーラは今でも& CHEESE STAND で販売していますからね。
いらした方には、参加店の一つのお花屋さん「かるかや」さんの花1輪をプレゼンをしたりもしました。当時かるかやさんにいた佐々木洋聡さんは独立されてご活躍中。渋谷店の植木を今も見てもらうなど交流が続いています。
「Good Morning CHEESE STAND」の少し前の11月1日には、夏に訪れたイタリア・カンパ―ニア州のワイナリー「San Salvatore社」からラファエッラさんがいらして初めてのイベントができたのもうれしかったですね。
ラファエッラさんの情熱的なトークで始まり、さまざまなチーズはもちろん、当時、西麻布のヴィーノ・デッラ・パーチェでシェフをされていた小西達也さんにナポリ古代宮廷料理Saltu'(お米のタルト)も作ってもらったりと、カンパーニアのワインと料理を楽しむ会になりました。
その時は、イベントのイメージ動画も制作しました。
動画は、小学校と中学校の友人である宮田陽平さんに制作をしてもらいました。友人たちにも参加してもらい、チーズ製造風景なんかも簡単に紹介しています。
こうやって昔の友だちがお互いプロとなって仕事ができるのはうれしかったですね。宮田さんには、CHEESE STANDの動画も制作してもらいました。この動画は、いまもCHEESE STANDのサイトで使っています。
チーズ屋がLINEスタンプを作ったワケ
のちに絵本と4コマ漫画としてweb連載する「モッツァーマン」のLINEスタンプを作ったのもこの年でした。
チーズに関するキャラクターを使った絵本は、店をオープンする前からやりたいと思っていました。リリー・フランキーさんが原作の絵本《おでんくん》のように大人から子どもまで楽しんでもらえたら。チーズをもっと広めるため、ハレの日の食材であるチーズをもっと身近に感じていただくために必要なツールだと思っていたんです。
ただ、絵本の前にまずは本業のチーズ作りに専念するのは当然のことで、絵本の構想は、「いずれ必ず」と心の隅に置いていました。
そんな時、2015年4月に、LINEからLINEスタンプの販売を一般にも開放する「LINE Creators Market」がオープンするというニュースが流れてきました。
まさに「これだ!」と思い、CHEESE STANDのロゴやモチーフのデザインをしてくれたstudio hの太田貴子さんに連絡。さらに、イラストレーターの照喜名さんをご紹介いただきました。
まずはキャラ設定。CHEESE STANDで販売している4種のチーズの特徴を活かしたキャラクターを考えていきました。
CHEESE STAND の主力商品であるモッツァレラを主人公の「モッツァーマン」にし、リコッタがモデルのヒロインの「リコちゃん」、希少性のあるブッラータは「プリンス・ブッラータ」、カチョカバロの「カチョカヴァッロ」は、真面目キャラというように、キャラクターデザインをしてもらいました。
モッツァーマンの親という設定の「父」は、天然パーマのクセ毛でひげを生やしていて、僕にそっくりとよくいわれます。照喜名さんとは、実はそのときはお会いしていなかったのですが、最初に出してくれたイメージ図が偶然にも似ていたんです。不思議ですよね。
雑誌やテレビといったメディアに取り上げていただくことも変わらず多くて、とてもありがたいことでした。とくに思い出深いのは、JR東海グループの株式会社ウェッジから出版されている総合情報誌《wedge(ウェッジ)》の2014年9月号の企画「にっぽんの100人の青年」に取り上げていただいたことです。
新幹線のグリーン車では無料配布されていることもあって「読んだよ」という連絡をいただきました。
34歳までが青年とのことなので、ギリギリセーフ。作家の林えりこさんに書いていただいていて、作家さんならではの文体で書いてもらえたのは嬉しかったです。
藤川、とうとうおばちゃんパーマに
さて、みなさんお気づきかと思うのですが、この3年目の間に、僕の髪型がパーマヘアに変わっています。
自分でもいつ変えたのか覚えていなかったのですが、この企画をきっかけにブログやSNSの投稿をさかのぼってみて、どうやら2015年の春からパーマヘアにしていることに気づきました。
当時、「Broccoli playhair」という美容室の藤川英樹さんと仲良くなって、よく飲みに行っていたんです。
お互いのことを話していると、相手が美容師ですから当然ヘアスタイルの話になりますよね。僕の地毛はクセ毛なので、そのくせ毛を活かしたのがいいな、とか話しているなかで、起きると爆発しているときもある、みたいな話をしていたんです。
イメージとして外国人の子どもの髪型を見せたりして「こんな髪型がいい」なんて伝えて、パーマヘア(英樹さんは、おばちゃんパーマって呼んでいます)にしてもらいました。
「目立ちたい」とか「自己表現のために」というのはまったくなくて、友だちとのノリのような感じで髪型を変えたんです。
もともとうすい顔だと思っていたので、やってもると意外とあってるなと思いました。まわりからもキャラ付けされていいと評判だったので、それからも今もずっとこの髪型を続けています。もうすぐ7年にもなるんですね。
こうやって振り返ってみると、8年ぶりにイタリアをまわって、イベントもやって、LINEスタンプ、動画も作って。Instagramをはじめたのもこの頃でsじたね。
新しいことに挑戦しようとするのは、いまでもずっと考えていることで変わらないのですが、当時は33歳。まだまだエネルギーがありあまるほどありました。毎日働いて、日曜の製造が終わってからいろいろな人に会ったり、休みに動画を撮ったりしていましたから。
そのエネルギーの源は、何だったんでしょうかね。
たぶん、そのときの状況にぜんぜん納得していなかったからだと思います。もちろん今でも、ぜんぜん納得していないですけどね。とにかく、やりたいことがたくさんあった時期だったんだと思います。
スタートは、多店舗展開を考えていたわけですけど、このころはもちろん店舗展開をしたいと思ってはいましたが、それとは違うアプローチをしながらチーズを軸に会社を強くしたいという気持ちが強かった。そのツールが絵本やLINEスタンプ、イベント開催になっていったんだと思います。
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