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障害性のリアル×東大生のリアル

この本を読もうと思った動機


 「認知症を持つ人が『普通の人』と同様に見られる時代は来るのか。」という疑問が日頃から頭の片隅に引っかかっている。
 高齢になるとどこかしら不自由な所が出てくる。体にも脳にも。「認知症」は誰にでも起こりうる障害と言えると思う。
 近年は、障害者の権利擁護がますます進み、当たり前になってきている気がする一方、いざ「障害者」と対峙すると「普通じゃない」と感じてしまう自分がいる。
 (認知症の方を含む)障害者に対してどう向き合えばいいのか、また障害者と言われる人々はどんなことを思っているのか、知りたいと思い、この本を手に取る。

以下、本の内容と個人的に考えたことの自由なメモ↓

プロローグ

本の概要


「障害者のリアルに迫る」という東大生の自主ゼミが本になった。
編集者はゼミ担当の野澤和弘さん。野澤さんには重度の知的障害を持った長男がいる。内容は、ゼミで障害当事者の講義を聞いたゼミ生たちの感想文がまとまった形式。

印象的だった言葉


身近なところにいる障害者を敬遠し、アフリカの貧困に飛びつく学生が多いということに対して、悲しいとか心が痛むとかは思わなかったが、もうこういう空気を感じるの嫌だ、とても嫌だと思った。

本章

※各章の中に他の章の講師の話も入っている

1岡部宏生 ALS

印象に残った文
日本やオランダ、台湾など一部を除いて、ほとんどの国で人工呼吸器は公的保険が適応されておらず、人工呼吸器の装着率はほんの数パーセントと言われる。経済的な余裕がなければ、装着するかどうか選択する余地もなく、ALSの発祥は死を意味する。

(岡部さんの普段の生活のビデオが流される。看護師4人がかりで入浴させたり、管を通して栄養分を摂取するなどの映像が流れた後のゼミ生の感想)
不謹慎ながら、あえて率直な表現をさせてもらいたい。「なんのために生きているんだ」と思った。
 ALSを発症した岡部さんは、自分の生きる意味を疑い、自殺を考えたものの、結果的に生き続けた。ALSを多くの人の知ってもらい、考えてもらうことを新たな生きがいにして、生きると決めた。
 岡部さんの生を無駄にしたくないと強く思った。

2南雲明彦 ディスレクシア(学習障害)

印象に残った文
・(南雲さんは)転校を繰り返し、自宅に引きこもり、家庭内暴力や自傷行為をするようになった。

・(発達障害の存在を知った後)ひとりじゃない。僕だけじゃなかったんだ。そんな思いが込み上げてきたという。

自分はいったい何者なのか…。優越感と劣等感が混濁した川底を過剰な自意識がかき回し続ける。

・おいて行かれる感覚、理由も分からないまま自分が周りより出来ないことを強く意識する感覚にさいなまれる。

 「健常者と障害者の区別は違いが明確ではない」「健常者も生きづらさを感じる」「社会がどんな人も幸せに生きられるように変わらねばならない」とか、よく議論されるけれど、当事者でない身では所詮頭の中だけの議論でしかない。「障害者という大きなくくりではなく、個人が何を考え、どう生きづらさを感じているのか、知りたい」と考えていたゼミ生は、当事者の前でそれを言うとずいぶん軽く聞こえた。ALS患者は生きるか死ぬかの選択を真に迫られるのだ。そういう方々を前にすると机上の空論のように感じられる。

 前章の岡部さんは「生きることを選んでから、生きる意味を考えるのです」と答えた。岡部さんは生きる意味を知っているから生きているのではなく、今でも葛藤しているのだ。障害当事者と向き合うときは、生きる意味など哲学的な正解を求めようとするのではなく、人間としてどのように葛藤しているのかを知ろうとするのが大事。

3母親+障害児 医療的ケアの必要な障害児

印象に残った文
(障害者と健常者、東大生とそれ以外などと)一括りにされて、レッテルを貼られることは、健常者であろうと障害者であろうと同じようにどこか嫌なことであると改めて気づかされた。

障害についての感じ方がある人にとっては差別的に見られるかもしれず、それを恐れて人は障害について語るのをためらってしまう面がある。もし議論をするなら「それは差別的だ」という批判の言葉は自分の中にとどめ、どんな主張も受け入れることが障害について理解を深めるのが大事。

4竹村利道 障害者の就労支援

印象に残った文

・(身辺自立の訓練をしたり、簡単な作業をする施設に)"できない障害者"を更生したり、仕事を授けたりするちう古い障害者観がその根底にある。

・「多くの支援事業所が障害者に生活できないような賃金しか払っていない。国から補助金をもらって自分たち職員は生活しているのに、障害者には数千円とか一万円程度(お小遣い程度)しか払っていない。」

・「障害者が働いている店、障害者が作った作品。そんな理由でお客さんがやって来るのは最初のうちだけ。そんなことでは世間には通用しない。本当に良いものを作り、良いサービスを提供しなければ継続できない。」
(竹村さんは、どら焼きなど障害者が作ったものを提供するおしゃれなカフェを運営している。)最初のころは慣れていないので、あんこがはみ出したどら焼きもあった。取り引き先から苦情が来ると飛んで行って頭を下げた。「障害者が作っているものですから…」。のど元まで言い訳が出そうになるが、ぐっと我慢して飲み込む。「私たちは、障害者を売りにもしなければ、言い訳にもしない」

・(ゼミ生が地元の就労支援施設の話を聞いて)「(地元の就労支援施設は)障害者にはどうせ何をやらせても大した金にならないのだから、じっとしておいてもらおう」と考えているように思えてならなかった。

感想
 障害を持っていない自分が「親身になる」のは「不可能」と感じるという内容のゼミ生の言葉が新鮮だった。多々ある障害と言われる特徴の中には、自分にも理解できるものがある気がしていた。本当に理解できないのだろうか、考えてみたくなった。
 障害者を「助ける」という上から目線以外で障害者をみつめるにはどうすれば良いのだろう。

5牧野賢一+軽度の知的障害者 罪に問われた障害者

牧野賢一さん:触法行為をして刑務所にいた軽度知的障害者を始めとした、社会で生きにくさを持つ知的障害、発達障害のある人が、自分らしく生きられるように作ったグループホーム「UCHI」の施設長。

印象に残った事実
かつて軽度知的障害者は福祉サービスの対象と考えられておらず、一般的な貧困層の中に埋まっていた。現在は軽度の知的障害者ができるような単純作業の仕事が減っていったことを背景に、軽度知的障害者は「障害者」とみられるようになったらしい。(ゼミの担当教授)

印象に残った文章
・(福祉サービスを利用する際に専門員が作る計画書には、本人の「安定」「継続」を目標とすることが多いが)若い障害者は「安定」「継続」だけでいいのだろうか。
冒険や逸脱を家族や支援者が敬遠するのは自分たちにのしかかる負担の重さからである。

・(ゼミで触法障害者の方と普通に話す時間になったとき)話してみると本当に普通のやり取り、コミュニケーションだった。
・この世界には本当にたくさんの境界線が存在し、その境界線があるおかげで生きていけている面は多々ある。しかし、(東大生と知的障害者の間の境界線など)自分がそうした小さい境界線の世界の中にいることを実感し、境界線を越え、その外にあるもの見て、聞いて、感じることにより、「同じもの」を見つけていく必要がある。

・他人の「不幸」に同情するというのも一種の傲慢なのだと思う。「絶対的な不幸」など素材しないのだから(…略)。健常者が考える「幸せと不幸せのボーダー」を彼らに押し付けるほど、彼らにとって迷惑なことなどないと思う。

・「境界は、誰かがどこかで決めたにすぎない」
・一元化された「良」の価値によって押しつぶされる、「弱者」が存在する構造(に違和感を覚えた)
・高校時代の親友Mは、大変鋭い観察眼とそれをうまく言語化する能力に長けていて、私は彼を非常に頭がよく、人間的に面白いやつだとして慕っていた。(Mが受験に失敗して)「受験に失敗した俺に希望も価値も無い。俺が死んでも誰も悲しまない」と言った。私は、心底悔しかった。点数を取るものが強いという価値が一元化された受験の世界では、たちまち彼は「弱者」となり、蹂躙される。
・何かができないことというのは、同時に何かができることではないか。

6向谷地 宣明 +「べてぶくろ」の利用者


「べてぶくろ」…東京池袋で精神障害者の支援をしている団体。グループホームや当事者研究、商品販売等をしている。生活に困窮しホームレスになることが多い精神障害者が安心して暮らせる住居を提供している。

「べてるまつり」の幻覚妄想大会…過去の幻覚妄想を笑い話にして披露する。
「幻覚」「妄想」の負の固定観念を笑いと商売でゆったり溶かしていくのが「べてる」なのだ。

私は「べてるの家」の家のことを知った時から「おりていく生き方」がどんな生き方かがわからなかった。(ゼミで牧野さんに聞くと、)「おりていく」っていうのは「病気山からおりる」という意味だから、「自分はこういう生き方頑張り方をしたら病気山を登ってしまうんだ」というのを自分で理解して、具合が悪くならないようにする生き方だと教えてもらった。

・(べてるの家の精神障害者の妄想を聞いて)彼らの論理構造は極めて独特で、それゆえに「妄想」として簡単に片づけられる彼らの言葉は、彼らにとっての「現実」だったのだ。

・(べてるの家のメッセージ)「安心して絶望できる社会を」「死にたいままで生きていてもいいんだよ」

・授業で発表される(障害当事者の)エピソードや物語に対して、向谷地さんは賞賛もせず批判もせず、「へー」という顔で少し距離を取りながら、「○○さんにとって、それはどういう意味を持つんですか?」と尋ねていく。愛に満ちた好奇心で、他人の「夜(この受講生にとって、混沌とした思考が押し寄せてくる時間)」をその内側から理解しようとする

7小山内美智子+福島智+熊谷晋一郎 障害者の性

小山内美智子さん…障害者当事者として権利を訴える活動の草分け的存在。「障害者と性」を重要な社会的テーマとしている。脳性麻痺がある。
熊谷晋一郎さん…脳性麻痺があり電動車いすを使う。東大先端科学技術の准教授。
福嶋智さん…盲とろうの重複障害者。東大先端科学技術の教授。

印象に残った文
・障害があっても地域社会であたりまえに暮らし、あたりまえに働き、あたりまえに社会に参加する。そして、あたりまえに恋愛し、セックスもする。

・「他人の欲望を欲望していては、完全には満たされないと思うんです。自分の欲望を見つけることが、課題なんじゃないかと思います。」(熊谷さんの言葉)

印象に残った内容

(トランスジェンダーのゼミ生の感想の一部まとめ)
・自分が「性同一性障害」と分かったとき、ほっとしたと同時に障害と言われてしまうことに違和感を感じた。自分とどう向き合っていけばいいか分かりやすくなり安堵する一方、自分がいかに普通ではないかを証明させられた気分になる。

・障害を個性という言葉で片づけることにも強い違和感を感じる。「障害は個性なんだよね、だから大丈夫なんでしょ?」などと言われても、結局苦しむのは当事者だけだ。(父に障害をカミングアウトしたときに、自分の人生は自分の生きたいようにすればいいと肯定された後に「なんでそんなことをわざわざ俺に言うんだ」と付け加えれた。本当は名前を付け直したり、性転換手術のこと等も考えてほしかったのにという不満が背景にある。)

・異なる人と自分とを区別して、異なる人のことは考えないという姿勢が、いろんな人がともに生きていける社会を不可能にしているのではないかと思う。

・性とはこういうものだ、セックスとはこういうものだ、という規範がある限り、「健常者」の性を基準に自らをはかり、「健常者」の性を欲望してしまいがちなのではないか。

エピローグ

(障害者のリアルに迫る東大ゼミの立ち上げ中心人物の大森さんより)
・障害ゼミを立ち上げた当初は、就職活動に失敗して留年していた。(大森さんは熟考するタイプで、面接の際も数分かけてやっと話すべき言葉が見つかるような状態だった。)「すぐに相手の意図を理解し、分かりやすく説明しなきゃいけない感じ」「なんの脈略もなかったはずの自分の人生を、目的に沿わせて物語らなければいけない苦しさ」「相手の要求通りにうまくやれない自分は、特に存在価値もないという感覚」

・障害ゼミで初めて、息を吸えた感じがしたのだ。

・某メーカーの営業マンとして就職してからも、言葉が出てこない瞬間があるが、それは三晩も寝たら忘れてしまうことが大半だ。幸か不幸か、その程度の生きづらさだった。

・日常は忙しく押し寄せ、別に特に同僚や顧客を深くまで理解せずとも、当面は問題なく、そしてそこそこ楽しい。このそこそこさに腰を落ち着けるのは、とても楽ちんだった。

(ゼミの顧問、野澤和弘さんより)
・会社に入って仕事をし、仕事を覚え会社内でも頼りにされるようになると、ますます居心地が良くなる。気が付けば10年、20年、30年…と過ぎていき、家族ができたりすればますます冒険ができない人生になる。この私がそうだったから、よくわかる。

・障害者のリアルに触発され、自らの既成概念を揺すぶられている彼らが、就職とともに既成の「安定」という磁場に引きずり込まれていくのが、私にはもどかしかった。

(ゼミの二期生として運営に関わった佐藤さんより)
・運営メンバーと話していて、私の優等生ぶった考えに「本当にそう思っているの?」と聞かれてドキリとするのもしばしばだった。

・この本の原稿では「誰の書いたものだっけ?」と思うくらいには、自分を出したものが書けた。「本当にそう思っているの?」と聞かれても、今度はドキリとしないだろう。

(ゼミの二期生として運営に関わった御代田さんより)
・「学生たちの過剰な自意識」「ドロドロとした過去の暴露による自己肯定」「自分の満たされない欲望の障害者やマイノリティへの勝手な投影」「ひ弱な正義感のはけ口」。ここにある僕たち学生の声は、そういった強い解釈への対抗手段を持たない、微弱で繊細な、気づきや感動のいくつかです。

(ゼミの二期生として運営に関わった澤田さんより)
・他の受講生の原稿を読み始めると、そこでは、想像以上の打ち明け話が繰り広げられていた。

・講師たちが自分の内なる感情を教室に放出する。そのインパクトに、学生は無意識に影響を受けたんじゃないか。

・人には心の奥底に秘められた欲求があるように感じる。「実は知りたい」という思いと「実は話したい」という思い。このゼミは、その2つの欲求を結びつける役割を果たしているのかもしれない。

動機に戻っての感想


 「障害者のリアル×東大生のリアル」の講師は皆さん自分の障害について自覚しており、その苦悩や障害との付き合い方などを話していた。一方、私が気になっていた「認知症を持った人」は自分に障害(?)があると自覚していない点で異なる。それでも認知症を持った方に対する考え方のヒントになるものをいくつか得ることができた。

 まず、前々から感じていたことではあったけれど、社会では価値が一元化されやすいということに気づくのが大事なのだとなんとなく分かった。
 文中には「他人の『不幸』に同情するのは傲慢」という言葉があった。自分から見て(自分の視点は大体社会の視点に影響されていると思う)、「不幸な境遇」にあるように思えても、本人からすると不幸ではないことがある。認知症の人は「不幸」とか、かわいそうとか、憐れんだ目で見ていては、「認知症を持った人も私たちと同じ(価値のある?)人間」と思えないと思った。
 私は自分自身に対して「中堅国立大学を卒業させてもらったにも関わらず、給料が高くない福祉業界でしか就職できなかった価値の低い人間」という思いを心の奥底に抱えている。これも「大企業で就職して活躍する人が価値のある人間」という社会の価値観(こんな価値観があるのか分からないが…)に影響されているのだと思う。この価値観を変えることで、自分が「価値のある人間」と認められるのではないかと考えている。
 そもそも存在価値がない人間は生きる必要が無いと思うこと自体も既成の価値観なような気もする。
 既成の価値観を少しずつ変えていけると良いなと思う。

 そして、精神障害者などをサービスの対象としている「べてるの家」の向谷地さんの回も参考になった。
 向谷地さんの言葉には精神障害者の語る妄想を「事実じゃない」と否定せず、それを知ろうとする姿勢が見られた。また、ゼミ生の感想の中に、「彼ら(精神障害者)の論理構造は極めて独特で」という表現があり、これも障害者の考えることは「変だ」と言わずに「独特」と否定しない姿勢がある。
 認知症があると、新しいことを覚えづらくなり、時折出てくる空白を自分の解釈に合うように自分で埋めることが脳内で起こってくるらしい。認知症のある方と話していると、どうしても「変なことを言っている人」と思ってしまうことがある。しかしそれではダメな気がする。。。
 「この方の頭の中の世界はどんな世界なのだろう」と知ろうとすること、そしてそれがこの方の現実なのだと思うことを日頃から習慣づけていくことが、認知症のある方と普通に接することに慣れる第一歩なのかなと思った。


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