発達障害の私がずっと感じてきた「違い」
こんにちは。
発達障害(ASD、ADHD)、精神疾患のある
通信制高校卒業生 の 放送大学生 チーズフォンデュと申します。
私は、高校生の時に発達障害と診断されました。
そのずっとずっと前。
思い出せないほど昔から、"自分はみんなと違う" という違和感や壁を感じながら生きてきました。
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今の私は、この違和感は
「自分がみんな(=定型発達者)とは根本的に感性が異なる」
と表現します。
例えば、
嫌われがちな子のことを全く嫌だとは思わないから、愚痴を聞いても理解や共感ができない。
…といった人との関わりの面だったり
街を歩いていて、私しか気づかない何かがある。
(私は不注意傾向が強く、常にたくさんのものを見ています)
追記 : ASDの全体ではなく細部に注目する特性からかもしれません
…といった本当に何気ない世界の見え方まで。
一人一人の感性が違うのは当たり前ですが、私は個人差の範疇を超えるような大きな違いを感じています。
これが、発達障害者の感じる生きづらさ、疎外感に繋がるのだと思います。
この差に悩んだ時期もありましたが、
もう「違うものは仕方がない」「共有が上手くいかなくても仕方がない」
と、半ば諦めるようでもありますが、納得しています。
さて、この感性の違い。
これが私には、相手が定型発達なのか発達障害なのかを判断する指標となっています。
自分と感性が大きく違うのか、似ているのかで
話す内容、表現方法、どこまで素でいるか…といったことを変えています。
いくつかの発達特性があっても、発達障害(グレーゾーンさんは発達障害に含む)ではない人はたくさんいます。
なので発達特性だけで発達障害側であると判断をするのは、医師も心理士でもない私にはできません。
追記 :
発達障害によく似た症状の疾患はいくつもあるため、似た疾患の治療の妨げになるなど…
自己診断、素人の診断は良くないと私は考えています。
私の恋人も発達特性があるなぁ…と感じることはあるのですが
感性が定型発達者なので、定型発達者として接しています。
逆に兄弟には発達特性があまりありませんが、私とは違うベクトルで感性が多くの人とは違い
この子は発達障害なのだなと
今悩んでないか、将来悩まないか…と姉なりに気にしています。
感性が違いすぎるのはシンプルに不便ですが、私には定型発達の世界がつまらなさそうに思えるので、このままがいいです。
…いややっぱり、感覚過敏だけはいらないです。断固いらないです。
ご拝読ありがとうございました。
「卒業した通信制高校のコース紹介」を、在学中に在校生目線で書いています。
通信制高校は、名前に反し通学の必要があることがほとんどですが…
こちらは非通学型を極めたコースになっています。
気になった方は是非!
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