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日本語授業記録:テストから見えてきたもの

大学での留学生対象の日本語の授業。
前期の授業はこれをやっていました。

7月の前期授業の最終日には、同様の手順を踏んでテストを実施。
「友人とは?」というテーマで、全員の学生が自分の考えを見事に書き上げました。

今日はその評価をしていました。
テストの評価は、もちろん自分の授業の自己評価でもあります。
あらかじめ作成した評価項目に沿って学生たちの文章を読んでいくと、私の授業で十分に行えた点と不足していた点が浮かび上がります。そして、ゆっくりじっくり学生たちの文章を読んでいると、授業を行っている時には見過ごしていた点・盲点が私の前に立ち現れてきます。もっと正確に言えば、授業を行っている時に何となく気になってはいたのだけれど軽んじていて、きちんと手当てをしなかった点。
それがもう目の前にはっきりとした問題点としてガーン!と立ち現れるのです。汗


今回立ち現れてきたのは、学生たちが個々に持つ日本語の使い方のクセです。
いつも助詞を間違えるとか、漢字が間違っているとか、そういう事ではなく、学生によって、独特のクセを持っていて…例えば…
 ・母語の干渉がきつい
 ・前後の繋がりが明確にない
   例:私は日本で就職したいです。いい生活をします。将来幸せです。
 ・終始くだけた話言葉で書かれている
   例:〇〇っていうやつを、もっと使わなきゃならない。
 ・聞こえたまま表記している
   例:かのぞ(=彼女)が、りょうしゅそ(=領収書)を持って来た。
 ・読点がない!たまに、句点もない!

そして、言い回しがほとんど同じです。
それはほぼ日常的に口から発している日本語そのままなのです。
もう少し、表現の幅を広げてほしい。(のが、教師としての本音)

私が大学で担当している学生たちは、日本語能力試験のN2〜1を持っていますから、非常に高い日本語力を持っています。しかし、日本語能力試験のために勉強した表現は、その試験に合格するためと、勉強や生活で何かを「読む」時には発揮されるようですが、自ら日本語を使う時にも発揮するようになっていくかと言ったら、それはなかなか難しいようです。
いつも同じような表現を使って、『とりあえず通じているから大丈夫』という無難な次元で止まっています。しかも、その通じているのは主に「話している時」で、「書いている時」はほぼ想定されていません。

それは、ある意味仕方ないと思うのです。
日本語能力試験で勉強する言葉や、それを見据えた日本語の授業で学ぶ言葉に、それほど魅力的な言い回しがないかもしれません。周囲(生活・学校・アルバイト)に学んだ表現を使う人が少なく、使う場面や使い方を繰り返し覚えることもできません。もっと言えば、日本語を教える側が学び手に「使いたい❣️」と思わせる授業ができていなかったかもしれません。


学生たちの文章を読みながら、彼らの表現力を豊かにするには??と考えました。
一つの仮説はあります。以前ここにも書きましたが…

これをどのように授業にしていくか?
どのようにどんな日本語に触れ、表現の幅を広げてもらうか?
私的には、できる限り学習者同士が対話を行い、その中から自分の使える言葉の幅を広げていってもらいたいと考えていますが…
これについてはまた改めて。

今日は評価をしながら見えてきたことを書き綴ってみました。

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