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海のはじまり 最終話感想

人と人であること。これ以上の愛情はない。


第11話で喧嘩別れした海と夏。夏はひとりで眠る夜の中、3人家族の夢を見る。夏と水季と海の、家族だった。その家族は普通の家族のようにけらけらと幸せそうに笑い、まさに夢のような世界だった。
夢、なんだけど。ひとりで起きる海と夏。夏は夏の家で、海はおばあちゃんの家で起きた。ふたりとも、元気がなかった。

「朝ごはん、食べたくない。」縁側でぐだあっと身体を溶かして言う海に、朱音は叱るわけでもなく茶碗に盛られたご飯を握り、おにぎりにする。そしてそれを、縁側の海に差し出した。
「お箸持つ元気がなかったらおにぎりたべるの。食べなきゃダメ。生きていかなきゃいけないから。」それは、どこまでも愛だった。「おじいちゃんとおばあちゃんね、ママが死んじゃった日もご飯食べたの。海のために生きなきゃいけないから。

しんどいときこそご飯を食べる。生きていかなきゃいけないから。生きるためのご飯は、元気の源だから。

「元気ないときは、お行儀悪いのゆるす。」朱音の言葉に、海はおにぎりを頬張った。翔平が持ってきた卵焼きにも、口をつけた。

一方その頃、夏の家でも似た光景があった。「食べな! 」夏の好物を作ってきたゆき子は、後でいいという夏にかぼちゃの煮物を渡す。夏は渋々、おずおず、といった様子でそれを口に入れ、頬張った。

たったそれだけで、朱音も翔平もゆき子も、満足そうな笑顔を浮かべるのだ。
いくつになっても、子どもがご飯食べないのは心配なんだろう。そんな愛があるんだ、これが愛なんだ。
思わず、少し泣きそうになった。

夏の好物を冷蔵庫に入れながら、ゆき子は語る。「夏も寂しがってたよ。唐突に『お父さんは? 』って無邪気に聞いてくんの。」それは、夏も覚えていない過去だった。覚えていなかったのは、夏が幼かったからだけではないかもしれないが。
『もういないよ』って、言いくるめちゃった。夏があの人のこと覚えてなかったの、私のせいかも。いないことにさせたから。」

感情って、忘れたらただの記憶で、覚えていたら思い出になるんだと思う。

『寂しい』という負の感情も、なかったことにしたら記憶として薄れていってしまう。感情を大切にするからこそ、思い出になるんだろう。

弥生にとって、コロッケの思い出はなんなんだろう。もしかしたら彼女は昔、味がしないコロッケを美味しいと言って食べなければいけなかったのかもしれない。

弥生のもとに、海から電話がかかってくる。それは夏への伝言だった。弥生は『自分のために』コロッケを作りながら、夏に伝言を伝える、
「『ママは夏くんの話たくさんしてくれた。夏くんといたことなかったけど、いないときから夏くんのこと好きだった。だからママいないけど、夏くんとママの話したかったんだ』って。」夏は電話の向こうから、何度も相槌を打った。
弥生の視線が、下へ向く。「お腹の子が居なくなった後、すごい寂しくなってね。頑張って忘れようとしたら、もっと寂しくなった。」それはきっと、夏と別れた今だからこそ言える言葉だった。「だから、居たって事実は大切にしようと思ったの。お墓作って写真残して。忘れないことにしたの。」あぁやっぱり、弥生は感情を大切にできる人だ。大切に思い出のアルバムを綴じられる人だ。
「時々、ああやって罪悪感の蓋がばーんって開いちゃう時はあって、ご迷惑はおかけしたけど。」電話の向こうからでも、夏は首を横に振る。
でも忘れなくていいって思うと、安心して忘れる時間が作れたの。だから他の子のお母さんになろうって本気で思ったんだよ。」

『忘れなくていいと思うと、安心して忘れる時間が作れる』、

これって実際『寂しさ』に向き合った人じゃないと言えない言葉だと思う。そして金言だとも思う。忘れたいと思うこともたくさんあるけど、忘れなくていいと思って向き合う方が、時には自分と向き合って救う道になり得る。

「海ちゃん、弥生さんが寂しがってるってまだ気にしてる。」それはきっと、海の姿を借りた夏の言葉でもあった。
私の『寂しい』決めつけないで? 月岡くんがちゃんとパパやってくれないとさ、せっかく今のびのびと生きている私に新たな罪悪感が生まれちゃうわけ。」弥生の声は、たしかにのびのびとしていた。
「それは困るね。」「困る。だから、しっかりしてくれ。
彼女は今きっと、夏と別れた寂しさに向き合っているのだ。だからのびのびとしながらも、その中に寂しさがある。でもその道を選んだ弥生にはきっと、この上ない幸せが待っていることだろう。


伝言を受けた夏は、海がいる南雲家へ向かった。「一緒に読んでいい?」相変わらず縁側で『くまとやまねこ』を読む海に寄り添い、声をかけた。海は何も言わなかったが、すい、と絵本を夏の方に寄せてみせた。「ありがと。」これがふたりの、不器用な距離の取り方だった。
そして不器用な夏は、すぐに本題に入る。「ごめん、すぐパパにならなくて。」海は顔をあげられなかった。「ママがいた時に一緒に居なくて、3人でいれなくてごめんね。」3人家族の夢を見たからこそ、海の寂しさに寄り添ったからこそ出る謝罪だと思った。
「俺も、お父さんいなくて寂しいって思うことあった。居た人が居なくなったから、寂しかった。でも海ちゃんは、最初からママとふたりで、最初から俺は居なかったから。

一緒にいた人が居なくなるのと、最初から居ないのは違うから。」

いなくなるのは、いたって知ってるから寂しいんだよ。わかる?


夏が『いた、いなくなった』の話をしてくれて、その内側の『どうしようもない寂しさ』に触れてくれた。やっぱり優しい人なんだよ月岡夏……。海もゆっくりと頷いた。
「海ちゃんよりずっと短いけど、俺も水季と居たから、いなくなって……寂しいよ。ごまかしたり、無理したりするだけで……ずっと寂しい。」夏の涙声で、ようやく海の顔が上がった。第8話で実父にだけ言えた『寂しさ』が、ようやく海に言えた瞬間だった。
人を思うがあまり、夏は隠しすぎてしまっていたのだ。自分の感情を隠し、それが行き過ぎて周りからもそれがわからなくなってしまっていた。それも、今回のすれ違いの一因だった。
「海、夏くんとふたりでいるのずっと寂しいままだったら、どうすればいい? 」海の舌っ足らずであどけない発音が、夏に問う。
「図書館行って津野さんに会ってもいいし、弥生さんとまた遊びに行ってもいいし。」

行きたいとこ行って、会いたい人と会えばいいよ。

感情を肯定する。難しく聞こえるかもしれないが、その内側は実は簡単で、ただ自分の感情に正直になって、その寂しさを素直に埋めようとすることが正解なのかもしれない。
「夏くんは、どうするの? 」あぁ、海ちゃんは優しいなぁ。自分の寂しさだけで手一杯にならず、夏にも目を向けてくれるんだ。「待ってるよ。海ちゃんが寂しくなくなるまで待ってる。待ちながら、どうしたら少しでも寂しくなくなるか考える。」
『寂しい』は、きっと消えない。でも時間のおかげで、少しずつ向き合えるようになって、自分を傷付けず、相手を傷付けず、優しくなれるようになる。それはきっとむずかしいけれど、海と夏がお互いの寂しさに寄り添えるなら、きっと大丈夫。そう思えた。

海が夏の手を借りて、ネックレスを外す。そしてそれを、夏に手渡した。「寂しいとき貸してあげる! 」「ありがと。」優しさの応酬だった。
「寂しかったら言ってね。」「海ちゃんもね。」海と夏は、きっとこれからも大変なことがたくさんあるだろう。反抗期もあるだろうし、ちょっとしたことで寂しさがぶり返して傷になることもあるだろう。でも、これを言い合えるなら、きっと大丈夫。噛み締めるように、そう思った。
ふと、夏の視線が海の指に向く。そこには可愛らしい指輪が嵌められており、それは大学生の頃、夏と水季が付き合っていた頃、出会った頃、着けていたものだった。
「ママ、いたよね。」「うん、いたよ。」

今回は、食べるシーンが多かったように思う。食べたものが美味しくなくても、味がしなくても食べる。そんな人生を重ねれば、いつか美味しいものが美味しいと笑いながら食べられる。
その象徴が、弥生だった。弥生は自分のためだけにコロッケを作り、それを頬張り、美味しさに頬をほころばせた。
「大丈夫。ありがとう」。そして夏からのメッセージに、優しく微笑んだ。

最終話だからこそ思う。私は弥生が好きだったのだ。

そして弥生に自分と近しいところを感じていて、少し感情を重ねていたのだ。
弥生は毒親育ちで、きっと感情を否定されることもあった。
これはたぶん深読みではなく、実際髪を強く縛られて『嫌だ』という気持ちを言えなかった弥生は、感情を否定して迷子のような気持ちになっていたからだ。
そんな彼女が今、「私の『寂しい』決めつけないで」と言い、自分のためだけに作ったコロッケを美味しいと頬張っている。

そして朱音もまた、美味しくなかったご飯を食べた人だ。そんな朱音が、夏に言う。
「健康でいてね。海にご飯食べさせるために、あなたがちゃんとご飯食べて、健康でいて。
朱音は傷を夏にぶつけて、子育ての厳しさと現実を教えた。でもそれは海や水季を愛するが故で、彼女の傷が深いから。そしてその愛は、巡り巡って夏にも向いているのである。

仲直りした夏と海は、手を繋ぎながら写真屋へ寄る。その道中で、夏は海に訊いた。「ママのどこが好き?」

「全部だけど、海のことを好きでいてくれるところ! 」


あぁ、こんなに愛らしく素直にあどけなく答えられるなんて。彼女はどれだけ深くまっすぐに愛されてきたんだろう。このたったひと言で、それが痛いほどわかってしまう。
ある映画で『私の子なんだから大丈夫! 頑張れ!』というような台詞があった。それは私自身母によく言われていた言葉で、これも親が子にかける言葉としては間違いではないんだろうとは思う。ただ、この愛情の矢印って子どもに向いているようで親に向いているんだよな。
正しい愛情なんてあるとは言えないけれど、少なくとも『海のはじまり』で描かれる「親から子への矢印」という愛情は、ひどく心地よかった。

家に帰り、夏は海にある写真を渡す。それは、夏の家にいる水季の写真だった。「ここにも、ママがいた証拠。」中でも海は水季と夏、ふたりが写っている写真を気に入り、にこにこと笑顔で眺めていた。
と、ここで夏に電話がかかってくる。休日出勤が決まったのだ。夏は海をひとり家に残すことが気がかりだったようだが、対して海は言う。「お留守番にも慣れた方がいいでしょ?」海を信頼している夏は、顔をひしゃげながらも「じゃあなるべく早く帰るね。」と言うも、海はどこか寂しそうだった。
そして、夏は決意する。「いや、甘えよう。」

そうなんだよ月岡夏。君はまだ初心者なんだ。そうじゃなくてもひとりで人間を育てるなんて無理なんだ。じゃあ誰に頼るか。
津野だった。いや津野くんかい! お母さんとかかと思ったよ! 津野はちょっと気まずそうにしながらも、夏が出かけてからはいたずらっ子のように海に笑いかけた。
「海ちゃん、夏くんに内緒できる? ケーキ買ってきちゃった! 」海にとって津野は友だちだからか、津野の言葉ににっこりと花が咲いたように笑った。「津野くん意地悪なので、海ちゃんと自分の分しか買っていません。」内緒にできる! いたずらっ子の悪童感溢れるふたりのかわいい掛け合いだった。
「よし、証拠隠滅しよう。あいつ甘やかすなとか親みたいなこと言うようになったからな。」「甘やかしていいよ! 」「甘やかします! 」ふふ、甘やかしてくれる大人って最高だよね〜大抵は祖父母とかだけど、海ちゃんの寂しさに寄り添うには多い方がいい。そしてそれは津野くんのためでもあるんだ。

夏も言っている。「ふたりは大変ですけど、助けてくれる人も多いんで。」
そう、多い。

実際、海は友だちとして弥生と大和を呼んだ。当然津野と弥生と大和の3人は気まずくなったが。ここは今回の平和でくすっと笑えるシーンったように思う。

『こうなったんで、先に帰ります。』津野は夏に、海と弥生と大和が一緒にいる写真を送ると、帰路に着いた。だかそんな津野を海が追いかける。

「津野くん、ママのこと好きだった?」

過去形の質問に、津野は現在進行形で答えた。

「好きだよ。」「ママも、津野くんのこと好きだったよね。」

海の答えに、津野は人差し指を口に当てた。「しー。」内緒、夏くんには内緒。そのままふたりはきつくハグをした

「また図書館行くね。」「待ってます。」その応酬は、水季がいつもしていたものに似ていた。

水季と津野の恋は、形になる前に終わった。でも海はその恋心に気付いていた。だから、なかったことにはならない。


回想で流れたのは、恋心をごまかす水季と、それに微笑む津野と、家族のように安心して津野の背中で眠る海だった。


一方で、終わった恋もある。弥生と夏だ。
「弥生さん、断ってもいいんですからね。」海が疲れて寝た後、大和は弥生を気遣った。大丈夫。だが弥生は言う。
「楽しいから会ってるの、大丈夫。むしろ月岡くんが嫌がってたら教えてね。さっといなくなるから。」
「ありがたいとしか思ってないですよ。当分ないと思うけど、彼女できたら教えますね。」「お願いします。」

弥生も、傷付いているし、寂しがっている。ただそれを他責として外側に出さない人だ。出せない人だ。
それが夏のためになるかもしれないとわかっていても、それをしないしできない。

弥生はふと、自分がその部屋で寝ていたときのことを思い出す。机に突っ伏して、弥生は寝ており、夏はそんな弥生を見守っていた。
「終電、まだあります。ぎりぎりに起こそうと思っていたんで。」起きた弥生に、そう言う夏。どこまでも気遣いに細かかった。
「すみません、楽しくなかったですよね。面白い話とかできないし、一緒にいても楽しくないだろうなって。……寝てたし。」その上卑屈な顔も見せる。付き合っているのにつまらなくてごめんなさい。そんな自己肯定感の低さが垣間見えた。
だが弥生は強く、優しかった。

「私が楽しいかどうかは、私が決めます。」

弥生の感情は、弥生のものだ。「面白い話聞きたくて、付き合ってません。でも横にいて眠たくなるくらい心地いいです。それは、私の『楽しい』なのでおかまいなく。」

綺麗な人だ、と思った。美しくて綺麗で、優しいという言葉を超えた清らかさのある人だと思った。
その後、ふたりは恋人らしいいじらしいやり取りをして、結局弥生は終電で帰らずに夏の家に泊まる。
帰ってほしくなさそうな夏を見て、弥生は先回りして微笑むのだった。「早朝、月岡さん起こさないようさっといなくなるんで、まだいてもいいですか?」「いてください。」「じゃあ、います。」
これは『今』のふたりと通じる会話でもあった。

帰り際、夏と弥生は遭遇する。「おぉ。」片手をあげて挨拶する姿に、恋人らしいピンク色は感じなかったが、絆を超えた友情に似たものがあった。
「ありがとね、すごい楽しかった。」弥生は素直な感情を、素直に伝えた。「うん、俺も。」少し考えてから、夏もそう言う。今日のことを指していた弥生は、一瞬訝しげな顔をするが、続く言葉で満足気に微笑んだ。

「あんまりそう見えてなかったと思うんだけど、俺も楽しかったんだよね。……楽しかったよ。」

言わずとも、それはふたりが付き合っていた時間のことを指していた。楽しい、とわざわざ伝えることをしない月岡夏という男が、ここで過去形で「楽しかった」と伝える。それは恋の終わりの合図だったけれど、弥生にとっては嬉しい言葉でもあった。
「そう? ならよかった。」

「ママのこと好きだよ」と海に現在進行形で言う津野。
「楽しかったよ」と弥生に過去形で言う夏。
違う形の恋だけど、どちらもたしかに素敵な恋だった。


弥生を駅まで送ると言った夏の手はからっぽで、ふたりの手が繋がれることはないけれど、第1話と同じ言葉が、まぁ、そんなないか。『はい』か『いいえ』で答えられることなんて。
夏は懐かしさにくすくすと笑い、視聴者はこの友情に目の奥を熱くした。

海と夏、ふたりの生活が日常で映し出される。同時に流れる主題歌『新しい恋人達に』。海と夏はふたりで手を繋いで登校し、笑顔で水季の写真に「いってきます」と挨拶をした。

ここでようやく、水季から夏への写真が読み上げられる。

『夏くんへ。
内緒で産むと決めたこと、後悔してません。夏くんは居なかったけど、海と過ごせて幸せでした。
ひとりでうみを育てたわけじゃないよ。たくさんの人に助けられてきました。たまーに夏くんにいてほしいと思うことあったけど、全然大丈夫でした。海と、海を大切にしてくれる人たちがいたからです。
その人たちは絶対夏くんのことも大切にしてくれます。一緒に過ごした人も場所も、海や夏くんのことを忘れません。頼って、甘えてください。

親から子供への1番の愛情って、選択肢をあげることだと思う。海には自分の足で自分の選んだ道を進んでほしい。

夏くんには大きくなっていく海の足跡を、後ろから見守ってほしいです。
私たちがお別れしてから、夏くんはどんなふうに生きてましたか? 誰と出会って誰とすごしてきましたか? 何を知って、何を大切にしてきましたか?

私や海とは関係ない、夏くんだけの大切なものがあっていいはずです。思い出を捨てないでね。


人はふたりの人から生まれてきます。ひとりで生きていくなんて無理なんだよ。
夏くんもだれかと生きてね。海を幸せにしながら、自分も幸せになってね。
ふたりが一緒にいる姿が見れないのはちょっと残念だけど、想像するだけでちょっと幸せな気持ちになります。
海と生きることを選んでくれてありがとう。
海の母より。

水季から夏のメッセージは、この物語の大切な部分だと思ったから全て引用してしまった。
私は当初思った。「なんで謝ってくれないの? 」夏にも大切なものがあると思うなら、『夏だけの大切なものを『思い出』にしちゃったかもしれないこと』『全部内緒にしていたこと』。夏が親になるという決断をした段階なら、ひと言謝ってほしかったなと思ってしまった。それを見せなかったのは水季らしいけど。
夏に「内緒にしていたこと」を謝ったら、「海を産んだこと」も謝ることになると思ったのかな。でもそれとこれとは別だよ。夏から水季は「産んでくれてありがとう」だし、水季から夏は「内緒にしていてごめんね」。海の母からなら、「一緒にいてね」が正解なんだろうけど……。なんて、モヤモヤしていた。
でもこれをTwitterで発信して、フォロワーさんから色んな意見を見て考えが変わった。

『水季は海を負担にしたくなかったんだ』。


「内緒にしていたこと」と「海の出生」は別で、前者に関しては謝らなきゃいけないことではあると思う。でも不器用な夏のことだから、ひとつでも謝ると一緒くたになってしまいかねない。水季は海を、夏にとって絶対的な喜びであり続けてほしかったから、絶対に謝らなかった。それが悪者になりかねなくても、海のためならそれでよかった。それが「水季として」じゃなくて、「海の母として」の選択だったのだ。水季のその考えは、その後の朱音との対話でもわかる。

「娘が自分より先に死ぬこと想像してみて。」朱音は、夏に言う。「私たちは娘の遺影の写真を選んだの。それがどんなに辛いか、今なら少しはわかってくれるかなと思って、言いました。」
朱音の言葉はどれも痛々しく、夏を傷付けた。でもそれは朱音の傷の表出でもあった。「意地悪ばっかり言ってごめんなさい。」

ここで、鳩サブレーが再登場してくる。水季の大好物だ。水季の生前、縁側で眠る海を膝に休む水季に、朱音がひとつ私たち。
「お父さんが1番大きいの買ってきた。」「お父さんほんと好きだね、私のこと。」ここでまた私の涙腺がやられた。当然のように甘受される親の愛。これが理想の親子愛だとすら思った。
「お母さん、海産んでよかった。」水季は事ある毎にこれを言う。産んでよかった、海と過ごせてよかった。間違いなく、愛だった。「死にたくないんだけどね、でも娘が自分より先にって想像したら、それに比べたらもう全然。喜んでって感じ。」だから、ごめんね、お母さん。水季の声が、弱々しくなったように感じた。
「待ってるけど、あんま焦んないでね。お母さんせっかちだからちょっと心配。」「海、産んでくれてよかった。海いなかったらお母さん寂しくて、すぐ水季のところ行こうとしちゃうもん。」じゃあほんと産んでよかったわ。
産んでよかった、なんて、自分の親から聞いたことがない。あぁうそだ、老後の心配の話になると言われたことはあったっけ。それ以外で使われる言葉なんだ。じん……と、やっぱり目の奥が熱くなった。

「海のパパがいたからだよ、海がいるの。優しい人だよ。……あんま意地悪言わないであげてね。」「意地悪は言うわよ。」

『謝る』って、実は結構自分勝手な行為なんだと思う。

もうどうしようもないから、朱音には謝って、でも夏には謝らなかった。この対比も美しいし、自分のために謝るくらいなら謝らずに悪者になるのが誠実な「元恋人」「海の親」としての対応なんだと思う。
夏の大切なものを思い出にしてしまったことには謝れないけど、海の親になる道を選んでくれた夏には感謝している。でもどちらも言葉にはせずに、あくまで一貫して「海の母」として言葉を綴った。それが夏に内緒にして自分勝手に別れを選んだ水季にとっての、誠実な対応だった。

「海ちゃんのことが大好きってことと、ママは幸せだったってこと。」


水季の手紙には、追伸があった。
『海はどこから始まってるかわかりますか? 海に聞かれて、曖昧な答えしか出来ませんでした。始まりは曖昧で、終わりはきっとない。
今まで居なかった夏くんはいつからか海のパパになっていて、今そこに居ないわたしは、いなくなっても海のママです。

父親らしいことなんてできなくていいよ。ただ一緒にいて。いつかいなくなっても、一緒にいたことが幸せだったと思えるように。』

本文が「海の母」としての言葉だとしたら、追伸は、なれなかった海の「両親」としての言葉だと思った。


夏と水季は、ふたりで並んで海を育てることは叶わなかった。でも最後のシーン、第1話の冒頭のシーンの水季と海のように海辺を歩く夏と海の隣には、たしかに水季がいた。

いるよ!

いつか居なくなったとしても、そばにいられなくなったとしても。いたという事実は変わらない。あなたを愛し、その愛が人として生きることを望むものだったことは変わらない。

私はこの作品が、大手を振って好きだったとは言えない。でも素敵な作品だったし、私はたしかにこの作品に救われたのだ。
水季のように奔放なのに人を思うときはちょっと不器用なのも、朱音のように傷を表出させるとき寂しく傷付けてしまうのも、翔平のように明るいのに寂しさに縋ってしまうのも、大和のように実母との時間を愛しながらゆき子を母と呼ぶのも、ゆき子のように罪悪感を覚えながらも親として夏と向き合って愛するのも、津野のように恋を終わらせたのに愛を終わらせられなくて苦しむのも、弥生のように愛されなかったけど必死に愛そうともがくのも、夏のように優しいのに不器用でうまく責任を果たせなくて迷走するところも。
全部全部、人間だった。

私が1番救われたのは、やっぱり5話の「嫌いでいいよ、親だって人だし」という夏の台詞だろう。
『海のはじまり』最終話放送前、目黒くんは自身のInstagramでこう発信していた。

生方さんや村瀬さんの作る物語はこんなことが起きるのか、こんな世界があるのかと自分の知らなかった世界を知れるから嫌いで好きです。
普通はこうだ、こんなこと普通はない、こんなのありえない。そんな、いわゆる世間の普通ではない想像ができない、だけど必ずどこかではそういう経験をしてる人もいる。それが普通の人もいるそういう非現実的で、リアルな世界を見させてくれるから。
(中略)
それぞれどこかで経験したことがあるような、今後するかもしれないだけど人にはなかなか言えない、見せられないような思いや言葉があってちょっとチクっとしてしまう、全く関係ない他人の物語をみてるわけじゃない感覚になって、なぜか自分にも置き換えて感情移入してしまうような、不思議な作品で本当に憎たらしくて愛おしい物語です笑

目黒蓮Instagramより

私は5話の台詞が月岡夏から語られたとき、「目黒蓮がこの台詞を脚本から消さなかったことに、演じてくれたことに意味がある」「本心じゃなかったとしても推しの口から語られたことが嬉しい」と話した。でも目黒蓮のこの言葉で、少なくとも目黒くんは「自分の中になかった感情も寄り添いたい」と思ってくれていたんだと感じた。だからこそあの言葉はすんなりと私の心に染み渡り、今も私を救ってくれるのだ。
あれからも、悪夢は見る。親が呼ぶ自分のあだ名で魘され、眠れない夜もある。そのたびに「こうやって嫌いでいてしまうことが人間として間違っているんじゃないか」と、視界が真っ暗になりそうになるけど、目黒くんが演じた夏の言葉が救ってくれる。お守りをくれて、ありがとう。

人と人として、お互いに尊重し合えること。これ以上の愛はないのだと思う。

『海のはじまり』最終話放送後にTwitterでスペースをしたが、ここに落ち着いた。そしてそれは、子どもも別の人間として尊重するということ。
親子だけではない。弥生や津野が海を子どもとして尊重していたように、親にならないことを決めている私でも子どもの味方でいることはできるはずだ。
『海のはじまり』は終始、海が最優先事項だった。子どもは本来そうあるべきで、私も改めて、すべての子どもが優先される社会であってほしいと思った。
私は子どもを持つ予定がない。家族を持つ予定もない。でも子どもを愛しているし、この世界で尊重されてほしいと思う。もし今、昔の私のように味方がいなくて孤独に泣く子どもがいるならば手を差し伸べてあげたいし、逆に見守るだけであることが子どもにとっての幸せならそうしたい。

そしてもうひとつ。『海のはじまり』が改めて教えてくれたことがある。

自分の感情は肯定する。

生まれた感情を肯定することは、即ち自分を肯定することにも繋がる。もちろんどんな感情も野放しにされていいわけではないが、たとえば『寂しい』という感情をなかったことにしようとると思い出にすら残らず、記憶として薄れていってしまう。それは自分を愛する行為とは違う。

感情を肯定して思い出のアルバムに綴ることが、結果として自分を愛することに繋がるんだろう。


『海のはじまり』は、子どもを人として愛しながらも、感情の愛し方を改めて考えさせてくれるような、そんなドラマだった。

改めて、目黒くんがこのドラマの主演を努められて、よかったと思う。

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