海のはじまり 第7話感想
いちばん近くで支えてくれた人。
大切な人との関係性に、言葉が欲しい。友人以上の何かが欲しい。そんな津野という男のお話だった。
津野晴明は、水季の元同僚だった。水季は海がまだ3か月のときから図書館で働き始め、津野はそんな彼女を見守っていた。あくまで、同僚として。
恐らく、津野はずっと恋愛的な意味で水季が好きだった。水季がずっと夏を好いていたように、津野は水季が好きだった。でも想いを伝えることは、きっとなかった。
「大人がみんな、恋愛下手くそなだけ。」
どうしてママは夏くんに会わなかったのか、どうしてママは津野くんと付き合わなかったのか、どうして弥生ちゃんは津野くんが好きなのに海に不満を見せないのか。そんなたくさんの「なんで? 」を含んだ海の質問に、弥生は柔らかく微笑んで答えた。そしてその代名詞が、弥生と津野であった。
水季が図書館で働き始めてから1年ほど経った頃、水季が小さな海を抱いて職場へ訪れたことがあった。なにも彼女自身、連れて来たかったわけではない。やむにやまれずそうなったのだ。
そこへちょうど、津野と鉢合わせる。「はじめまして。」簡単な挨拶をした後、津野は何気なく言う。「大変じゃない? 無理しないでね。」あくせくと忙しなく日常をこなしながら会話を交わしていた水季の表情が、がちりと固まる。「無理です。みんなそう言うんですよね。いや無理しなきゃ、子どもも私も死んじゃうって。」
あっぷあっぷに表面張力を危うく保っていた彼女の感情が、どばりと溢れた瞬間だった。「ごめん、無神経に……。」「……八つ当たりしました、すみません。」思わず津野は反射的に謝り、水季も謝るが、だからと言って彼女の日常への不安が変わるわけではなかった。
「そろそろ、本当に無理そうで。色々あって勝手に産んだから、親にも頼りたくなくて。」水季の目から、感情がこぼれそうになった。少なくとも、本音はどうしようもなくこぼれあふれていた。
そこで津野は、不器用に言う。恋人も子どももいなくて、本読んでばっかりで、休みの日も本ばっかり読んでるだけで。「私、趣味で育児しているわけじゃないですけど。」不器用すぎて、伝わりにくかったらしいが。
「他人の方が、頼りやすい? なにがあったとか、詮索もしないし。」津野は頼ってほしかった。そして水季は、だれかに頼らないと生きていけないことを理解しつつあった。
心配してくれる家族に対して意固地になってしまう水季のような人にとっては、家族よりも詮索してこない他人の方が都合が良くもあった。
ちょうどよかった。だからこそ、ふたりは他人のまま時間を終えてしまったのかもしれないけれど。
小さな小さな海は、津野によく懐いた。幼稚園のお迎えにも、図書館でママを待っている間の時間も、津野を前に満開の春のように笑っていた。
「未だに気持ち利用してます。最低です。」そんな現状に、水季も思うところがあったのか、同僚にぼそりとこぼす。「いいんだよ、したくしてしてるんだから。見返り求められているわけじゃないでしょ。」
津野の水季への好意は、無償の愛だった。
したいからしている。それは前話で弥生が言った「居たいから居る」と酷似していて、ふたりの共通項でもあった。
でもそんな水季が、津野に対して感謝以外の感情を見せたこともある。津野の家で遊び疲れた海が寝てしまい、迎えに来た水季とふたりでその場を整理していたときのことだ。津野はふと、人工中絶同意書を見つけてしまう。そこに書かれた名前、「月岡夏」。「堕ろせって言われたの? 」津野の口から出た言葉は、反射的な怒りだった。
「逃げたの? そいつは知ってるの? 堕ろしたと思ってるの? 」「南雲さんこんなに大変なのに、何も知らずに何も知らないで呑気に生活してるの? 」
当然水季は「そいつ」呼ばわりされたことに怒り、「津野さんだって何も知らないでしょ。海の父親のこと、知らないのに悪く言わないでください。」小さく怒りをぶつけた。視聴者の癒しは津野の本棚にあった「ふっかー」というタイトルの絵本だけであり、お互いの感情に身がつまされる思いであった。
関係が欲しかったわけじゃない。でも関係がある人が羨ましかった。そして憎らしかった。
水季は病気になった。子宮頸がんだった。それが判明したとき、彼女は治療の道を選ばなかった。
津野は、そんな水季の意思を尊重していた。してしまっていた。「保育士さんが最近お昼寝しないって気にしてた。」病気が判明して入院している水季を、津野が訪れる。それはまるで夫婦か家族のそれで、周りから見ればふたりはきっとそう見えただろう。
そしてそんな距離感故か、水季は素直に不安を吐露してしまった。「自分で選べないことって、生まれてくるかどうかってことくらいだと思ってたんです。」不器用に話を止めようとする津野の声も聞かず、水季は話し続ける。「産んでくれとか頼んでないし、うざってずっと思ってたんだけど。海のことも、産むかどうか私が決めるしかなくて。海に決めさせてあげたいけど、そうもいかなくて。」
でも自分で決められないのもう1個ありました。いつ死ぬかは、選べないんですね。生まれるのも死ぬのも選べない。
水季は、珍しく弱気だった。「自殺する人の気持ち、今ちょっとだけわかるんですよ。死にたくないのにわかるの。自分で選んで、そういう道。」不器用に話の腰を折ろうとしていた津野は、痺れを切らす。
「だったらもう1回考え直そう。治療しようよ。治るかもしれないし。」「海に会いたい。」水季は頑なだった。「治らないかもしれない、の方がずっと大きいんです。ここにずっといてちょっとだけ長く生きるより、海といる時間がちょっとでも増える方がいい。」
ごめんなさい。水季はたくさん、たくさん謝っていた。自分の身勝手さをわかっていた。それこそ夏を彷彿とさせるくらい謝っていた。彼女があんなに謝っているのは珍しくて、津野もどうしたらいいのかわからなくて、ただ静かに受け入れるだけで。
水季が「ごめんなさい」と言うたびに、津野は外野なんだと言われているようだった。だって気心の知れた家族にそれは言わないから。
でも津野はわかっていた。わかっているから、主張せずに静かに相手を想った。「みかんのヨーグルトが欲しい、みかんのがなかったらいらない。」と言う水季に対し、なかったからみかんとヨーグルトを買うくらいは彼女が心配で、愛おしく思っていたのだろう。
「海のことがまず1番です。」水季の言葉は親の愛に満ち溢れていた。「海のためにいろんなことするから、するけど、体これでダメなこともあると思うから、そのときは助けてください。……今までも助けて貰ってるけど、これからも助けてください。」
ごめんなさい。宙ぶらりんな謝罪が宙に浮いて、津野の「うん」によって静かに溶けた。
関係がなくてもいいから、見返りがなくてもいいから、想いたい。想いを形にしたい、というのは、それこそ無償の愛なんじゃないだろうか。
ある日図書館で、水季は発作を起こす。仕方のない発作だけれど、津野は誰よりも動揺し、そして海の呼び掛けが部屋の外から聞こえたときも動揺していた。そんな津野の腕を、水季が押す。「行って。」言葉にする余裕もないけれど、水季は「ママの姿」を守りたかった。それに1番尽力したのはたしかに津野で、どれだけ外野だろうと彼は1番近くにいた味方なのだ。
津野は嘘がつけない。嘘がつけないけど、海のもとへ行ってごまかそうとした。「海ちゃんごめん、ママお仕事もうちょっとかかりそう。絵本読んで待ってよう。」海は見透かしていて、「また痛いの? 治る?」と頻りに訊いていたが。その質問に、津野が答えることはできなかった。
津野が1番、水季の死という恐怖に敏感であった。
水季は海のこれからを全て、母である朱音に託していた。全て託して、心配はないと言い切るほどに。でもその途端、水季は不安に震え、薄い涙が目を覆った。
「海のこと、不安なことなくなったら、急に怖くなっちゃった。」朱音が思わず、その手を握る。「死ぬの、急に怖くなっちゃった。安心して逝ける感じになると思ったのに。」
朱音と水季は、ふたりで泣いていた。泣きながら抱擁し、逃れられない死の恐怖に身体を寄せ合うことしかできなかった。死はいつだって残酷だった。
私の好きな曲のひとつに、米津玄師の『lemon』がある。夏のオレンジの片割れも、水季のオレンジの片割れも誰だったのかはわからないからその部分は違うのかもしれないけれど、大切な人を喪ったときの歌としては『海のはじまり』と通ずるものもあるのだろう。
津野の「そのとき」は、蝉が鳴いていた。
うるさいくらいに鳴いていた。津野は朱音からの着信に、死の予兆を感じていた。呼吸が荒くなり、心臓をかきむしる。『lemon』の呼吸音は、嗚咽になる前のこれなのかもしれないとすら思った。
「はい。」暑い夏の中、津野は平静を装ってなんとか電話に出た。でも装えなかった。何も言えず嗚咽が漏れ、暑さすら感じられないほどに余裕が失われ、ただ現実が彼自身を焦燥へと駆り立てた。
そこから、津野の終わらない悲しみの時間が始まった。
「手伝います。海ちゃんのものだいたいわかるんで。」津野はしばらくしてから、水季の遺品整理の手伝いのため、水季と海の家へ赴いた。そこには朱音がいて、津野は率先して手伝おうとした。
だが実の娘を喪った朱音の傷は、深かった。「触らないで。」朱音は津野を拒絶したのだ。強く、はっきりと。「家族でやるんで、大丈夫です。」津野は何も言えず、立ち去ることしかできなかった。
朱音のことは、責められない。私がこのドラマでひとつ、「人は傷付いたとき、相手を傷付ける形でその傷を表出させてしまうことがある」ということを学んだ。朱音も、海だけは傷付けてはいけないという使命感を抱いていた代わりに、『外野』の津野に対してはどうしても粗野になってしまったのだろう。
そして津野と夏の対比も鮮明だと思った。近くにいたからこそ死の恐怖を感じていて、だからこそすぐに嗚咽するほど泣いてしまい、でも受け入れられなかった津野。遠くにいたからこそ死の恐怖を知らず、だからこそ泣くまでに時間がかかり、でもゆっくりと死を受け入れられている夏。
そして、血の繋がりだけで家族に入っていけた人と、なんの繋がりもないと家族からはじき出される人の対比。鮮明なほどに、残酷だった。
亡くなった人と生きてる人には、大きな境界線がある。大きくて、濃くて、消えない境界線。それはドッジボールの内野と外野のようで、簡単に乗り越えることなできない。
夏は大和と話していた。大和は実母を亡くしており、だからこその相談もあった。大和は手のひらほどの小さな壺みたいな容器を父から貰っており、その中には母のお骨が少し入っていた。「心細いとき、同行させてんの。お守り的な?」写真だけじゃなく、お骨の一部があることで、母の一部を感じられるのだろう。
そしてそこから、夏は着想を得た。「ネックレス? 」「水季。」四十九日を迎え、納骨された水季のお骨に、海は言葉にできない喪失感を覚えていた。そんな海を見かね、夏はお骨の一部を入れたネックレスを贈ったのだ。「少し貰った。お墓入れる前に。お守り。」
納骨する前も、夏はお骨を抱く海に「なんか言ってる? 」と不器用にも海を想っている。海自身は「喋れないよ、骨だもん。」とぶった切っているが。「骨になったら、痛くない? 」それは夏なりの思いやりで、そしてそれは夏じゃないとできない思いやりだったのだろう。だからこそ、海も傷を表出できる。
そう、夏じゃないとできないのだ。生きてる人の中にも、内野と外野がある。
弥生と津野は外野で、そしてその思いを、夏の母ゆき子は想っていた。好きな人の愛の証拠が、過去だけではなく現在にも子どもとして生きている。海と違い、大和は全然ゆき子に懐いてくれなくて。その様子はTVerオリジナルスピンオフドラマ『兄とのはじまり』第1話で描かれているが、実際親が再婚したばかりの大和はゆき子にまったく心を許していなかった。その絡まりをゆっくりと解いていったのが夏で、だからこそゆき子は「私は夏がいるから大丈夫だった。縋る人がいた」と語っていた。
「水季さんが羨ましいです。ひとりで大変だったと思うけど、なのになにか知るたびに、羨ましいって思うんです。綺麗な想い出がいっぱいでいいなぁって。そう思う自分が嫌になります。」ゆき子はその言葉に同意している。
「わかるけど、私は夏がいるから大丈夫だった。弥生ちゃんのこと心配しているのはそういうこと。同じ立場じゃないよ、すがる人いないもん。この先ずーっと辛くなると思う。」
外野じゃない、そう思いたい。でも当人たちの疎外感は拭い切れない。疎外感と、好きな人への恋慕のせいで。
津野は、水季がお墓に入って初めて会いに行けた。さっき、米津玄師の『Lemon』が津野の想いも投影しているという話をちらりとしたが、落ちサビが1番『そう』だと思う。
津野は、水季の訃報を聞いたとき息をすることすら忘れた。誰よりもそばにいたのに誰よりも遠くに置かれて、ただ水季の笑顔を忘れられないことだけはたしかだった。
「受け入れるのに時間かかっただけって。ずっと近くにいたから。」夏は、津野の水季への想いをそう言った。
「羨ましかった。何も知らなかったから。よく知ってるから余計に辛いって、羨ましかった。自分が悲しいと思ってることなんて、大したことない気がして。」羨ましいって、羨ましいってなんだよ。夏の気持ちもわからなくはないけど、夏も『Lemon』が似合う人だからわかるけど、でもそのときの弥生の顔を見ろよ。スポンジみたいじゃないか。
スポンジ……と言うと語弊があるか。「今私は、この人にとって『話を聞いてくれるだけスポンジのようなもの』なんだな」って顔だった。ふさわしい言葉を返さなきゃいけないって逡巡しているような、優しさ故に傷を全部受け入れてしまったような表情だった。
「大丈夫だよ。月岡くんには海ちゃんがいるから。」そして、弥生はあくまでも『外野として』言葉を選んだ。優しい、優しい言葉だった。
弥生と津野は、ふたりで話をした。「春頃、月岡さんに会いに行ったそうです。会わずに帰ってきたって。」そして弥生は、残酷な現実を知る。
第7話冒頭、水季は海と手を繋いで夏の家を訪れていた。でも夏には会わなかった。「アパートの前まで行ったけど、女の人と出てきたらしくて。それで会うの、会わせるの、辞めたそうです。」弥生が居たからだった。弥生が、夏と笑い合っていたからだった。
冒頭でそれは描かれていなかったが、水季は慌ててその場を後にした。「それは南雲さんの判断なので。あなたがなにか、したわけじゃないし。そういう人なんですよ。」夏の時間を壊したくなくて、夏にまだ恋をしていて、だから訪れたけど。ずっと好きで、ずっと会いたくて、でも自分ひとりの感情じゃ動けないから、死んだときの練習に恋心と親心をのせて海を連れて行った。
水季はマイペースだけど、それは変わりないけれど。ただマイペースに夏のことが大好きで、愛していた。だからこそ夏の生活を邪魔したくないという繊細さが覗いてしまった。でも同時に、やっぱりまっすぐすぎるくらいマイペースだった。
「また一緒に来よう。海が道覚えるまで。ママがいなくなっちゃっても、海が夏くんに会いたい時に会えるように、一緒に練習しよう。」
第1話で、どうして水季は海に夏の家を教えていたのか、私は理解できなかった。今だってはっきり理解出来ているとは思えない。
でも不器用な恋心で無鉄砲に動けるほど子どもでもなくて、そして海に家族を遺したいと強く願うくらい、親の愛にあふれていた。
不器用な恋心と、実直なまでの親心だったのだろう。それこそ、母性という言葉が似つかわしいような。
「母親になりたいからです。」そう覚悟を話す弥生に、津野が言ったのだ。「立派ですね、すごいです。そういう女の人の子供への覚悟っていうか。」
「性別関係あります? なんで子供の話になると途端に、父親より母親の方が期待されるんですか? 」それは昔、水季が言った言葉と酷似していた。「母性って気軽に使いますよね。無償の愛みたいな。そんな母親ばっかりじゃないのに。」母親に正しく愛されなかった人間としては、ぼろぼろと泣いてしまった。女性がこれを言えるドラマが生まれたことに、弥生と水季を演じる有村架純と古川琴音の表情に、涙腺が決壊してしまった。
子供を愛せない母親なんていっぱいいるのに、母の性って。
美しく一言でまとめたい時に都合のいい言葉なんでしょうね、母性って。
夏は実直で真摯で誠実な人間だ。そう生きようとしすぎて、周りを無邪気に傷付けてしまうほど。
対して水季はマイペース。他人を傷付けるかどうかすれすれなくらいマイペース。でも実のところ、あまり傷付けてはいない。相手の顔色を見ている、と言うよりかは、相手を想って大事なところでは自分ひとりで決めてしまうからだろう。
じゃあ弥生は? 誠実だけど芯は強い。だからこそ、津野も少し心配してしまうのだろう。自分を傷付けて他人を傷付けないタイプだ。弥生と水季、何か似ているところを感じた津野は、愚痴るように言う。
「あの人、水季水季うるさいですよね。」「はい。」個人的に、ここで少し吹き出してしまった。夏はひとつのことしか頭に入らなくて、ひとりの人を誠実に想うのに精一杯。でもたしかにそれで、弥生は傷付いていて、たった2文字でもそれをようやく表出できたのだ。弥生がここからどんな選択をしようとも、傷を受け入れられただけで大きな一歩だと思った。
予告が映るまでは。
月岡くん、優しいんです。本音言えなくなってます。
言えない、俺だって悲しいのに。
次回予告の、弥生と夏の言葉である。第8話では夏の実父が出てくる。とても誠実そうとは言えない、どちらかと言うと軽薄なキャラクターだった。
『優しい』は時に悪口になるほど、力が強い。夏は優しい。でもその優しさで、自分の首を絞めているのではないだろうか。
外野の苦しみが描かれたあとで、内野だからこその逃れられない苦しみを描くなんて、どこまでも丁寧なドラマだと思う。
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