人を愛する始まりは、自分を愛すること
リストカットとか、ホスト狂いとか、過食とか拒食とか、今の若い女の子たちの苦しみを見るにつけても、心が痛むね。
だけど、ちょっと考えてみると、こういう人たちは、自分を本当に大切にするとか、自分を愛するとか言うことの、正しい理解が足りてないと思うんだよね。
もちろん今の世の中で、自分を正しく愛すると言うことを理解している人がどれほどいるかは心もとない事はあるよ。
それでちょっと、自分を愛すると言うことを考えてみたいんだよ。
実はこれは聖書に書いてあって、「汝、となり人を愛しなさい、自分を愛するように」と言う言葉がイエスの言葉としてあるんだ。
そしてそれをデンマークの哲学者で、キルケゴールと言う人が詳しく解説して、1冊の本にまでしてるんだけれども、かなり難しいよ。
やっぱり難しすぎて、本が売れないんだろうね、今は古い本しか手に入らないしね。
だけど、ざっくりとキルケゴールの言ってることをわかりやすく解説してみるよ。
まず自分には2種類あるんだね。それはフェイクな自分とリアルな自分だよ。
そしてこのフェイクの自分と言うのは、食べたり飲んだりして、やがて老いて死んでいく自分なんだけれども、結局時間の流れの中を生きている自分のことだよ。
だから、人にどう見られるとか、自分の目とか耳とか口とか肌触りとかそういったもので感じられる自分の感覚を、自分の判断の根拠にしている自分と言ってもいいかもしれないね。
ここからが難しいんだけれども、リアルな自分と言うのは、キルケゴールによると、永遠を感じている自分ということなんだよ。
永遠を感じると言うのは、もちろんキリスト教の世界の話だから、神の愛とか、心とか、命令とか、戒めとか、そういうものを魂でリアルに感じている自分と言うことだろうね。
そしてリアルな自分に気づいたならば、フェイクな自分を捨てなきゃいけないと言ってるんだよ。
この辺はかなり難しいね。
そういえば少し前にバービーと言う映画が流行ったけれども、あれも自分探しの映画だよね。
そのエンディングロールで、ビリー・アイリッシュの私は何のために作られたのかと言う曲が流れるけれども、あまりにも切なくて泣けてきたよ。
あの人もいろんな病気を抱えているみたいだけれど、人の目を気にせずに、自分が何のために作られたのかを理解して、リアルな自分で生きていきたいと言う気持ちを込めたんだろうね。
じゃあどうやったら、このリアルな自分をつかんで生きていけるのかが問題なんだけどね。
そのためにきるけかゴールが言ったのが、IBMで使われて有名になった、野鴨と言うやつだよ。
これは、渡渡り鳥の野鴨が、親切なおじいさんから餌をもらっているうちに、渡り鳥であることを忘れて、ぶくぶくに太ってしまうと言う話だよ。
親切なおじいさんがある時死んでしまって、ぶくぶくになった渡り鳥たちはもう渡ることもできなくて困っていたんだ。
そこに洪水が来て、渡り鳥たちはみんな死んでしまったと言う話だよ。
つまり、フェイクの自分で生きていたら、いつか裁きが下されて、全滅するぞと言う警告をキルケゴールは話していたんだ。
そしてこのフェイクの自分に気づいて、リアルな自分を探し求めるのは、結局自分にしかできないと言うことだよ。
だけど、フェイクな自分で生きていくことの苦しさを感じている人もたくさんいるから、やっぱりリアルの自分とは何かということは、世の中の常識にしていかないといけないよね。
それはオヤジやおばさんたちの仕事だよね。