小説紹介「儚火(はなび)」
はじめに
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あらすじ
神童と期待された美青年、一条未春(いちじょうみはる)は、原因不明の病により顔の半面が腐敗し父に見限られ、毒を盛られる。生きるために未春は父を殺害するが、後悔と罪の意識に苛まれることになった。
死の迫る自らに悲観し、父の葬儀に出ることも叶わず俯いていると、遠縁の親戚だという少女に話しかけられる。「私を恋人にしてほしい」という少女、響花火(ひびきはなび)には、知られてはいけない秘密があった。
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儚火
俺は京都の老舗呉服店を営む家に生まれた。老舗といえど、競合企業は多く着物だけでは経営は成り立たなくなり、経営難となった。
このままではいけないと、和と洋を取り入れた画期的なデザインの雑貨や小物、子供服や婦人服に力を入れ、経営を波に乗せた立役者となったのが母である。
母は凛として美しく、梁のようにずっしりと芯のある女性だったと聞く。神聖ささえ感じるほどに緊張感をもたらす美貌はみるものを圧倒する迫力があったらしい。周りはそんな母を敬い、母に従い慕っていた。
全部聞いた話だ。
俺は母を知らない。母は俺を産み落としたその日に、自分の命と引き換えに死んだのだ。そのせいも相まってか、残酷な夢に毎晩うなされる幼少期を送ったが、神童と呼ばれるほどに秀でた自分は、それでも何不自由することはなかった。
母譲りの美しい顔は好まれ、無条件に愛される幸福を俺に与えた。
誰もが優しく親切で、朗らかに笑ってくれるものだから単純だった自分は素直に育ち、皆を喜ばせるために勉強も家業を継ぐための家の手伝いも何から何まで心血を注いだ。
それで皆が喜び、笑ってくれるのであれば俺は何処までも頑張れると思っていた。それほどまでに人が好きだった。無垢で世間知らずだったのだ。
病を発症するまでは――。
俺の右顔面が赤く腫れた出したのは十五歳を過ぎた頃だった。
額から瞼にかけて肌が赤黒く変色し、そのうち皮膚が熱を持って膿を出した。肌が崩れていくのは想像以上の激痛を伴い、血と膿に汚れた包帯を見る度、ぞっとした。
でもそれは、痛みだけではなく周りの人間、女中や自分に期待していたはずの父までもが態度を変え、俺を突き放すようになった。
俺は気づくと、醜く歪み人間とは程遠いナニカになった。
物心がすでにつき、いろいろ多感に感じだす思春期の子供にとって地獄でしかない事実が突き付けられる。
鏡に映る自分を見れば、まるで化け物。包帯からのぞく膿だらけの肌、腐っていく半面の皮膚のにおいが鼻孔を刺激し、吐き気を催す。
悲しいと、感じているはずなのに表情は固まり、泣くことすらままならない。醜く変化する顔に比例するように心が冷酷で無慈悲になっていく。人の心など何一つ知らぬように、誰の事も理解ができなくなっていった。
俺を見る他者の目。
醜さは人を変えるというのか。存在を毛嫌いするように扱いはぞんざいになっていく。
ああ、その目だ。肌に張り付く湿度のような、じくじくと肌を刺す嫌悪。舌打ちする、憤りばかりで何一つも納得できぬまま、自分を置いて周りだけが変わっていく。
幼稚な俺は何も知らなかったのだ。その時の俺が何か一つでも誰かの心をすくいあげて、その一つの鱗片でも理解することができていたなら、俺はきっと今よりは救われていたかもしれない。
人の心を理解できないくせに、自分には心があると信じたがる。自分は人間だ。人間だから誰かに与えられた分、誰かに与えられることが当たり前だと思っていた。何一つも理解していなかった。
人というものにひどく憧れを持って、人間という形に収まろうと必死に体を押し込めたのに、結局なり切れないナニカでしかない。
膨張するようにふくらんだ理解しがたい人間という存在は、俺という存在をその枠から弾く。そして、全てを否定してしまいたいほどの憤りで俺を少しずつ狂わせていった。
他人と自分との間にある曖昧でも確かにわかる差異に怯えて、まともに動く左顔面が作る笑顔は何処か薄気味悪いのだろうと、頭の端で思った。
気味悪い笑顔は、それでも石膏で固められたように他の表情を知らない。
そして醜く歪んでいる。
ぎこちなく、父に笑いかける俺に「笑うな」と、父に白湯を投げつけられたことがあった。
薬を飲むために用意された白湯はぬるく、火傷負うほどの熱さは持たない。けれど、右顔面のただれた皮膚にとっては痛みを走らせるには十分すぎる刺激だった。
咄嗟に感じた痛みに我に返るように思った。
体が腐る病を抱え、人の目を避けて監禁されるように隠され、腫れものを扱うように女中に苦笑いを向けられて、それにすら悲しいということを許されなかった。
俺は初めて父を憎んだ。
肉体が腐っていく刺激とはまた別の、胸をえぐられるような痛み。
自分はあべこべだ。愛されたいと願いながら、父が憎くて憎くてたまらない。俺は醜くなっただけだ。中身は変わっていない、それなのにどうしてと、頭の中で何度も叫ぶ。心がいろんな感情に飛び火して、笑いたくもないのに笑っていた。
そんなぐちゃぐちゃの感情を抑えるように必死にうつむき、顔を隠している。
それが気に入らないのか父から発せられた言葉で、さらに冷や水を浴びせられる。
「醜い顔やなぁ」
ふすまを閉める音さえ父が抱く感情を表すように、冷淡で怒りも何もない。興味のなくなったおもちゃに対して子供が残酷に捨てるような、そんなありふれた感情。
俺は汚物のように指でつままれ、汚物をゴミ籠に捨てるときのように顔をそむけられる。あとは忘れて思い出しもしない。
瞳から流れる涙は皮膚をつたい、膿と一緒に濁って畳に落ちる。自分の顔を押さえて血に滲む包帯と膿で汚れた服の肩口を鏡で見て、自分は化け物でしかないのかと、絶望を通り越して悟ってしまった。
姿だけではない、俺は歪んだ化け物へと心までが変わっていった。
病気を発症し二年が経ち、女中の持ってくる食事の味がおかしいことに気づいた。
推測の域を出ないが、確信めいたものがあった。
毒が盛られている。
舌先で転がした食材から鋭い苦みを感じてうっ、と吐きそうになったが俺はそのまま気づかれないように吐き出した。
その当時、もうすでに食事を共にしなくなっていて襖を隔てた先に女中が俺を見ているのみであったが、食べずに吐き出せば怪しまれるとかんしゃくを起こしたふりをして食事をひっくり返した。
父は俺を、ゴミと同じように殺して処理をしようとしている。
父がもう自分などに興味など持っていないということには気づいていた。最初こそは病を治す術を探し回っていたが、一向に原因すらつかめず死を待つだけであれば、もうあきらめてしまった方が早い。
この令和のご時世に、世襲制な方がおかしいのだ。
けれど確かに二年前の自分は愛され、期待され、その期待に応えていた。父は当然のように俺に跡を継がせる気だった。
しかし、今は監禁されるように隠され、腫れもの扱いどころか俺は周りの世間体のためだけに生きている。
姿を見せないご子息は死んだのでは? 近頃ではそんな噂ばかりが立ち、それを積極的に否定もしない父のせいで、俺はいるかいないかわからない透明人間だ。
こんな人間は必要ないと拒絶されても仕方がない。
「薬です」
白湯と薬を盆にのせ、さしだす女中の目がとても冷たかった。ただそれだけで悟った。俺は死を望まれているのだと。
確証はなかったが、その女中の目つきだけで十分だった。
ただれた皮膚の悪臭、膿のついた汚らしい布団や肩口の夜着。夜毎、呻くように苦しむのさえ騒音でしかない俺の現状。吐き気がした。
俺は緩んでほどける包帯を直すこともせず、立ち上がると女中の髪をまとめている簪を引き抜いた。
「……何をするんですか?」
髪がほどかれた女中は迷惑そうに簪に手を伸ばし、そう声を荒げたが、俺は彼女を一瞥した。父譲りの凄みの効いた睨みに怖気づいたのか女中は体を震わせて、伸ばした腕を下げる。
「これ、毒やろ?」
途端に空気が張りつめる。冷たく放った声色が、突き殺さんばかりの眼光が、向けられた女中の肌を這って喉に触れ、針をさしたように骨に血管に恐怖という毒を巡らせる。
呼吸もままならない女中の喉元がごくりと動く。どれほど自分が冷たい目をしているか分かった。
俺は、この女中が死ねばいいと思っている。それは生ぬるい殺意ではなく、命を、他人を、物のように認知し、優しさや敬意を払う必要がない家畜と見下した瞬間だった。
九歳のあの日から、冷たい体を一人で抱きしめて温めるような生活だった。愛も、優しさも当たり前に与えてもらったもの全てを、失くした。
与えられたものと言えば壊れたラジカセのみで、そのラジカセから流れるノイズ交じりの声をまねて生きている。籠の鳥のような畜生でしかない。
今のままでは。
「……お前は、声がでぇへんのか?」
静かに問うたはずなのに、女中は顔を青くするばかりだ。汗を額から流し、あごに伝い落ちるまでの間、微動だにできず、固まっている。
俺は簪を握りなおすと肘で女中を喉をぐっと押しそのまま首をへし折らんばかりに倒れ込んだ。喉を腕で押さえ込みながら、彼女の顔横に思いきり簪を突き刺した。
畳に簪がピンと刺さる。顔を外したつもりが、少し女中の顔の皮膚を切ってしまったようで、赤い血が垂れるように女中の頬に流れる。
気管をぐいぐいと腕と畳で挟まれ、泡を吹きながら手足をバタバタを動かす女中に行ってやる。
「首、押さえられたら苦しいやろ。このまま殺してもええけど、どうや? 俺のこの顔のただれた皮膚とおそろいにならんか? 嫌われ、恨まれ、疎まれ、他人に向けられる視線はすべて侮蔑混じり」
俺はそう女中に言うと、彼女の瞳を至近距離で覗き込む。俺の醜い顔を見て女中は小さく悲鳴を上げる。
「その目やよ。……人って怖いなぁ。美しく愛らしいものには過保護やけど、醜くおぞましい化けもんには決して心を許さんのやから」
いつもそうだ。人は見麗しいものには優しい。それが当たり前のものだと享受して生きてきた俺は、なんて愚かだったのか。掻きむしるように悔し紛れに爪を立てる畳にあとがつく。
悔しさはいつも表情を置き去りにして、先に心を汚染していく。
「お前、人でいたい?」
揺さぶりをかけるように最後の言葉をかけると、体重をかけて挟んでいた首から腕をどけた。
涙を流しながら泡を吐いていた女中の喉からヒューヒューと音が聞こえ、咳き込んで女中は涙を流しながら言った。
「人で……いたいです」
「……いい子やね」
女中を見下ろしている己の表情を想像して反吐が出た。
今となっては化け物と不釣り合いな左顔面の美しさはただただ、人を騙すために被った皮のように感じていた。
昔、父親と京都劇場で見た芝居。
劇場に住み着く化け物ファントムが、美しい容姿の人間を殺し、その皮を被る。オペラ座の怪人。俺はファントムでさえない。右か、左か。どちらも自分の顔であるのに、どちらも自分ではない気さえしている。
孤独という言葉になぜ「どく」という言葉が付くか、頭の端で理解した気がした。
脅しと仕事で得た人脈、そして自分の代わりになる駒を手に入れた今、何をしようという気もなくしてしまった。
俺はこの家でいなくてはならない立場を作った。そうでなければ、自分はふらりと死んでしまいそうな気がした。地頭の良さと、捨ててしまった倫理観が俺に味方をしてくれたから手に入れた地位だった。そして俺は女中を使って父を殺した。父が俺に使った薬をそっくりそのまま父の食事に盛っただけ。
それだけで父は二年後、いとも簡単に死んでいった。
父にそっくりそのまま返していた毒は、時間をかけてゆっくりと体に蓄積し、殺していくと言った毒だった。
死因が不明な場合は心臓発作と書かれるということを父が死んでから知った。罪を自白するための機会を呆気なく失ってしまい、呆然とする反面すべきことを理解していた。
そして何よりもあれほどまでに味覚に訴えてくる苦みのある毒を父はどうして飲み続けたのか疑問であった。
父が徐々に弱っていく様をせせら笑いながら見ていた。きっとそんなことにも気づけないほど、父は間抜けだと思っていた。
最後の父の言葉は今でも消えてはくれない。
「彼岸にて待つ」
父に打ち勝ったようでうれしかったはずなのに、死ぬ間際自分に疑問を持った。
満足していたはずなんだ。けれど家の実権を持つのは俺がふさわしいなどみじんも思っていなかった。父が毒に気づくと、内心気づきながら女中に指示を出していた。父に死んでほしいなどとみじんも思っていなかった。けれど、生きるために父の死を望んだ。
そこまでしておいて、自分だって自分をそこまで大事でもないくせに。
殺人を殺人で返して何が悪いというのだろう。当たり前のことを何度も繰り返し、自分を正当化した。そのたび己の内の矮小さに気づき、自分が背負うべきになった家業が重く感じるようになった。誰かを率いていけるほどの器ではなかったと打ちひしがれた。
父の遺体と相対し、涙は出ずとも悲しく思った。父の死をではなく、親子の愛情というものは所詮は互いの利害から成り立っているという事実に悲観している、そんな弱い自分に対してだった。
愛情はとても清潔で、誠実なものだと信じて疑わなかった。そうであることが当たり前であると信じ切っていた自分の甘さに怯えた。自分は愚かだった。……それがとても悲しいと思うほどには、自分はきっと脆い人間なのだ。
弱さを許してもらえる環境にいない自分の立場、誰かの行動を縛り、いうことを聞かせるだけの見返りを与えられるだけの財力、それを維持するためにいらないものを排除する残酷さ。自分には生きていけるだけの非情さがないことに、ひたすらに悲観していた。
父の葬儀に出席することはなく、近い血縁者を影武者として立て喪主とした。指示は出してはいたが、俺が公の場に出ることはこれから先もない。
葬儀が大体的に行われる母屋からほど遠い離で一人、池の鯉を眺めていた。
籠の鳥とはよくいったものだ。それはきっと自由さえ得られれば、幸福になれると信じている愚か者をさす言葉なのだろう。
実際、広い世界を知れば失望するかもしれない。
きっとその場所がどれほど恵まれた場所かわからないから、自由を欲しがるだけで、自分が欲しいものはこの場にしかないと理解すれば、何も求めずに済んだだろうに。
「……なんやろな、幸せって」
池の鯉に問いかけたつもりだった。後ろに誰かいるなんて思ってもいなかった。
「哲学的なことをいうんですね」
その言葉が自分に返ってきた瞬間、ぞくりと怖気が走り驚いて振り返った。
久方ぶりにみた家の者以外の人間は、闇の中でもはっきりと映える艶やかな髪をなびかせる神秘的な少女だった。
その瞳はあまりに鋭い眼光を宿していて、まるで触れれば指先を切ってしまいそうだ。
そしてなによりも、少女から漂う独特な色香。
月の光が照らす水辺に佇めば、その整った容姿からその場がまるで幻想小説の物語の中とさえ錯覚するほどに、鋭いくせに美しく愛らしい。鬼女、呉羽。美しさのあまり妖術をかけられたかと見まがうほど、視線を奪い男を虜にする。ふいにそんな記憶がよみがえるほどに圧倒される美しさ。
肩甲骨ほどの髪の長さ、きれいに切りそろえられた濡れ羽の黒髪。ぷっくりと血色のいい唇、成長途中の控えめに成長した胸でさえ、その一瞬しか見られない幼さと相まって官能的に危うい雰囲気を醸し出している。
葬儀に参列するために着たであろう学生服は、濃紺の襟のセーラー服。その上からクリーム色をした分厚いカーディガンを羽織っている。
不完全なものほど美しい。そんなことをどこぞやの芸術家が言っていただろうか。
いつの間に隣に座っていたのかわからない。彼女はひざを抱えて座り、おどけるようにして俺を下から覗き込んでいた。
「……あんた誰? ここに入ったあかんよ」
無意識にすごんでしまった自分が情けない。こんな華奢な少女でさえも驚くほど過敏に威嚇するのだから。
それでも少女は何も言わずに、池の中の鯉を眺めていた。雪の降る池の中の鯉を見る目は、まるで底のない海に落ちたような空虚、何処も見ているようで見ていない。胸が痛くなるほど、何もない空っぽな少女。
危うさだけが先行し、この少女を手籠めにしてしまいそうな衝動に駆られた。
その淡い色彩で、我に返ると消えていそうあ危うさ、それでもくっきりとした輪郭を持つ儚さ。ため息がもれ、視線を奪われた。
「……見惚れましたか?」
少しからかうように、彼女が少しだけ俺を見て微笑む。
彼女はただ視線を奪い、ただこの空間をすべて自分のものにしてしまうような、そういう魅力を秘めている。目が離せないのではない、離れない。
俺から視線をそらした彼女の流し目の横顔を見ているだけで、ふわりと植え付けられた虚無感と、孤独が伝染する。
じわりじわりと、這い上がるような湿った孤独、失うことを怯える焦燥感に似た何か……。
視線をそらせば消えてしまいそうなほどに危うい、そんな儚さが涙のように零れ落ちる。
「……からかいなさんな、って言いたいけど。君はきれいな子やね。初めてやわ、こんなに長い間見惚れてもうたんわ」
俺は思うままを告げた。それしかできないほど魅了されたし、それしか伝える術を知らなかった。
少し驚いたように少女が俺を見る。ぷっくりと色づく桜色の唇がふるふると震えて、何かをつげようとしてまた唇を噛むように閉じた。
ぽたぽたと零れ落ちた涙に、動揺を隠せず思わず彼女の視線に合わせるように屈む。
「どうした? 何か嫌なこと言ってしもたやろか?」
彼女は首を横に振り続けて俺に向かった花が咲いたように笑った。
純粋できれいな涙がはらはらと散って息が止まるほどに美しかった。頬を赤らんで愛らしい。幼子のように抱きしめてあやしたくなる。
彼女は俺のたもとをぎゅっと握りしめて、首を振るばかりでどうして笑いながら泣いているのか、よくわからない。言葉を話そうとせず、ただ延々と俺の着物を握って泣くばかりだ。
「ここでは冷える。離に行こう。女中に茶でも持ってこさせよう。それとも、茶菓子か、軽食でも持たせよか」
慌てると口数が増えてしまう。動揺を隠せないほどに魅せられると俺はどうすべきかを見失い続けるのだ。
ひとしきり泣いたあと、彼女はふいに言葉を発した。
「……あなた、未春さんでしょう?」
泣いた後で声が震える少女が口にしたその言葉に、ハッとした。
……もうずいぶん、呼ばれていないその名前に、俺は思わず呆けてしまう。
「……一条未春は、喪主の方の名前やったかな。俺ちゃうよ」
落ち着き払ったふりをして返事をしたが、必死につくろったその演技は見透かされていたようで、少し笑われてしまった。
「私ね、未春さん。響 花火っていいます。一条家にお世話になっている家のものですが、ご存じでしょうか?」
雪がちらつくほど、凍える寒さの中俺らは見つめ合った。黒く澄んだ瞳をしている少女に魅入られる。食い殺されそうな欲望に唾液を垂らすような獰猛な瞳が、それでもどこか縋るようで俺は見惚れてしまう。
「知らんがな……」
そういうだけで、精いっぱいだった。
彼女と目が合う。悲しいや寂しいがたくさん降り積もった俺らは視線が合うだけで理解してしまう。この人は自分と同じだと。
寂しいという感情を誰かと分かち合いたいと願ったのはいつぶりだろう。
夜着をまとい、震えながら朝を待つ夜の自分に似て彼女は何処までも体裁も何もなく縋っている。
いろいろ聞きたいことは山ほどあった。しかし、何を問うても無意味にしかならない気がした。
静かにちらつく雪の白は、竹林の濃緑に映える。そこにたたずむ少女は白い息を放ちながら、俺に近づいてくる。
身をよじりながら彼女から距離をとろうとするも、彼女は強引に俺の腕をつかんで言い放つ。
「一週間で構いません。あなたの恋人にしてもらえませんか?」
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