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【自叙伝】運命は出会った人で決まる #1リセット
私が壊れた日
2010年6月17日。
私は自身の人生を自らの手で終わらせようとしていた。
人生を悲観し、生きることに失望し、未来への希望が見出せない私は、生きることを諦める決心をした。
大量の睡眠薬と安定剤を服薬した。
母が危険を察知し通報
だが、やはり私は生きたかったのだ。
朦朧とする意識の中で無意識のうちに母に電話をしている。
その内容はほとんど覚えてはいないが、危険を察知した母が救急車を手配したのだった。
微かに覚えているのは、ベランダのガラスが割れる音と私を呼ぶ声だった。
命は取り留めるも障がいが残る
私は一命を取り留めたが、なぜか脊髄を損傷し、身体に障がいが残った。
入院生活は実に8ヶ月に及び、退院後は車椅子での生活を余儀なくされた。
謎の脊髄損傷。この障がいは自ら命を捨てようとした私への神が与えた罰であり、試練だと理解している。
障がいは残ったものの、生き残った私は、それから一度として死にたいと思ったことはない。
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今が人生を振り返るとき
私は幼少の頃から年上・年下関係なく周囲の人間から舐められ、馬鹿にされ、冷笑されるという、そんな屈辱に満ちた人生でした。
そういう人間しか私の周りには寄って来なかった。
どうしてこんな連中しか寄って来ないのか
子供の頃はあまり深く考えたことはなかったように思う。
私はとてもおとなしい性格で、自分の意見を積極的に言うタイプでは決してなかった。
いつも誰かの後ろをチョロチョロと付いていくようなタイプだった。
何を言われても言い返さない。
他人に厳しくなれない。優しい性格…。
そんな自分の性格が影響したのかも知れない。
他に考えられるのは私の家は非常に貧乏だった。だから私自身とても貧弱で痩せていた。
(20代で体重40㎏台後半だった)
今だからこそ伝えたい
そして年齢も40歳を超えた今、ようやく私の周りの人間も落ち着き(笑)初めてこれまでの自分自身の過去を誰かに話そうと思いました。
辛い過去を振り返り、そしてまた前へと突き進む。これからの自分自身のために。
生き残ったには理由があるはず
私は彼らに伝えたいと思った。
この記録がいつか彼らの目に留まれば…
そこではじめて彼らから解放される気がするのです。
つづく。
次回「幼少期について」
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