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【#2】秀吉の出世城『長浜城』〜豊臣家と縁の深い『竹生島』

最近、映像配信サービスで北野武監督の『首』を観ました。
戦国時代のドロドロとした駆け引きや騙し合い、バイオレンス要素は見応えがありましたし、尾張言葉むき出しの信長や秀吉周りのコントのような絡み合いなどエンターテイメント要素も豊富でバランスの良い良作でした。

この映画は、北野武さんが演じる羽柴秀吉が主人公でしたが、秀吉が初めて一国一城の主となったお城は近江国(滋賀県)の長浜城でした。

秀吉ゆかりの地に行ってみたいと思い、先日、長浜城と竹生島に行ってきました。

長浜城の基本情報

  • 天正元年(1573)浅井氏の小谷城落城後、秀吉が城主となったが、翌年から長浜に築城を開始する。

  • 古文書には、築城のために領民を集めたこと、竹生島の材木を運び出したことが記されているとのこと。

  • しかし残念ながら、当時の絵図は残されていないため、どのような姿だったかわからない幻の城。

  • 秀吉はこの後、中国攻めの総大将になるので、まさに「出世城」である。


長浜城〜竹生島①

実は以前、長浜城に一度訪れたことがあります。

長浜城は江戸時代に取り壊され、材木や石垣などが彦根城の建設に使用されたのでお城の遺構がほとんど残されていません。天守も昭和58年(1983)に建てられた模擬天守で、当時の雰囲気を体感しにくいのです。実際あまり印象が残っていません…

ですので今回は、前回の経験を踏まえて、水運の要衝であった点や、山城の小谷城からこの地を選んだ秀吉の気分を体感できる場所から撮影したいと考えました。

長浜港からクルーズ船に乗り、竹生島へ。約30分の船旅。
ふかふかの椅子に座りながら外を眺めるか、デッキに出て風を感じるか…
目的の撮影スポットがここ

写真右が長浜城の模擬天守。
中央奥にはかつて小谷城があった城山。山城から平城(水城)に造りかえたことにより、船の出入りができる水運の要衝になったことが想像できます。

竹生島の基本情報

  • 奈良時代の高僧、行基が開山したのが竹生島信仰の始まりといわれている。

  • 島内には、『都久夫須麻(つくぶすま)神社』という神社と『宝厳寺(ほうごんじ)』というお寺が別々にある。

  • 2013年度より『宝厳寺唐門』『観音堂』『舟廊下(渡廊)』の修復事業が始まり、2020年春に完了した。

長浜城〜竹生島②

竹生島に到着
島に着いて見上げると『宝厳寺唐門』が見えます

お城好きとして見落とせないのが『宝厳寺唐門』。実は、秀吉が築いた『豊臣大坂城』の極楽橋という橋を移築したといわれています。豊臣大阪城の建物は、豊臣家と江戸幕府が戦った『大坂の陣』で徹底的に破壊され、今の『徳川大坂城』に築き直されました。唐門は、大坂の陣より前に移築されたので、無事に残った唯一の遺構といわれています。

唐門の特徴である唐破風は、この時代を象徴する建築様式です。また門には、極彩色の装飾が施されており、一時代を築いた豊臣家の威光を感じられます。

約90分の滞在時間で島内を巡ります

今回の旅では、「水城」としての長浜城の本質的な姿を想像することや、写真に収めることができて大満足でした。竹生島とセットで巡ることで、豊臣家の栄枯盛衰も感じられる旅となりました。

また周辺には、秀吉と関わりの深い小谷城や姉川、賤ヶ岳の古戦場があるので、次回はその辺りも巡ってみたいと思いました。

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