ペストと不況から立ち上がったイタリアの物語(3)もしダンテの娘がジュリエットだったら

回り道したようですが、こうやって具体的にイメージしていただかないと、文化史の抽象的な表現ではよくわからない、と私は思うのです。ひとつひとつ、検証していく、と言っておいて恐縮なのですが、もうひとつ、よく言われる「中世のペストは、人口減で階級社会をめちゃくちゃにしたけど、今回のコロナはそうではないよね、社会的弱者が死んでいるわけで…」という話。いえいえ、中世の人達もわかっていたんです、祈祷でどうなるってもんでもない、新しい治療法って、何度も流行ってきたのにまたどうせまじない程度だろう。そんなことくらいは、フィレンツェにも近いプラートの商人、マルコ・ダティーニ(1335?-1410)も見抜いていたのです。ただ、彼らのように、郊外の邸宅にひきこもることができる裕福な人達は、やはり助かっています。世界史でもでてくる、ボッカッチョの『デカメロン』も、そういう裕福な人々が、難を避けて別荘で過ごす日々にあって、退屈しのぎに語り合う、という形式でした。

イリス・オリーゴ『プラートの商人』
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もうひとつ、中世階級社会のほころびは、ペスト流行よりずっとはやく、皇帝からの特許状を無視して事実上の実効支配があった、12世紀末にはすでに始まっていたと言えます。フィレンツェが生み出した最大の詩人、ダンテがまさに、追われた貴族、なのです。なので彼は、全く成金ばかりがフィレンツェを大きな顔をして歩く、自分の顔より目立つ帯なんかしているやつが練り歩いている、と、憤懣やる方ない様子で書き連ねるのですが、私はこの表現はちょっと面白いと思いました。

 英王室も大戦中は服装のことは全く取りざたされなかったそうで、ファッションアイコンとしての注目度がぐっとあがったのはダイアナ妃以降なのだそうです。ダイアナというのは、スペンサー家からお嫁にきたわけですが、日本で思われているより貴族としてのスペンサー家の格式というのはずっと低く、ほんとうに19世紀の成金がお金で買った爵位なので、旧家の多い伏魔殿で、しかも頭が悪い、とよく言われた彼女が、どこでプリンセスらしさを表現するかといえば、やはりヴィジュアルな洗練だったのですよね。

 実は、そういう、ど根性プリンセスぶりこそ、これまでの王室にはない華やぎともあいまって空前の人気を博することになるのですが、いつの世も、成りあがりがどこで勝負するかといえば、それはやっぱり、この文化的洗練なのではないでしょうか。『麒麟が来る』でも戦国武将の教養は、明智光秀をして将軍様にお仕えしても恥ずかしくないレベルに達し、絵に描いたような成り上がりだった秀吉が天下人としては大金を投じて文化保護したことからも伺えるように、既存勢力を抑えて出世した後、その成り上がりの権威づけは教養とそれを誇示する姿勢にかかってきます。

その際、ほんとうの信仰心がなかった、とは言いませんが、宗教的権威に認めてもらう努力もしますから、当然宗教建築宗教美術にはお金がそそぎこまれる結果にもなるのです。勿論、イタリアルネサンスと日本の戦国武将の大きな違いは、ルネサンスの新興貴族は大商人が多かったということ、戦国武将たちはやはり軍事政権の実権者だったということです。そして、マキアヴェッリが嘆いたように、自ら武器をとろうとしない文化的洗練は、フランスやスペインといった、絶対王政の軍隊を前に自治を維持することはできませんでした。

さてダンテが苦々しく見ていたのは、そういうフィレンツェであり、彼はラヴェンナに亡命して、故国を思いながら果てることにもなるのですが、政敵を次々煉獄に落としていく『神曲』は、そういう人でないと書かない作品でしょうね。つまり、すでに社会的流動性が高くなっていたところにペストが起こったのもほんとうです。なお、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のもとになった話は、特にヴェローナを指定していたわけではなく、とあるイタリアのどこかの街、という設定だったのですが、うぶな箱入り娘のジュリエットのキャピュレット家が「皇帝派」、政争で対立する人々のパーティにもぐりこむ、命しらずの若者、ロミオのモンターギュ家は「教皇派」です。この「教皇派」と「皇帝派」の対立という構図が、中世イタリアではどこの街にもみられた、ということは事実なのでしょうね。そして、ダンテは去りゆく皇帝派の古い家柄の貴族です。もし自分の娘が、教皇派に誘惑されたりしたら、彼なんか激昂して生きながら煉獄に落とすこと必至だろうと思います。

*いま『神曲』もいろいろな訳が出ていますね。専門家ではないのでどの訳がいいのか、よくわからないのですが、自分が持っている岩波文庫のものは以下です
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皇帝が特許状を与えた、その秩序のもとでやっていくべきだ、という人たちは、新興勢力を煽った教皇に忸怩たる思いがあったはずです。しかし、ロミオとジュリエットの仲を取り持ち、町に和解をもたらそうと一計を案じる神父もまたキリスト教社会の立役者。中世社会というのは、現代社会と同じく、そう単純にできてはいなかったのです。

メディチ家は教皇庁の銀行家なのですから、当然教皇派ですが、フィレンツェで頭角を現したメディチ家の長を呼び出した教皇が、従順を表現するのに靴の先に口づけするように命じ、これをコジモがとっさの機転でかわした、という言い伝えがあります。こうして、狙われる立場になったメディチ家は、やがて枢機卿を抱き込んで、メディチ家の息子の一人を教皇にたてるに至り、さらにハプスブルグ家と縁戚になることで、正式に大公の地位を得ます。映画ゴッドファーザーが「コアな部分に迫りすぎてなかなか公開できない」と言われたときの筋立てがまさにマフィアの教皇庁への深い関与だったようですが、20世紀にはそんなこんなで宗教改革が起こるまでには至りませんでしたね。

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