暗闇を進む <1>

 夏至の日に、三十年ぶりに東京ディズニーランドに行った。正確には、生まれてはじめてディズニーシーを訪れた。

 一緒に行った友人には「私は何度も行ってるんだから、ちゃんと調べて、乗りたいものを言ってね」、と念を押されていたのだが、私はぼんやりとアトラクション案内をスマホでながめたあげく、「暗闇を進む」、「健康状態のいい人のみ」のでいこうよ、と答えた。きゃあきゃあ騒げたらいいな、くらいのつもりで。

 緊急事態宣言はその前日に解除されていた。父をデイケアに送り出してから電車に乗り、やっぱり混んでるかなあ、とも思っていたのだが、舞浜で降りて、言われた通り左手に進むと、ひらひらと手を振りながら「いってらっしゃい!」というスタッフに見送られて乗車したモノレールは、車両ひとつに十人くらいしかいなくて、窓もつり革も、勿論座席もミッキーマウスなのがよくわかった。ヤシの並木の向こうに暗い空を映して淀んだ浦安の海を見つつディズニーシーに着いたのは十一時だが、おぼろげな記憶にも人々が列をなしていた入園口は、まるでもう閉園したかのように人っ子一人いなかった。

 結局、タワー・オヴ・テラーはじめ、コロナ前の通常なら二時間待ちもザラなアトラクションに15分待ちくらいで次々と乗ることができた。コロナ禍でもなかったらあり得ない話である。友人との待ち合わせも問題なく、入口の噴水で電話して、振り向くと50mくらい向こうの店から出てきた彼女がはっきりと見える程度にしか人はいなかった。それでも、制服の高校生や、親子連れや、夢の国らしい可愛らしいワンピースコーデでキメた女の子達で、園内はにぎやかだった。

 ディズニーランドなんかめりけんらしくジーンズにTシャツで行くところだ、と思い込んでいた私には、それぞれの思い入れがあふれるおしゃれを見ているのも面白かった。つまり、ディズニーランドは舞台で、思い思いに、ペアで、親子で、主人公を演じるのがこの頃のTDLの遊び方らしいのだ。とはいえ、あんなに歩きまわるところにハイヒールで行くなんて気には、私自身はどうしてもなれないが。

 富士山まで父を連れてドライブに行く度に、富士急ハイランドのジェットコースターには一度乗ってみたいなあ、と思っていたが、それもコロナ休園で、まるで凍りついたかのように全てが停止していたのは、運転席からちら見してもよくわかった。五合目まで、よもや自分で運転していけるとは思っていなかったのが叶って、それでも最後はいくつかのつららの下がるトンネルをくぐって着いた先は全国各地からのナンバーの車で乗用車用の駐車場はほぼいっぱいになっていたが、団体バスの駐車場の方は完全に空だった、というのがコロナ禍のインバウンド目当てな観光地の姿だった。子どもの頃、父に連れられてよくスケートに行った富士急ハイランドについても、今やそのお化け屋敷まで模したものが中国に出現しているらしいが、東京ディズニーリゾートは、外国人観光客が訪れる先として最も多く挙げられる観光地なのだ、と、イギリス人の英語教師が肩をすくめていた。だが、パリのもそうなんだろうし、上海や香港にあろうが、の、東京ディズニーリゾートの集客力はとても無視できない人気を誇っている。

 日本人ではなんといっても高校生、そして、関西出身の友人曰く、「シーでしか買えないダッフィちゃんは、土産にすると感謝されてやまない」そうで、地方の人達にとって、東京に行くといえばディズニーランドは外せない、というよりそれが目当てで行くことも多いのだそうだ。地上は小池百合子に、上空は米軍に掌握されても、立川、町田、八王子なんかほぼ山梨県じゃんね、くらいのつもりで住んでいたが、日帰りできる範囲にディズニーランドがあるのは、衛星とは言わないまでも、太陽系のうちにはあって、東京一極集中の恩恵を十分に受けている、ということなのだろう。

 そんなわけで、シーには羽生結弦が滑走した後は雨のようにリンクに投げ込まれているプーさんのぬいぐるみではなく、私にはどうも表情が乏しく見えるダッフィちゃんを持っている人が目立つディズニーシーだったが、きょろきょろする間もなく直行して最初に乗ったその”タワテラ”がいちばん胃に堪えた。あれはどう動くか見当もつかなかった。シートベルトやバーのないアトラクションに乗ったのは、そろそろお昼食べないとねえ、という二時を過ぎてようやくで、それまでにおばちゃん二人でいわゆる”絶叫系”を制覇したのだった。

 大人同士だし、ちょっとちゃんとしたレストランで食べよっか、とも言っていたのだが、私が「多摩動物園のライオンバスみたーい」と騒ぐなかで、”カスバ”でハウスのカレーを食べた。イスラム過激派のテロが多発したのは、シーができてからだよなあ、と思えば、アメリカにとって都合よく、とか、ステロタイプな誤解がある、とか、上から目線で言われてしまえばそれまでだが、アラビア文化へのあこがれでいっぱいのアトラクションの数々には、文化の盗用とか、コロニアル趣味といなされ、訴訟まで起こされかねない昨今の風潮には、やはり傷つく人の方が多いはずだとの思いを新たにする。それは痛ましいことだとも思う。

 さてお目当ての”絶叫系”だが、一回転するジェットコースターなんかは、その一回転もあっという間だったし、日常的に首都高の運転をしていると、周囲の車の速度にあわせて時速70kmでつっこむカーブで急に壁が迫ってくるなんてよくあることだしなあ…と妙に落ち着いている自分がいた。「私が運転しなくてもちゃんとバックで車庫入れしてくれるし」と口走って、友人に笑われたこともあった。ただし、慌てたのは、先が見えない仕掛けのある箇所だ。友人はきゃああああ、と目をつむってしまうのだが、私じっと前を見ていないとかえって怖かった。蒸気や急なトンネル入りで視界が遮られるのには、ハンドルを握っていたら竦んだだろうとも思う。ジェットコースターでいちばん怖いのはじりじりとてっぺんまで登って一気に落ちるところだ。あれは、全く先のレールが見えない。

 だが、たとえばインディジョーンズの冒険なんかは、映画を見ていない世代には、そういう予測不可能な”暗闇を進むジェットコースター”でないと面白くないだろう。私自身は勿論、あのテーマ音楽が流れてきたら、それで盛り上がっちゃう。けっこうカーブのきついトンネルトンネルで東京埼玉の県境を抜ける圏央道ではまばたきもできないが、あれならきゃっぴきゃぴで楽しめる。

 トンネルの運転はかなり緊張する。助手席で父に「やめろ、俺は命が惜しい」「おまえは頭がイカレている」と騒がれるのはいつものことだが、父が何も言わないのに我ながらやばいと思ったのは、秩父から山梨に抜ける、アクアラインができるまで全国で最も長いトンネルだった雁坂トンネルを走っていたときのことだ。ずっと直線で同じ景色が続くので、まるでカプセルの中にいるようで、自分で運転している感覚が一瞬なくなった。ディズニーランドにこういうのあったよなあ、スペースマウンテンだっけ、と、ぼんやり思いつつ、対向車も後続車もなかったので、スピード感覚さえ失って、速度計を見てもなんだか実感がないのが、すごく怖くなった時、ようやく後続車のライトが見えてやっと我に返った気がした。

 さて、そんなふうに、ディズニーシーの「暗闇を進む」に幾つも乗っているうちに、ふと思い出す光景があった。弁天洞窟、だ。

 それはよみうりランドのすぐそばにあって、お寺のなかにある、長さ60mほどの人工洞窟だ。照明は一切ないので、入口でいただくろうそくをともして行くしかない。真夏なのにひんやりする内部の壁には仏像が、いちばん奥には壁に大蛇が浮かびあがるようになっている。子どもたちだけで行け、と言われた時にはほんとうに半泣きになった。たった60メートルがほんとうに長く感じた。

 暗がり、といえば、善光寺のお戒壇めぐりも有名だ。胎内くぐり、というのは、山岳修行のひとつでよくあるらしい。暗がりで死を体験して、もう一度生まれ変る、という意味もある。善光寺でも、その45mの暗闇で仏さまとのご縁を結ぶ、というのがテーマになっている。ギリシャ神話や古事記でも、洞窟といえば異界、とくに黄泉の国への入り口だ。子どもの頃、崩れかけの防空壕をのぞきこんでは、通りかかった大人にこっぴどく叱られたが、暗がりの怖さというのは人を拒むと同時に誘ってもいるのではないか。

 ディズニーランドの「暗闇を進む」は、あの静まりかえった弁天洞窟の冒険のような、厳粛さは勿論ないのだが、「その暗がりの向こうに」どきどきわくわくが約束されている。「いってらっしゃーい」とか「アディオス、アミゴス」とニコニコ手を振られて出発してから、同じ場所でスタッフに迎えられるまでは、異界、ディズニーの世界が展開されることになる。暗がりは、演出の上でも意表を突きやすい。そして、光のなかに戻ってきた時の安心感も。


 

  


 


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