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着飾られた花よりもその辺にただ咲いてる花が好き

朝、近所の神社に散歩に行った。

その神社は小さな神社で、手水のところにいつも花が飾られていた。
今日は、赤いガーベラやピンクのスイートピーなどの暖色の花々が鮮やかに手水コーナーを彩っていた。

きれいな花だが、いかにもきれいな花だった。


それがどうしても、私にとっては美しいと思えなかった。


美しいと誰もが思うであろう美しさ。
美しいところだけが切り取られた、100点満点の花の束。

そういった美しさに、どうも人間の作為が見えてしまった。

どうもこう、作為的なものを純粋に楽しむことができないのが私のサガである。

神社の手水を彩る精彩な花束よりも、
境内にあるすでに散ってしまった桜の木や、地面に咲いている一輪の小さな花の方が私は好きだ。

自然の法則に則り、その生命のサイクルを成しているだけの花の方が、私には美しく見える。

人為的で表面的な工作が見えない、自然法則が作り出す美。
そこに、自然の力強さや生命力が見えるからかもしれない。
その植物たちの役割が、人間に美しいと思ってもらうためではないことが見えるからかもしれない。


どうしてもこういった飾られた花束を見るとまた、
人間が美しいものを搾取している、とも読み取ってしまう。
考えすぎかもしれないけど。

この地球はあたかも人間が支配してるかのような、人間は自然のものいかようにもできてしまうような構図が見える。

人間はこの世界を搾取する権利なんかない。
なのに、人間は自然のものたちを、人間が楽しむためだけに簡単に搾取する。

私にとって本当の美しさとは、自然法則によって作り出された美であって、人間の作為や搾取が見えないものなのだ。

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