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コアとなる考え方はずっと前から変わってないかも

こんにちは^ ^
かなえんです。
今日は人に見せるというより、自分の気持ちをまとめるために、つらつらと書いたジャーナルをnoteでも共有してみます。
良いタイトルが浮かばなかったので、所感をタイトルに書いてみました笑

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人が幸せに生きるにはどうしたらいいんだろう
最終的にはいつもこの問いに行き着く

小学生や中学生の教育について考えたとき、主体性をぐむとか学力を向上させるとか、大人の理想の姿を育てるために頑張っていることがある。
それは本当に子供たちのためになっている時もあるし
親のエゴや教師のエゴの時もある。

私が心に少し引っかかっているのは、主体性を持って行動するとか、学力を向上させるという行動に本人の気持ちが伴っていなければ、継続させるには無理がある話だということだ。

これは心理学の外発的動機付けと内発的動機付けに当てはめられるのかもしれない。


とは言え、生計を立て満足のいく生活の基盤を作るには何かしらの能力を磨かなければならないし、生き抜く術を学ばなければならない。

そのために、大人は学力を向上させなければいけないと思っているのかもしれないし、そんなことはまぁ考えずに、ただなんとなく、勉強させなければいけない。良い学校に、良い会社に、行かせなければいけない。そういう幻想に取り付かれているのかもしれない。

人生の満足度を上げるには、自分で様々なことをコントロールできて、自分のやりたいことをやって、自分の好きなことをやって、自由に生きることが、必要不可欠なのではないか。
そんなふうに、私自身は、感じるんだけれども、実際他の人はどうなのだろうか。
人にコントロールされ、場合によっては束縛され、誰かに決められたことだけやる方が幸せだと言う人も中にはいるかもしれない。
どちらが正解で、どちらが不正解ということはないと思う。
でも1つ言える事は、どちらにしても自分自身を良く知って幸せになれる方法を選んでいくことなのではないだろうか。

私たちは自分と言う概念を消し去ることはできないものだと思うのだ。

自分をよく知るにはどうしたら良いのだろうか。
今私が考えられるのは、様々な人との出会い、体験を通じて感じる、一つ一つの自分自身の気持ちを大切にすること。どんな考えや行動がしっくりくるかを自分自身で捉えるように、感情や頭に浮かぶ考えを見つめる、ひとときが必要なのではないかということだ。

このあたりは私も今絶賛取り組み中なので、また何か気づきがあったら共有したい。


話をもとに戻すと、誰かに何かを教えなきゃいけないとき、私はいつもその人にどんなふうに受け取られるか気になって仕方がない。
子供たちといる時なんか特にそうだ。
一方的に教えるなんて場面は、正直ないんじゃないかと思う。
いつも新しい気づきをくれるし、新しい視野を与えてくれる。それが大人に対しても子供に対しても同じであって、お互いがそういう関係なんだと自覚しあっている関係が心地良い。


学校の教育の中にこの精神を取り込むとすれば、1つの方法はやはり以前から考えている探究学習だと思う。
人間、自分の興味のあることや好きなことを探求していくうちに、自然と学び、自然と覚え自然と語っていくのではないだろうか。
それを見守るのが、大人の役割なのではないかと思う。
そのために、少しだけ環境を整えてあげて、少しだけヒントを与えて、応援することが必要なんじゃないか。

4月から子供たちと活動させていただくにあたって、具体的にどうすればいいか、私のこれからの課題となりそうだ。

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今日があなたにとって幸せな日になりますように。
今日も読んでくださりありがとうございました。
では、また^ ^

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