【展覧会】チェーホフ市にあるチェーホフの手紙博物館
1月29日は、チェーホフの誕生日なので、
今日は、モスクワから南に70㎞ほど行ったチェーホフ市にあるチェーホフの手紙博物館を紹介します。
チェーホフがよく通った郵便局が、保存され、今では、『チェーホフの手紙博物館』として公開されています。
私は、チェーホフ全集をすべて読み終えた後の2014年8月に初めてこの手紙の博物館を訪れました。チェーホフの作品をすべて読んでいたので、博物館の人とチェーホフの作品について話すことができ、よい思い出となりました。
その後、モスクワに住んでから友達になった人も、チェーホフが好きになり、2019年7月に一緒にチェーホフの手紙博物館へ行きました。
2014年と2019年に撮った写真を載せながら紹介します。
チェーホフ市の手紙博物館の前にあるチェーホフの銅像です。
これが、手紙の博物館です。入り口横には、ナナカマドの木があり、2014年8月に訪れた時は、赤い実がなっていました。
郵便配達員のマネキンがあります。
郵便配達で使うものが展示されています。
馬車につける鈴です。
郵便局の窓口内にもマネキンがあります。
ラッパもあります。
ガラスケースに入ったチェーホフに関する展示もあります。
右端にあるのは、ロシア語版のチェーホフ全集です。この本を私も持っています。左側にある茶色いのもロシア語版のチェーホフ全集です。この本は、2人目の義母のダーチャ(別荘)にあります。
チェーホフとは、チャイコフスキーと交流していたので、チャイコフスキーに関する展示もあります。
机の上には、チェーホフが書いた手紙があります。
チェーホフの肖像画と手紙です。
今は、チェーホフ市ですが、1954年以前は、ロパースニャという名前だったので、ロパースニャと書いてあります。
郵便局の部分です。丸太の壁がいい雰囲気を出しています。
郵便ポストもあります。
日本では、郵便ポストは赤ですが、ロシアの郵便ポストは青です。
夕方4時30分と書いてあります。
地図もあります。
モスクワ周辺の地図です。
ロシア帝国時代の地図です。
アジア地域のロシアの地図です。
日本の地図もあります。北海道は、松前島となっています。小樽、旭川、室蘭、函館、松前などの地名が書かれています。本州は、ニポン島とあり、東京、横浜、京都、大阪の文字が見えます。
郵便局の窓口です。
窓口の中の様子です。
机の上には、そろばん、スタンプなどがあります。
中には入れないので、窓口のところから撮っています。
1896年の何かです。
金網の間から何とか撮ったものです。
お店の名前が書いてあります。
学校で使うノートです。
革命前のロシア語表記で書かれています。
時計もあります。
ぼけてしまいました。正しい時刻を指していませんが、2回とも違う時刻を指していたので、適当に動いているようです。
当時の電話もあります。
そして、2019年7月に行ったときは、チェーホフ市になって65周年の年だったからか、博物館の半分は、チェーホフ市に関する展示をしていて、チェーホフに関する展示が少なくなっていました。
次からの写真は、2014年に見たもので、2019年には見ることができなかったものです。
チェーホフの写真がファイルになっていました。左下の写真は、チェーホフとトルストイです。
チェーホフの切手です。
チェーホフの家の写真です。右下の写真は、チェーホフとゴーリキーです。
チェーホフやチェーホフの家が描かれたはがきです。
楽譜もありました。
YouTubeにこの楽譜の音楽があったので、聞いてみたい方は、聞いて下さい。何で、チェーホフの手紙博物館にこの楽譜があったのかは不明です。
この曲は、ミハイル・スタインベルクさんが作曲した曲です。
トロイカの写真や絵とともにどうぞ。
チェーホフが住んだ家の写真です。
チェーホフの作品の『ワーニカ』の絵もありました。
とても悲しいお話です。チェーホフは、いつもすれ違いばかりでハッピーエンドが少なく、このお話もそうです。
チェーホフの500以上ある作品の中で、好きな作品の1つです。
2019年7月に行ったときは、チェーホフ市に関する展示で、このように変わっていました。
2019年7月に行ったときは、博物館の人が、手紙の博物館のはがきで、チェーホフのサインのスタンプを押して、はがきを送ることができるよと教えてくれました。
今はもっと料金が上がっていますが、2019年7月時点では、外国への郵便は46ルーブル(約92円)、ロシア国内の郵便は18ルーブル(36円)と言われ、切手を買って、貼って、スタンプを押して、住所を書いて手紙を出しました。
日本の実家とモスクワの家と両方に出してみました。
結果はおもしろいことになりました。
7月5日に出した2枚のはがきはどうなったかというと、
7000km離れた日本へ、7月17日に着き、
70km離れたモスクワへ、8月24日に着きました。
国内郵便のスピードはなかなかですが、もう届かないと諦め、忘れた頃に届きました。
電車の時刻が迫っている中、慌ててハガキを書いて、帰ろうとしたら、私たちが日本人だから、どうしても説明したいと博物館の人が一緒に外に出てきました。「チェーホフは医者だったから、薬草に使えるかもしれないと思って、サハリン島から蕗を持ち帰って植えたよ。それが、あそこにある。」と教えてくれました。
今、記事を書いていて、改めて写真を見ると、博物館の入り口近くにも蕗があります。2014年に行ったときは、このことを説明してもらえませんでした。
2019年に行ったときも入り口の横に蕗があります。
日本が原産の蕗。日本以外では、中国、韓国、サハリンにしかない蕗が、モスクワ州のチェーホフ市にもこのようにあります。
サハリン島へ行った後、チェーホフは、日本へも行く予定でした。しかし、当時の日本はコレラが流行していて、日本行を断念しました。
もし、チェーホフが日本へ行っていたら、どんな作品や日記が生まれたかなあと思います。
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