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現地ガイドさんの話は、本当だった

今から12年前、初めてロシアへ上陸した。
モスクワや黄金の輪(セルギエフ・パサード、スーズダリ、ウラジーミル)をガイドしてくださった現地の日本語ガイドさんから、バスでの移動中にいろいろ話を聞いた。
特に印象に残ったのは、2つ。
・ロシア正教の教え
・ロシア人は自分で家を建てる

初めてのロシア旅行から7年後、私がモスクワに住むようになってから、この時の現地ガイドさんとロシア正教の行事で偶然再会したのだ。
初めてのロシア旅行で、ガイドさんの名前は覚えたけれども、連絡先などをきいていなかった。名前を覚えたと言っても、ナターシャしか知らない。ナターシャという女性の名前の人はたくさんいる。
それでも、再会できた。
このガイドさんがロシア正教のことを詳しく話してくださったので、私のロシア正教のイメージはいい。そして、正教の行事で会うとは、やはり敬虔深い信者だったと分かった。
ロシアのツアー旅行のガイドによっては、ロシア正教の話を詳しくしない人もいるので、初めての旅行のときに、基本的なことをすべて聞けたのは良かった。

そのガイドさんは、バスの中でも、ソビエトとロシアの生活など、興味深い話をたくさんしてくれた。
さらに、貴重な写真も見せてくれた。
この貴重な写真は、このガイドさんしか知りえないことだったので、7年ぶりの再会時、本当に本人なのか分からなかったので、その貴重な写真の話をしてみた。それで、7年前のガイドさんとはっきり分かったのだ。
7年ぶりの再会で、そのガイドさんは、貴重な写真をツアー客にいつも見せているわけではなく、このツアー客はいいなと思った時だけ、貴重な写真を見せているということだった。

このガイドさんが、バスの中で話したことがある。黄金の輪に行く道中、木造建築のダーチャを車窓から見た。

車窓から見たのはこの家ではないが、こんなイメージの木造建築

その時、「こういう家は、自分たちで建てます」と、言ったのだ。

え!どういうこと?とびっくりした。
日本と違って地震が少ないから、できるのかなあと思った。

その後、ロシアに住むようになって2年目。
義理の父が家を建て直すと言っていた。
あの時のガイドさんの話は本当だったと思った。

よくよく義理の父の話をきくと、今の家は、義理の父の父親が建てたようだ。義理の父の父親は、ロシア人としては、身長が低く、160㎝代だったようだ。そのため、ドアが小さく、天井も低めだった。

義父の父が建てた家


2018年から、家を取り壊して、その後、建設を始めた。2018年6月に行ったときは、絶賛建設中だった。

右側には、古い家の時のお風呂への入り口のドアが残っている。
窓ももともと使っていた物を再利用

その後、2年くらいで、2階建ての家を自分で建ててしまった。

また、義理の母と夫が生まれ育った家は、1890年代頃に建てられた家だった。

1890年代ということは、トルストイもチェーホフもリムスキー•コルサコフも生きていた時代。

雨漏りがしだしたということで、建て直す計画が始まったのが2017年。しかし、書類に問題があり、工事を始めるまで1年かかった。
こちらも2018年から夫のいとこが建て始めた。本当は、この家と同じように、丸太を組む家にしたかったのだが、壁の部分の丸太を組み終わったら、その後、5年待たないといけないということで、義母は、丸太組みを諦めた。
こちらは、19世紀に建てられた家で、21世紀の現在も水道が通っていないから、工事に時間がかかっているが、5年たった現在、2階建ての家の内装もだいぶ進んできた。
まだ、水道が来ていないが、それ以外は、寝起きができる状態になっている。
水道をどうするのかと思ったら、なんと、庭に井戸を掘ったようだ。そこから、水道管を引っ張ってくるようで、8月下旬に、ついに水道が開通した。
それにしても、自分で井戸も掘ってしまうとは、おそれいった。
そういえば、義理の母の父親は、ペチカを自分で作れる人だったともきいている。
庭で野菜も作っているし、自給自足というか、生きる力がすごいなあと感じる。

ちなみに、義理の父も、夫のいとこも、義理の父の父親も大工とか建築家ではない。

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