POLYSICSのMVを分析してみた
こんにちは、チェ・ブンブンです。
ところで、MVをじっくり見たことはあるだろうか?
MVはとてつもなく短い短編映画だと思っている。数分の中に歌詞の世界観を凝縮させる。短いからこそ、視覚的運動で駆け抜ける必要があったり、空間をどのようにみせるかを1秒単位で考え抜いたりしている。MVを分析することは映画分析にも繋がるであろう。
サカナクションの「ショック!」を例に挙げよう。ステージにいる山口一郎が、歌い踊りながらヌルッとスタジオに侵入し、傍観者であったコメンテーターを運動に巻き込む演出がなされている。そして、テレビのインタビュー映像が挿入されることで、メディアは傍観者であろうとする我々に対して運動を促し、我々は無意識に影響を受けている状況を風刺している。
MVを漁っていたら、POLYSICSが面白いMVをYouTubeで配信していた。今回は、いくつか気に入った作品を紹介していく。
1.Let's ダバダバ
コミカルなリズムが特徴的なこの楽曲は、MVもコミカルである。老若男女個性的な人々が、POLYSICSのトレードマークである目隠しメガネをかけてギターを弾いたり、ドラムを叩いたりする。それをストップモーションアニメのように繋ぎ合わせて運動の波を生み出していく。
本作で特記すべきなところは、個性的だが無個性的でもあるところであろう。身長もスタイルも異なる人が、「ダダダ ダバダバ ダバ!」と歌いながらフレーム内に現れる。個人個人は個性的だ。しかし、全員メガネをかけており「POLYSICS」という群に所属させられている。そして、高速に人を並べたり、大量に人を並べることで、「個人」の個性は「POLYSICS」の個性へと吸収されてしまう。
歌詞に着目していくと、「普通」に収斂していく情景が歌われているようにみえる。息苦しさから解き離れるためにバネを外しても、それは記憶に残らない。意地をはりすぎているのなら苦痛であり、ウソでもいって紛らわすのが普通だと叫んでいる。これは、ハメを外したって誰も覚えていない。ハメを外すために力が入りすぎる(=意地をはる)のもよくない。だから程よくハメを外す運動に身を投じ「普通」でいることを恐れるなと言っている歌だと解釈できる。
今や、SNSでハメを外している非凡が滝のように流れている時代。息苦しさから自分を解き放とうとしても他者の眼差しが気になってしまう。しかし、そんな眼差しなんて気にしなくていいし、多少自分を偽ってもいいのでは、「普通」で何が悪いというメッセージを個性/無個性が織りなす視覚的リズムで表現した傑作といえよう。
2.コンピューターおばあちゃん
伊藤良一の名曲「コンピューターおばあちゃん」をPOLYSICSがカバーしたもの。平成レトロなCGの中で歌われる本作は、なんといっても画面の中にあらゆるフォントを敷き詰めた歌詞表現が面白い。
四角い空間の中に、歌詞を並べていくのだが、「英語」の「語」における四角に「カクカク」をねじ込んだり、「ABC」は立体表現にさせたり、「得意の」はローマ字表記にすることで視覚的面白さを見出したりしている。だが、四角い空間からは逸脱しないところに、コンピューターの特徴が感じ取れる。それは、メモリだったり指定された領域の中で自由に、そして得意な色彩やエフェクトで表現することである。
個人的に、「バミューダ海域 ハワイはワイキキ 世界をまたに」で表現される文字アートがとても好きだった。
3.How are you?
これは「3Dとは何か?」という問いに迫るMVである。3Dメガネを被り、テレビを見る。すると、画が立体的になるが、画面が紙のように引き裂かれ、POLYSICSのメンバーが飛び出す。3Dメガネは、平面に擬似的に物理的現実のような像を浮かび上がらせる。ヴァーチャルとリアルが折り重なって「現実」としての体験が提供されるのではと表現しているように分析することができる。
3Dメガネは左右のレンズから微妙に異なる像を映し、それを重ねることで立体的に見えるわけだが、それを解体し、左右に映る像を並べ、ガクガクした映像を生み出すことで3Dメガネの構造を解説する。ジャン=リュック・ゴダールが『さらば、愛の言葉よ』で実践した3D映画体験の脱構築に近いことを実践しているのである。
POLYSICSは「Electric Surfin' Go Go」で実写とアニメの融合を手がけており、映像における異なる質感の融合をテーマにしたMVが多い印象を受ける。
今回、このバンドのMVを分析してみたことでインスピレーションが掻き立てられたのであった。
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