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【ロベール・ブレッソン再考】『スリ』における奇妙な時制について

 ロベール・ブレッソンは、いまや神聖化されている監督だ。シネフィルの飲み会にいけば、厳格なショットで構成される映画は大抵ブレッソンと比較されて語られる。ただ、そのような場所ではすでにブレッソンの作品を観ていること前提で話されるので、補助線として「ブレッソン的」だと語られても抽象的で「結局、どういうことなんだ?」と思うことが多々ある。

 わたし自身、ロベール・ブレッソンは高校時代にアンスティチュ・フランセの図書館で『バルタザールどこへ行く』を観て衝撃を受けて、一通り観た。しかし、その時は映画理論など意識して観ていなかったため、彼のショットの強さを明確に言語化せずに10年近くが経ってしまった。最近、ポール・シュレイダーを始め『田舎司祭の日記』のモチーフがよく使われていることに気づき、再びブレッソンへの興味が湧いてきた。10年前と比べブレッソンの作品へのアクセスは良くなっていることもあり、再考してみることにした。

 まずは手始めに『スリ』を扱うことにする。理由としては、ブレッソン入門として最も扱いやすいからだ。上映時間はたった76分と短い。しかし、その中には眼差し、手つきとショットを語る上で重要な要素を含んでいる。そして、今回観直してみて驚いたのは、意外にも一筋縄ではいかない時制の扱いである。ということで、早速観ていくとしよう。

 本作は、まず文章を書く手を提示するところから始まる。そして、オーバーラップしながら競馬場での犯行の瞬間が語られる。ミシェル(マルタン・ラサール)は、競馬の試合に夢中な群衆の中からひとりの女性にターゲットを定め、にじりよっていく。フッと彼女は振り向くが、彼はただの群衆であるかのように振る舞う。馬の方向へとジッと眼差しを向けている彼だが、2度チラッと下を向く。ショットは彼女のカバンと彼の手を映し出す。プロのスリとして、わずかに狙いを定め、感覚だけでバッグから金を盗む。その決定的瞬間を我々は目撃する。スリは盗んだ後も肝心である。無数の群衆の目、それは犯罪を目撃してしまった眼差しなのか警戒しつつ、それを顔に出さないように競馬場を後にする。この犯行プロセスを独白といった形で提示する。これがこの作品の大きな特徴となっている。

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