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タテスクロール型漫画に対する考察

こんにちは、チェ・ブンブンです。

先日、とある方から「タテスクロール型マンガの参考になる映画を教えてください」といったご相談を受けた。漫画には疎いものの、スマホを用いた読書に最適化した手法として「タテスクロール型マンガ」が登場していることは気になっていた。スマートフォンが登場して10年以上経つが、映画の世界ではタテ型のフォーマットは使いこなせていないように思える。通常のフォーマットでは絵画的集中線を意識した構図を作れるのに対して、タテ型の画では、顔をクローズアップする映画が圧倒的に多く、新しいギミックが生まれるような瞬間は滅多にない。

『シーフォーミー』より
FPSゲーマーが盲目の女性がスマホで映す画面を頼りに強盗を撃退する場面

強いて言えば、手持ちカメラとしての臨場感を表現した作品としてシーフォーミーが挙げられるであろう。盲目の女性がペットシッターのアルバイトとして豪邸に来るも、強盗に入られてしまう。彼女は、サポートアプリを起動しFPSゲーマーの女性と繋がり強盗と対決する。ここで、盲目の女性がスマホのカメラ機能で部屋を映しながら、強盗を銃で仕留めようとする場面がある。FPSゲームのように、銃を持った手が敵に標準を合わせていく構図は興味深いものがあった。しかし、アート映画のような洗練された構図はないように思える。

むしろ、TikTokやX(旧:Twitter)で発信される動画の方がタテ型の構図を有効活用していることが多い。例えば、株式会社おくりばんと会長の高山洋平( @takayamayohei1 )主演に撮られた連作動画『プロジェクトA_FRO(アフロ)』では、絵画のように、空間や人の目線で集中線を作っていく演出に長けていた。

高山さんの頭皮に向かって眼差しや器具が集中線を引いている場面
全力で育毛をサポートする体制が静止画でも十分伝わるものとなっている。

閑話休題、もしかするとタテ型スクリーンについて検討することで映画演出としての新しい表現を見出すことができるかも知れないと感じた。また、映画史は100年以上あるので、タテ型演出にこだわらない形で参考となる作品を紹介できるのではないだろうか?

今回は数少ない、私が読んだタテスクロール型マンガを検討し、その上でオススメな作品を紹介していく。


1.土田ヒノギ「大きくなっちゃう系女子の小さなたたかい」から分析するタテスクロール型マンガの特色

タテスクロール型マンガと聞いて真っ先に思い浮かべたのは、土田ヒノギ「大きくなっちゃう系女子の小さなたたかい」だった。会社員である橋木かのは、ストレスが溜まると身体が大きくなる特性を持っており、家族以外には隠している。しかし、社会人として生活する中でどうしても大きくなってしまう場面がある。それによる葛藤や緊迫感を描いた作品である。

フィクションにおいて、自己の心理的状況と社会との関係性を視覚的に置き換えるギミックとして身体の変化は古くから用いられてきた。ディズニーアニメ『ふしぎの国のアリス』では、自分の思うようにいかない「社会」に適応していく少女のプロセスが身体が大きくなる/小さくなるといった変化を通じて描かれている。最初こそは、部屋の中で巨大化してしまい泣きじゃくるアリスだったが、状況に応じて身体の大きさをコントロールしようとする。そのためには異様な姿のイモムシと交渉するようにまで成長する。つまり、アリスの身体の大きさとは、ふしぎの国(=社会)との距離感であり、傷つきながらも適切なサイズを模索し適応していく物語として観ることができる。

「大きくなっちゃう系女子の小さなたたかい」ではストレス社会の中で、いかに他者に気づかれないように振る舞うかといった苦悩を身体の変化で表象している作品と思い興味深く拝見した。しかし、ここでタテスクロール型マンガとしての問題点が浮かび上がることとなる。

「vs.猛暑(前編)」を例にとる。

仕事が終わり、家に帰る橋木かの。冷凍庫を開けて、アイスを取り出すも、溶けてしまっていた。このショックで、彼女の身体は大きくなり始め狼狽する。服が相対的に小さくなり、裂けるような音がする。そこへの凝視をいくつかのカットで提示し、しまいには天井に頭がついてしまうほどに大きくなってしまう。

一回のストレスでどこまで大きくなるかは分からない。身体の巨大化により目線が上がり、それが止まった時、あるいは天井にぶつかった時に自分の今の大きさを把握することとなる。つまり上昇の運動がそこにある。一方で、読者はタテにスクロールしながら読むこととなるので、上から下に空間を捉えていくこととなる。その結果、最初に天井と彼女の頭のが読者の目に映ることとなる。これは彼女が、上昇していき自分の大きさを把握するプロセスと反してしまうこととなり、「どこまで大きくなってしまうのか」といったスリルが損なわれてしまう描写といえる。

本作では、その欠点を踏まえて、建築模型のように空間を描写にそこで彼女の大きさを変化させるような工夫をしているものの、上昇の運動を魅力的に描写できていないイメージを払拭できているとはいえなかった。

2.通常のマンガとタテスクは似て非なるものではないか?

「大きくなっちゃう系女子の小さなたたかい」を分析する中で、そもそも通常のマンガと大きく性質が異なるのではないかと感じた。それは単に、横スライドか縦スライドかの表面的な差異レベルではなく根本的な部分から異なるといえる。例えば、通常のマンガでは、ページを開くといくつかのコマの集合が提示され、読者は自由に目線を動かしながらコマとコマとの行間を読んでいく。どのコマから読んでいくかは読者にある程度委ねられている。

一方で、タテスクロール型マンガの場合は上から下にコマが固定で流れていくので、通常のマンガのような自由な読み方はできないこととなる。これが、このフォーマットの難しさといえる。

ただ、この手のフォーマットが新しいかといわれたらそうでもない。かつて、絵巻の世界では右から左に時間が流れており、巻物をくるくるめくり物語を読む形式があった。このフォーマットでは、ひとつの長い絵に同じ人物が描かれる、つまりひとつの絵の中で異なる時間軸が描かれる異時同図法が採用されている。マンガのフォーマットが前提にあるため、タテスクロール型マンガはコマ割りによるリズム感を習得しているが、本質は絵巻のような表現手法なのである。

コマ割りの演出を得た絵巻としてタテスクロール型マンガを捉えると、映像コンテンツにおけるタテ幅のコントロール演出を取り込むと躍動感のある演出が表現できるのかもしれない。ゲームやミュージックビデオでは、凝視や強調の表現として時折、画の縦幅を狭くする演出が採用されている。近年ではウルフウォーカーなど映画作品にも応用されている。

『アラビアのロレンス』を意識して描いてみた

これをタテスクロール型マンガに落とし込む。『アラビアのロレンス』において、砂漠の遠くから人がやってくる場面を意識してみた。ロングショットで、遠くにかすかな人影が見える画を提示する。それを凝視する様子を強調するように縦幅の狭いコマを挟む。そしてその正体を明らかにするショットを挿入する。登場人物の行動を強調するアクションをコマに込めることができるだろう。

銃アクションを魅力的にマンガにする案

また、絵巻における異時同図法を応用するならば、銃アクションをナナメに描き、時間差でアクションの全貌が見える演出を実装するのもアリだと言える。銃のトリガーは引かれた、しかし敵が撃たれたかどうかはスクロールしないと分からない。従来の漫画では次のページで結果を表示する演出となるのだが、タテスクロール型マンガではひとつの絵の中で完結している。よりシームレスなアクションが描けるのではないだろうか?

つまり、タテスクロール型マンガで表現する際には従来のマンガとの差を明確にすることが成功の鍵であることは明白なのである。

3.表現の参考になる映画5選

映画ライターとして今回、問い合わせをいただいたので表現の参考になる作品を紹介していく。配信サービス等で気軽に観られる作品をチョイスした。

■Mommy/マミー(2014/グザヴィエ・ドラン)

デジタルシネマの時代になって、画のフォーマットを自由に設定できるようになった。カンヌ国際映画祭でジャン=リュック・ゴダールと共に審査員賞を受賞した本作は、ほとんどが正方形のフォーマットで演出されている。まるでインスタグラムの投稿のようにカッコよく決まった構図の中で描かれるのは、子育てに苦しむ母親の閉塞感である。終盤には、その閉塞感からの解放として、画郭を横へ押し広げる表現がある。インスピレーション掻き立てられる作品であること間違いなしだ。

【配信サービス】
Amazon Prime Video(レンタル)
hulu(定額見放題)

■VORTEX ヴォルテックス(2021/ギャスパー・ノエ)

2023/12/8(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開となるギャスパー・ノエ新作は、2画面で老夫婦の日常を描いた異色作である。認知症を抱えるおばあちゃんと介護するおじいちゃんとの関係を描く。おじいちゃんが書斎で仕事をしている最中に、彼女が街をふらつき行方不明になってしまう過程をひとつの画で提示しているのが印象的である。かつて愛し合っていたふたりの間に亀裂ができてしまっている様子を2画面で表現しているのも印象的である。どのようにコマを分割していくかの教科書として役に立つ一本だ。

【公式サイト】
『VORTEX ヴォルテックス』公式サイト

■プラットフォーム(2019/ガルダー・ガステル=ウルティア)

落下の運動に着目した際に、『プラットフォーム』が良い例として浮かぶ。目が覚めると謎の空間に転送されていることに気づく。中央がエレベーターになっており、上から食べ物が降りてくる。しかし、最下層に転送された人は残飯しか食べることができない。穴を見下ろす/見上げる、エレベーターが降りる/上昇するアクションによって緊迫感が表現されている。デスゲーム系マンガの参考になりそうな一本だ。

【配信サービス】
Amazon Prime Video(定額見放題)
U-NEXT(定額見放題)
hulu(定額見放題)
Netflix(定額見放題)

■第七天国(1927/フランク・ボーゼージ)

IMDbより引用

タテスクロール型マンガは上昇の運動を不得意とすると先述したが、上昇の運動の良い例を観ておくと、下降の運動に応用できると思う。サイレント映画の『第七天国』は、上昇の運動に特化したラブストーリーといえる。下水道で働いていた男がヒョこんなことから道路清掃員に昇格する。そんなある日、シンデレラのように虐められていた女を自宅に匿うこととなる。貧しいので、アパルトマンの7階に住んでいる男だが、悲観することなく、そこを天国と名づけ、女とはツンデレな関係ながらも親密になっていった。しかし、戦争がふたりを引き裂くこととなる。

本作で重要なのは、アパルトマンの7階がいかに過酷な環境にあるかということだ。カメラはアパルトマンの中をズームしていく。そしてエレベーターのように上昇していくのだが、階段でダンジョンのように入り組んだ部屋を登っていかないと自室にたどり着かない。しかし、まるでエベレストを盗聴したかのように7階は天国のように機能し、下界の喧騒を笑いながら見つめる。序盤に、その全体像を提示しておくことにより、終盤泣けてくる展開となってくる。

ひっくり返せば、下界に降りる=地獄を経験することであり、マンガでも流用できるアイデアなのかもしれない。

【配信サービス】
Amazon Prime Video(定額見放題)


■ファントマの偽判事(1914/ルイ・フイヤード)

実は、現代の映画よりもサイレント映画時代の方が試行錯誤の結果生まれたユニークなショットと出会える確率が高い。一方で、サイレント映画は映画マニアの間でも深掘りされることは少ない。勿体無い金脈である。フランスサイレント映画時代に連続活劇を手がけたルイ・フイヤードがいる。彼はレ・ヴァンピール 吸血ギャング団』で知られているが、個人的に『ファントマ』シリーズの方がインスピレーション掻き立てられた。中でも『ファントマの偽判事』では衝撃的なショットが観測できる。

まるでスマホの広告ゲームにありそうな構図

突如タテ画面になる場面があるのだが、その光景はまるでスマホの広告ゲームのようなものとなっているのだ。現代の映画において、タテ画面は顔のクローズアップに使われがちだが、セット全体を映しアクションとして利用する。無駄な空間が存在しない演出はユニークだといえる。デジタル編集できなくてもここまで自由に画を構成できるのだと衝撃を与えてくれる一本である。

最後に

普段、マンガはあまり読まないのだが、今回タテスクロール型マンガについて考察してみて、面白い世界だなと感じた。自分自身、スマホのタテ画面で何ができるのか模索していることもあり、こうした異なるジャンルから発想を得ることは重要だと改めて思ったのであった。

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