見出し画像

アニー・エルノー『嫉妬』感想

 2022年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノー。彼女の『事件』は12月公開の映画『あのこと』の原作ということで読んだ。購入した文庫本には、もう一つ彼女の作品『嫉妬』が掲載されていたため、読んでみた。生々しいネットストーカーの描写と嫉妬のメカニズムの説明が印象的な作品であり、アニー・エルノーが想像以上に怖い人だと分かった。今回は『嫉妬』の感想を書いていく。

■勃起したペニスを握る。実存を感じる。

朝、目覚めてすぐにする動作は、睡眠の効果で勃起したペニスをつかみ、まるで木の枝につかまっているかのように、そのままじっとしていることだった。私は思っていた。「これを握っているかぎり、この広い世界の中に放り込まれていても自分は大丈夫だ」。

p9~10より引用

 『嫉妬』は最初のページから壮絶な語りと共に幕を開ける。愛している男のペニスを掴んでいた日々、それを言語化し、長らく脳裏にこびりついていたものの正体を考察していく。それが本作の狙いとなっている。最初の段階で薄ぼんやりと、その正体は明らかにされている。今となっては別れてしまっている彼氏。その恋人の手つきと自分を重ね合わせようとしているのだ。

 かつて「自分」は彼を愛していた。彼を愛していた事実は、肉体関係の記憶が担っている。自分が自分である実存を確かめるためにペニスを握る場面がフラッシュバックしているといえる。

■中年の危機と解放

 「自分」の男を愛を求める渇望はどこから来るのだろうか?その正体は年齢と共にやってくる。アニー・エルノーは中年の危機をドキッとするような表現で鋭く語る。

47という数字が、奇妙な物質性を帯びることになった。私の視界のいたるところに、4と7という二つの数字が巨大なサイズにまで拡大して、突っ立っていた。私は女性を見ればきまって時間軸の中に位置づけ、それぞれの老いのしるしを自分のそれに引き比べることで年齢を推測した。

p15より引用

 47歳である「自分」のコンプレックスを書き連ねていく。すると、不幸も幸福も「他者」の影響によるものだと分かってくる。書くことで自分の中に芽生える嫉妬を客観視し、嫉妬の渦から抜け出そうと足掻く。その中で、中年としての良さに気づき、「自分」がまさにそれに取り組んでいることが明確化されていく。以下は、それが顕著に現れた表現である。

私は、勉学と激務、結婚と生殖の時期を歩み終えた今、かくして社会に払うべきものを払い終えた今、自分はようやく、十代の頃以来見失っていた本質的なことに専念しているのだという気がしていた。

p60より引用

■ネットストーカーを通じて辿り着く「嫉妬」の本質

 「自分」はかつて愛した男に新しい恋人がいると知り、執拗に彼女の情報を得ようとする。しかし、彼はなかなか口を割らない。やがて幾つかの情報を手にした彼女はインターネットを使ってその女性の正体を突き止めようとする。今まで、仕事の道具としてなんとなく使用していたインターネットが急に人生にとって重要なものとなり、検索エンジンの「エンジン」という言葉に惹かれる。これは、インターネットが自分の身体の一部となり、それを使って欲望を満たそうとする状況を自覚した場面であり、肉体と機械の融合を思わせる情景はジュリア・デュクルノー『TITANE/チタンを彷彿とさせる。

 このような嫉妬により突き動かされる感情を分析する中で、段々と嫉妬の本質が浮き彫りとなってくる。

嫉妬において最も常軌を逸していることは、ひとつの街に、ある人ーそれは一度も会ったことのない人である場合もあるーの存在ばかり見てしまうことだ。

p19より引用

嫉妬は自己の中身をり貫いてしまい、もうひとりの人間とのあらゆる差異を劣等に変えてしまうので、その中では、私の体、私の顔ではなく、私のさまざまな活動も含めて、私の存在まるごとの価値が下落したのだった。

p57より引用

 本作は、過去の肉体関係を延長させて、得体の知れぬ他者である女に自分を重ねて比較することで嫉妬が醸造されていく様を暴いた作品といえる。この内なる邪悪を吐き出すかのように書き、肉体的の反応と精神的応答の関係性を分析していく様子はサルトル『嘔吐』に通じるものがあった。

 アニー・エルノーの生き様が壮絶すぎてページを繰る毎に鈍器で殴られているような感覚に陥る作品であり、読了後はどっと疲れた。


映画ブログ『チェ・ブンブンのティーマ』の管理人です。よろしければサポートよろしくお願いします。謎の映画探しの資金として活用させていただきます。