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『なぜ富士山は世界遺産になったのか』(小田全宏)

0.2022年12月世界遺産検定マイスター試験を解く鍵を発見

こんばんは、チェ・ブンブンです。

世界遺産検定マイスター試験勉強で図書館に行ったところ、とても面白い専門書を見つけた。それが『なぜ富士山は世界遺産になったのか』である。ルネッサンス・ユニバーシティ代表取締役である小田全宏が富士山の世界遺産登録ミッションに取り組んだプロセスについて書かれた本である。

2022年12月に行われた世界遺産検定マイスター試験では次のような問題が出題された。

『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』にある富士山では、登山鉄道を整備する計画があ る。世界遺産としての富士山の遺産価値や抱えている課題を考えた時、登山鉄道の整備がプラスとなる点と懸念される点の両方が考えられる。そのプラスとなる点を増やして いくためにはどうしたらよいか、具体的な事例や比較となる世界遺産の例を挙げながら、 1,200 字以内で論じなさい。

世界遺産検定サイトより引用

多くの受験者が、ロシアのウクライナ侵攻や佐渡の金山問題あたりが出るだろうと予想していたと思われる試験。私もそのひとりであったのだが、まさかの不意打ちで、試験開始直後どよめき、落胆の声が響いた回であった。

そもそも、登山鉄道の整備は環境破壊に繋がり、世界遺産としての価値が下がるのではないか?自然と共存する遺産にゼメリング鉄道があるが、オーバーツーリズム対策として導入しているのであろう登山鉄道整備に価値を与えられるのだろうか。ついつい批判的アプローチになってしまったため、不合格判定となった。また、文化遺産として登録されている『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』を複合遺産にできないのか、景観を気にするなら地中に埋めればいいのでは?そんなアイデアで書いたのだが、本書を読むと、そのアイデアが既に議論されており、無理筋であるかが分かる。前者において、静岡県知事である川勝平太が複合遺産として登録すべきだと主張していた時期がある。2004年頃、環境省はゴミ問題や独自の生態系を持っていない富士山を自然遺産にすることは無理だと諦めていた。しかし、川勝平太が強く主張したため、IUCNに確認を取り公式見解として自然遺産としての価値がないことを提示させた経緯がある。後者は、1960年代時点で五合目から山頂まで地下鉄を走らせる「モグラ鉄道計画」があったのだが、自然への環境負荷が甚大だったため実現できていない。

さて、『なぜ富士山は世界遺産になったのか』に書いてあった富士山の世界遺産登録までの経緯についてまとめていくとしよう。

1.富士山の世界遺産登録は一度失敗していた

1978年から登録が始まった世界遺産。

戦争や地球温暖化などによって破壊されていく遺産や自然を保護。世界に文化や自然を伝え、国際的に保護していくことが平和につながるとして世界遺産管理の運動が始まった。日本では独自の文化財保護体制や国際法の整備などによりなかなか参加することができなかったが、1992年にユネスコ総会で日本が世界遺産条約を批准したことにより、世界遺産を登録していく流れが生まれた。最初に何を世界遺産に登録すべきか。この段階で富士山が候補となっていた。静岡新聞が主導となった署名活動では、246万もの署名が集まった。しかし、富士山は最初の世界遺産として登録されなかった。世間は「富士山の世界遺産登録は失敗に終わった」と認知したが、温度感が異なる。そもそも、自治体が政府に富士山を世界遺産に登録するよう申請を行っていなかったのである。

世界遺産に登録されるまでには多くのステップがある。まず、自治体が政府に申請をする。承認が降りたら、「なぜ世界遺産に登録される必要があるのか」と膨大なエビデンスを用意し、専門機関(自然遺産▶︎IUCN/文化遺産▶︎ICOMOS)に審査してもらう。そしてフィードバックを基に最終調整を行い、世界遺産委員会にて登録か否かの判断が下される。

富士山はエベレストから「富士山のようなゴミ山にしてはいけない」と煽られる程、ゴミ問題を抱えていた。排泄物も垂れ流していたのだ。都市開発も進んでいるので、登録基準(ⅶ)の自然美で登録することは無理筋であった。また固有の生態系や火山としての優位性も見受けられず、そもそも自然遺産としての登録が不可能に近いことが分かっていたのだ。

では、文化的景観で推すのはどうか?

2000年11月、富士山を自然遺産ではなく文化遺産と2000年に文化財保護審議会で議題に挙がった。世界遺産委員会では1993年にトンガリロ国立公園を自然遺産から複合遺産に変更した経緯があった。これは、自然美だけでなくマオリ族の聖地としての側面を評価したものであり、世界で初めて文化的景観が認められた。泰山のように山を中心とした文化や信仰の関係は富士山を取り巻く文化と共通するものがある。実際に世界遺産登録の基準には「自然的要素が強い宗教的・芸術的・文化的な事象に関連する景観」がある。小田全宏は富士山の世界遺産登録リベンジミッションに参加することとなった。

2.世界遺産登録は前途多難なイバラ道

彼の話によれば、このリベンジは苦難の連続だったとのこと。世間では、富士山の世界遺産登録は失敗したものとして認知されており、再びチャレンジすることに対して既に冷め切った世論や関係者を説得する必要があった。

2004年の段階では文化庁も「なんとも言えないですね」と塩対応だったとのこと。そこで、小田はミッション・マウントフジを発足。有名人を役職につけることで、冷めきった状況に火を灯そうとした。プロ野球選手・長嶋茂雄や柔道家・山下泰裕、皇太子殿下を仲間に引き入れようとするもアプローチするも上手くいかない中、大手広告会社の電通が名乗りを挙げた。電通は戦前から新入社員の研修で富士山登頂プログラムを導入したり、元社長の成田豊が車のナンバーを富士山の標高である37-76にするほどの愛好家であったりと富士山にゆかりのある会社であった。元内閣総理大臣の中曽根康弘を参加し、ミッション・マウントフジは始動した。

世界遺産登録推薦状を作るにあたって、

1.富士山の範囲の決定
2.構成範囲の特定
3.妥当となるエビデンスの収集
4.世界遺産を保護していくための保存管理計画の策定

を行う必要があった。富士山は範囲が広く、開発が進んでしまっている地域もある。自衛隊の演習場もあり、政治問題に発展する可能性もあった。

そんな中、事件が起きる。富士五湖を登録しようとした際に、河口湖のボート業者が抗議を始めたのだ。河口湖では法令のグレーゾーンの中で運営する業者が少なくなかったようで、富士山が世界遺産に登録されることで桟橋の長さなどを制限されるのではと噂が飛び交い炎上してしまった。富士五湖を世界遺産から外すことはできないと考えるミッション・マウントフジ。事態は暗礁に乗り上げたが、山梨県の職員が個々の業者に説得を行いなんとか合意を勝ち取った。

このような経緯を経て、2012年9月にICOMOSによる調査を実施。ここでは登録時の名称を『富士山』ではなく、『富士山と信仰遺跡群』にするようフィードバックが返ってきた。また、三保松原は富士山から離れているので世界遺産登録に不要ではと提言された。しかし、三保松原は能「羽衣伝説」の舞台でもあり、信仰の観点からすると距離は関係ないのではと考え、そのまま世界遺産委員会に持ち込んだ。結果、2013年に晴れて『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』として世界遺産登録が実現したのである。

3.感想

世界遺産検定1級を取得しても日本の世界遺産に関心がなかなか向かなかったのだが、このような熱いドラマを読んだら一気に惹き込まれた。この手の話は政治問題が絡むせいかあまり映画化されない。

また、テキストだけでは分からない実情も見えてきた。世界遺産検定マイスターの採点者は世界遺産の専門家が行うだろう。前回大会のような付け刃な解答は得点に繋がらないことがよく分かった。もう少し専門書にあたる必要があると痛感させられたのであった。

4.参考資料


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