本当は飛びたかった話

まあ、音楽活動の結果は芳しくなかったような、努力し足りなかった部分もあるし、何となく後悔の面がある。
自分が好き勝手やった部分はそこまで思っていないのだけど、俺と〇〇(全然次の回書いてないね、なんか、うまく纏められなくて…)
に出した友人、ハルには少しだけ申し訳ない気持ちがある。

とは言え、結局ひとの人生、俺が気負うのもあくまでこの文面上の側面で、他にも関わりのある部分では全然そう思ってないところもあるし、仮にこれが本人に見られた時は「何だこいつ」と改めて思って貰えれば幸いだと思う。

歳が三つ程下で、男兄弟がいなかった自分には可愛げのある後輩もしくは弟みたいな存在だった。
知り合ったきっかけはもう忘れたが、ギターや音楽にそれなりに興味関心を持っている事を含めて仲良くなるのは早かったと思う。
そしてその少年を音楽の沼に沈めた被害者の一人でもある。

しかし彼とバンド活動をやる、となるまでは結構時間がかかった。
2010年頃に俺が引っ張る形でバンドを作ったりもしたが、俺はリーダー的牽引力がなかった。更に言えばドラムが本業じゃない子に頼んでいたことや、実際集まるのが難しい距離もあってあんまり活動できないまま流れた。他にもあったがそれもお流れ。
俺自身は殆ど一人で曲を作る日々を過ごしていた。

そんな折、彼がバンドを組んだらしい。
当時の残響系を代表するようなバンドに影響を受けたサウンドで、歌は彼が好きだったグリーンやバンプのようなメロディが乗っている、認知されればイケそうな雰囲気があった。(これは当時の印象)
この話の根幹である彼のことをある種の天才肌だと感じたのはこの時だった。ちゃんと「歌」だった。
俺や他にもオリジナル曲を作る友人、知人はいた。
クオリティの差というより好みの差かもしれないのだが「演奏を聴かせてやろう」とか「歌を大事に」のバランスってすごく難しいところで。
とにかく決して技術が高いとかではないのだけど、ギターと歌それだけでも成立するような、そのバランス感がとても丁度良く聴こえた。
その活動を応援していながら、何だか先に一歩進まれた感覚があって、ちょっとだけ嫉妬した気持ちもあった。

内容は割愛するが一年経ったかそれくらいのタイミングで、突飛だが楽曲をフルリメイク、再作成に臨んだ姿があった。
ストイックすぎる。まあがむしゃらにやるしかなかったのだろうけど。
過去曲にもいいところはあったし、新たな曲も恰好良かった。
しかし一聴した時からわかる爽快感のようなものは失われたような感じで、曲自体が難解な構造になっていて、何だか彼の個性が死んでる気がするなあと、その時そう思った。
し、そういう旨をおそらく当時何となく伝えたと思う。「無理してない?」みたいなことも言ったか。
まあ、当然無理していたんだろうけど、その後いろいろな都合でバンドは解散した。
この都合については後の楽曲にもなっているし、一方でその頃の俺はメンタルをぼろぼろにやられていたりして彼の選択をどうこう言ったりはしなかったはずだ。

上の都合でお互いがボロボロな調子になった後、東京にお互いが居るようになってからまた彼は新しいバンドを始める様子だった。
その前に俺は俺でこっちで出来た、もとい、元々あった繋がりでバンドを始めそう~な感じがあった。
ちなみにこれはこれで流れるというか、このバンドが原型となったもので活動は続いていたが事実上離脱した。
俺、曲も作ってたけど。まあ、正直俺余裕ないからとか言ってた気がするし、自分の選択ではあるが…

というのも彼が新しいバンドを始めた後、ベースの枠が結局空いたとのことで、俺に声が掛かった。
なんだかんだ、距離が近すぎるから一緒にやらなかった部分もあったし、ようやくといった感じもある。
彼曰く、前回のバンドは詰め込み過ぎて疲れたとのことで、今回はリラックスして臨みたいらしい。難しいことはしないとのことだった。
そしてライブ活動はせず、音源を作ることに注力したい。俺はそれに承諾して加入した。

そして曲ができた。俺が入ったことを含めてイメージがある程度出来たようなことを言っていた気がする。
まあメンバーが演奏しているスタイルを想像して作るというのもよくあることだろう。
ポストロックにパワーポップをぶつけたような作品で、これは面白いものが出来そうだと思った。
とは言え、俺は初めての変拍子に頭が混乱しながらベースを弾くことになった。難しいことはしないんじゃなかったのか。

このバンドのギターは知り合いだった。ミヤタくん。このバンドをやる上のキーマンの一人。
それこそ2010年頃にはそれなりに遊んだ。
ナンバーガールが好きって言っていて、俺が関わってきた数少ないコミュニティの中で萌芽となった人物の一人ではあるのかもしれない。
兎角、それは成人前後のあやふやな関係性の中であったことで、彼はとにかくヘンなやつだった。

正直始めたての頃から、現在に至るまで演奏力で言えば俺が一番下手だという自覚があった。
まあ、練習を殆どやっていない上、元々好きな音楽の系統はテクニカルよりもパンクやグランジと言った、オルタナティブの系統だったし。
演奏力に関しては練習するほかないことだし、彼の歌の良さをなるべく最大限に活かそうと尽力した。
逆に言えばそれを俺の手によってないがしろにしたくなかった。

それは先にもあった過去のバンドでの楽曲の印象が演奏で大きく変わることにも起因していたと思う。
とにかくこのバンドではいいモノを作ろうと心掛けた。

そんな折、友人のバンドから声がかかり、企画ライブをやろうということになった。
当初のライブはそもそもしないとか決め事をあっさり覆すようなことだったが、作品をリリースするにも知ってもらう機会は必要だと思ったし、ハルもその時点ではそこまでそれ自体がイヤという感じはなかったように思う。
しかし、その企画がレコ発と題することになり、それまでのんびり練習していたペースを急激にアップさせてとにかく作品を作ろうのモードになった。
それ自体は、いい意味で思い出にはなった。
しかしそれに付随する作品の出来は正直、納得がいく出来栄えでは無かったように思う。
正直スケジュール的な問題が大きかったが、漠然と「あれ?こんなもん?」という感じはそれぞれ持っていた。
問題点を上げれば、時間のなさや、外注したエンジニアとも話を合わせてこういう音にしたいと伝えていたかどうか危ういし、そもそもプロじゃないので、力及ばない部分があるのは致し方ないのだが。

そして企画ライブも盛況、友人を呼んだにせよ、このイベントはいい形で終えることが出来た。
あの時関わってくれた人たちは本当に感謝したい。いい思い出になったよ。
ライブや作成を終えた後は割とすぐに新曲を作るモードになっていた。

とにかくここまで1年足らず、それが事を奏したのか、Skreamから声がかかり、フリーペーパー故こっちがお金を払う形で記事を載せてもらう事になった。基本的に俺とギターが普通に社会人していた為、金銭面は大きく困ることはおそらくなかった。
その中でフリーターとしてのハル、ドラムは大学生という状態で、まあまあかつかつではあったけど。

色々うまくいっている感覚があった。しかし、ここら辺から徐々にずれてくる。
バンドのリーダーとしては如何せん、頼りないハルはイニシアチブを握るタイプではない。
とは言え作曲者故の決定権はあるが、活動に関する点は徐々にミヤタが率先していくようになった。

俺はそんな中調子が上がってる状態は維持したい気持ちもあったが無理をしたいわけではなかった。元より無理をして壊れている身である。
とりあえず様子見…と、そのペースに巻き込まれた影響からできた曲は前身バンドを彷彿とさせるテクニカルな楽曲。
俺は俺でこれを弾くのか…と内心ひやひやしつつ、弾けたらカッコいいからいっか!と敢えて楽観していた。

ここは一種の邪推である。
バンドのキーマンであるハルはその実、自分の社会的に置かれる立場としては尊重されたものではない(ように感じていたように見える)し、俺やギター、ドラムがそれぞれ別の立場で尊重されつつ、音楽的知識や技術が自分のソレより上回っている感覚がプレッシャーにもなっていたようだった。
そういう人間的なズレが活動にも徐々に軋轢が生じてきた部分ではある。ここはまた後述する。

次の製作途中、没になった曲がある。
制作を早めたい雰囲気の中、楽曲自体の出来が、俺個人の意見だと「普通」だった。
このクオリティで出すと、後々制作したこと自体を後悔しかねないと感じた部分がある為俺が進言したひとつの案だった。
正直俺もそういう風に言う際はそれなりに意図を伝えるよう努力していたつもりだが、どう伝わっていたかは知る由もない。
とにかく、制作を早めたいミヤタに対し、なかなか作れないままモヤモヤとするハル、その間を何となくつなぐ作業を俺がこのあたりから増えるようになった。

そこから何やかんやで曲は出来た。
これの出来は会心とは言わないものの、前作よりは少し満足度があった。かかった費用が少ないのもあるか。
にしても、ここら辺で完全に当初の状態とはズレていたと思う。

この辺で既に「こんなに難しい必要あるか?」という感覚はあった。
実際、俺自身はわりとひいひい言いながら楽曲制作についていっていたし、今思うと二人の間に挟まるだけでも負担はあったが、曲自体も大変な思いはあった。
テクニカル性がこのバンドのアイデンティティだともしかしたら他のメンバーは思っているかもしれないけど、俺は難しいことをやる必要性は全然感じていなかった。かと言って、難しいこと自体ハル本人が入れてくるので、本当だったらこういうことも話しておくべきだったんだろうなと、書いてて思った。

リリース後の活動休止のきっかけは、ドラムが就職で東京を離れることだった。
しかしまあ、これ自体は全然問題じゃなかった。
離れるにしろ方法はあっただろうし、ゆっくりマイペースで続ける方法もあったはずだった。

そこでミヤタは今出来ている楽曲は、せめてドラムだけでも録って早めに作品に仕上げようとのことだった。
気が付けばイニシアチブを握っていたミヤタだが、引っ張ろうとする思いからなのか、当時の彼の精神状況にもよるものなのか、色々あるだろうけれどあんまり他人を省みない言動が強く出ていた。
勿論そんな状況下でハルも限界が来たのかそれに対して至極まっとうな怒りをぶつけて、見事離散。
その後エピソードもいろいろ面白いのはあるのだけど、割愛する。

それから幾数年が立って、俺自体はそれぞれと同窓会気分で会うことはある。

19年頃からミヤタはまだこのバンドを続けたいような旨を聞いた。
そりゃそうだ、中途半端に終わったことを、確かに投げやりなままはちょっと気持ち悪い感覚はある。
その反面、一緒に暮らしていたハルからはもうやりたくない旨を聞いていたし、実に返答に困った。

それから定期的に会うたびにはやりたいねと聞いているが、何だかバンドの仲介人として俺をまだ使っている感じがして大変気分が良くない。
きっかけは何にせよ原因を作ったのは己じゃろうが!といいたい気持ちはあるが、こいつもこいつでヘラるとめんどくさいのは良く分かっている為、俺は直接伝える気力もない。

それに、俺が仮にもう一度ハルを音楽に誘う心持ちが出来ていない。
何度となく沼に落とした俺は、結局彼をはばたかせることが出来なかったし、その光をたとえ俺が未だに信じ続けていたとしても、それを輝かせるのはきっと俺じゃない方がいいんじゃないか、と、思ってしまっている。


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